エリザヴェータと戦場
ロルドたちが駆け抜けていく背中を見ながら、エリザヴェータは進軍せずに待機していた。
僅かに残っている戦意があった者は皆、モンタナとガーレーンによって戦闘不能にされてしまっている。山を下りて展開した兵士は皆、座り込んでいるか、絶望の表情で立ち尽くしているばかりだ。
エリザヴェータは大きく息を吸い込み、戦場全体に向けて声を発する。
「聞け! 反乱を起こした兵士たちよ!」
エリザヴェータの声が響く。
声が大きいことは、指揮官、為政者としての才能の一つである。
当然エリザヴェータは、人一倍よく響く、大きな声を持っていた。
「他国の土地を侵し、私に逆らわんとする者たちよ! その行いを悔い、改めるというのならばその場で武器を捨て首を垂れよ! 服従する者の命は取らん! 憎きはお前たちを騙した悪しき指揮官たちだ!」
反乱軍に動揺が広まる。
そしてもはや、それを収めようと声を上げた者は数名いたが、違うことなく飛来した矢や魔法によって、すぐに沈黙することになった。
エリザヴェータは再度大きく息を吸い、その全てを一言で吐き出した。
「ひれ伏せ!!」
死んだ指揮官の近くにいた者。
エリザヴェータの威容を近くで感じた者から順に、武器を手放し地面に額をこすりつけていく。数人がそうしてしまえば、あとはもう自然の摂理のように次々と兵士たちが武器を捨て始めた。
矛を交えるまでもない。
戦いは終わりだ。
「捕縛せよ」
戦場が完全に静まり返ったところで、エリザヴェータは静かに指示を出す。
エリザヴェータの兵士たちは、ゆっくりと、整然と歩を進めながら、あらかじめ準備をしてあった腰にぶら下げた縄を外し、次々と反乱軍を捕縛していく。
最上の勝利とは戦わずして勝つことだ。
幾人かの犠牲は出ているが、エリザヴェータにとってこの勝利は理想的なものであった。
しかしそれにしても、これではきっと、また【竜の庭】の名声が広がってしまうことだろう。
ありがたいことだ。
ありがたいことなのだが、【竜の庭】がなければエリザヴェータは何もできない、といううわさが広がっては困る。
どうやら南西方向の遠征では、これまでよりも苛烈に戦う必要がありそうだと、エリザヴェータは周囲に悟られぬように、小さくため息を吐いた。
さてハルカは、上空を旋回するナギの背中から降りて、戦場の様子を覗いていた。
戦いが始まればまた近くを飛んでもらって、けが人の治療にいそしもうかと思っていたのだが、どうやら戦いが始まらずして反乱軍が次々と地面に額をこすりつけていく。
どうやらこれはお呼びではないなと、判断したハルカは、ナギを王国軍の後方に着陸させる。
「ナギ、よくできました。ありがとうございます。私はリーサの所へ行ってくるので、ここでのんびりしていてください」
ナギが大きな声を出してブレスまで吐いたのは、エリザヴェータの発破に応えてのことだ。駄目ですよなんて言えるわけもなかった。
具体的に指示を出さなかった自分が悪かったとハルカは反省する。
褒められてご機嫌に体をくねらせたナギの鼻の頭を撫でてから、ハルカはそのまま一人で空を飛んでエリザヴェータの近くへ移動した。
「戻ったか」
「すみません。少し張り切り過ぎました」
「まぁ、多少な。しかし効果は抜群だ。御覧の通り、あとはもうロルド殿たちが戻るのを待つばかりとなった」
エリザヴェータが怒っている様子がないことにほっとしながら、次々と捕縛されていく反乱軍に目を向ける。
死人もけが人も最低限。
これがナギのお陰だというのならば、少しくらい張り切ったのもありだったかもしれない、とも思う。
「ところで、ナギのあれはハルカの指示か?」
「あ、いえ、あ、はい、まぁ、そうですね」
「……怒っていないからはっきり言え」
「…………おそらく、リーサの『せいぜい脅かしてやれ』という言葉を聞いていて、頑張ってくれたんじゃないかなと」
「……あれはハルカに向けて言ったのだが、そうか……、ナギは言葉をしっかりと理解しているのだな」
「とても賢い子なので」
つい先ほどまで少ししおれた様子だったのに、ナギが褒められたと思った途端に表情が明るくなるハルカ。付き合いが長くなるほど分かりやすい感情の動きに、エリザヴェータは小さく笑った。
「では私の失態だな、次があれば気を付けよう」
「私も気をつけます」
「後でナギに直接礼を言わねばな」
「喜ぶと思います」
ナギが褒められる話をしているのに、ハルカの方が随分と嬉しそうである。
まったくもって、強大な力を持っている癖に、相変わらず少しずれたお人好しぶりだ。それが、常に緊張を強いられながら生きているエリザヴェータにとっては心地よくもある。
「ハルカも、いつも助かっている。ありがとう」
「私にできることなら」
「あまり私を甘やかすな」
ハルカは少し考えてから、目を細めて笑う。
「私は……、そんな人が少しくらいいてもいいと思います」
「……まったく」
どこまで借りを作ればいいのだろうと考えながらも、エリザヴェータは悪くない気分でハルカの言葉を受け入れるのであった。





