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5 悪役令嬢は婚約破棄をくらい……とんでもない事態が起こり始めました

「お集まりの皆さま、お聞きください! 本日この時をもって、僕、セバスチャン・スミスはメルーシャ・アルノルとの婚約を破棄し、ルルナ・ウェルボートと結婚することにいたしました! お集まりの皆さまを立会人とし、今ここに、神への誓いを立てましょう!」



 途端、周囲のざわめき声は、嵐のように激しさを増した。


 もはや誰が何を言っているのかも、わからぬほどの大きさだ。

 たぶん会場内にいる全員が、何か言葉を発している。


 そんな騒がしさの中で、私の胸の内は、おかしなほどに静かであった。



 ――あぁ、そう。やっと、私たち終わったのね。



 もう、こんな言葉しか、胸に浮かんでこなかった。


 たった今、結婚したらしい二人に背を向けたまま、目をつむり、二、三度、深呼吸をする。

 ゆっくりと振り返り、二人を正面から見据えた。


 セバスチャンとルルナは、誓いのキスの真っ只中だ。

 しかしそんな光景を見ても、私の顔も心も、涼やかなものだった。


 なんだか、あの黒ぶち猫が、自分に乗り移ったかのような心地である。

 ふいにそんなことを考えて、笑みがもれてしまうほどに、もうこの愚かな二人のことなど、どうでも良く思えた。


 ようやく、完全に他人になれるのか。

 そう思うと、清々しかった。


(私の青春の一ページは、見るも無残なものになってしまったけれど……まぁ、幕引きとしては、これで良かったのかもしれないわね)


 涼しい笑みを向け、凛と背筋を伸ばし、私は彼らに言葉をかける。


「私、メルーシャは、婚約破棄を受け入れます。そしてセバスチャン様、ルルナ様、ご結婚おめでとうございます。心より、お祝い申し上げます! どうぞ末永く! 仲睦まじく! お幸せに!」


 最後のほう、思い切り言葉に棘が出てしまった。

 

 笑顔で嫌味を言い切った今この瞬間が、これまでで一番、悪役令嬢っぽかったかもしれない。

 ……高笑いはしなかったけれど。

 

 セバスチャンが得意げな笑みをこぼし、ルルナが腕に絡みつきながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


 さぁ、これでおしまい。

 今から私は、壁と一体化することに忙しいので。


 と、背を向けようとした瞬間。


 突然、一人の男が、歩み寄ってきた。



 観衆がはけた舞台のど真ん中、私の目の前に、その男は歩み出た。


 スラリとした高い背に、青みを帯びた白い衣装が、よく映えている。

 サラサラの黒髪に、少しきつい金色の目、涼やかに整った容姿――……


「……あら? 神官様?」


 澄ました顔で立っていたのは、あの若い男性神官だった。

 私の気の抜けた声と同時に、彼は床に片膝をついた。


「改めてご挨拶いたします。私はシスフォルト・シェグリスタと申します。これから私があなたに申し上げることは、神官としてではなく、私個人のものであると、先にご承知ください」


 反応できず、ポカンとして立ちすくむ私の手を取り、澄ました顔で彼は言った。


「私シスフォルトは、メルーシャ様を、心からお慕いしております。あなたに婚約を申し込みたく、不躾ながら声をかけさせていただきました」



 お し た い ?


 こ ん や く ?



 私はたっぷり、呼吸十回分ほど、固まった。


 先ほどまで洪水のようだった貴族たちのざわめき声は、一瞬で止んだ。

 パーティー会場とは思えない、しばしの静寂。


 たっぷり時間をとったわりに、次に私の口から出てきたのは、意味をなさない音だった。


「……へ……? あの…………え……?」


 私のおかしな声をサラッとかわし、彼は続ける。


「小さき命を愛しむあなたの手は温かく、その優しい心根は、かけがえのない、美しいものです」

「……は、はぁ……」


 ――突然なんの話だろう。もしかして、猫を可愛がってた話?


「あなたが在学中の五年の間、ずっと私は、取るに足らない小さき獣の命を、まるで宝石かのように愛でるあなたの純真な愛情に、心を寄せておりました」

「ご、五年間……?」


 ――挨拶するようになったの、最近じゃない?


 動揺を隠しきれずにいると、周囲のざわめき声が徐々に戻ってきた。


『シェグリスタって、あの魔導の大家の……!?』

『シスフォルト様は確か四男だったか……まさか公爵家の人間が潜り込んでくるとは』

『このパーティー、もしかして他にも高貴なお方がいらっしゃるのかも! どんどん話しかけていかなくちゃ……!』


 貴族たちの声が、勝手に耳へと流れ込んでくる。

 と同時に、彼に関する情報がクリアになっていく……


 魔導の大家、シェグリスタ公爵家の四男。神官をしている、魔法が得意な、高貴なるお方……


 とりあえず、なにやらとんでもない事態になってしまったことは、理解できた。


 膝をつき、私の手を取ったまま、真顔でジッと見上げてくる彼。


 とにかく、一旦、場を動かさなければ。

 私は自分を落ち着かせながら、彼に声をかけた。


「ええと、神官様――じゃなかった、シェグリスタ様、ここではあれなので、もう少し端の、静かなところへ行きませんか?」

「どうか家名ではなく、名をお呼びください。では、向かいましょう」


 彼は立ち上がり、綺麗な所作で私のエスコートにまわった。

 動きにいちいち不思議な清涼感を覚えるのは、彼の衣装の色によるものか、はたまた神官という職のせいか。


 彼の手を取って歩き出すと、「ヒュー!」とか、「キャアアア!」とか、あちこちから明るい声が上がった。

 完全に、貴族好みの余興になっている。


 婚約破棄に続いて求婚。今日はなんというゴシップ日和だろう。

 帰ったら、両親がひっくり返りそうだ。


 ――と、その時。


 すっかり場外に追いやられていた、セバスチャンとルルナが声を張った。


「メルーシャ! 婚約破棄直後に別の男と婚約とは、少々慎みがないのではないか!」

「メルーシャ様も、えっと、なんとか様も、もうちょっと私たちに気を使ってくださってもいいんじゃないですかぁ!? 婚約なんかは家でやってください! 結婚した二人を――私たちを引き立ててお祝いするというのが、マナーなんじゃないですかぁ!?」


 二人の声に、シスフォルトは足を止めた。

 私は慌てて、彼に声をかける。


「も、申し訳ございませんシスフォルト様! 私の婚約者――じゃなくて、友人――でもないわね、ええと、知人が、失礼なことを……!」


 彼は私の目をまじまじと見て、平坦な声音で言葉を返した。


「そうですね。彼らは礼を欠いている。もうあなたとは親しくもない間柄だと、理解したので、言いたいことを言わせてもらうことにします」

「え?」


 彼は振り返ると、セバスチャンとルルナを冷めた表情で見つめた。

 ルルナが何か言おうとしたが、それより早く、シスフォルトが言葉を発した。


「ルルナ・ウェルボート、と言ったか。恋人の気を引くためにメルーシャ様を脅迫し、馬鹿みたいな芝居を演じさせるという、幼稚で浅ましい行いは、いかがなものかと。彼女の愛する猫を無残に焼き殺すなどという脅し、とてもじゃないが淑女の言とは思えない。ウェルボート男爵家では、このように野蛮な行いが普通なのですか?」


 ルルナは目をむいた。

 直後、鋭い目つきで、私を睨みつけてきた。


 反射的に身をすくめたが、シスフォルトが前へ出て、私を背の後ろへ入れた。


 ルルナはこちらをキッと睨んだまま、目を潤ませた。

 わざとらしく震わせた声で――のわりに、よく通る声で、言い返す。


「酷いですっ……! 私が成り上がり男爵家の出だからって、そんな言い方……っ。可愛い猫ちゃんに私がそんなこと、できるわけないじゃないですかぁ! 虫も潰せないのに……!」

「――そうそう、ちょうどこんな紙を持っていたのですが、これはあなたが書いたものでは?」

「っ!?」


 ルルナの言葉を軽く流し、シスフォルトは上着のポケットから数枚の紙を出した。

 無表情のまま、内容を読み上げる。



「――月――日、場所は食堂。


 セバスチャンと私が歩いて来たところに、メルーシャ様がぶつかること。

 (ランチプレートをひっくり返し、私の制服を汚す)

 そしたら私が悲鳴をあげるので、メルーシャ様は、


『あら、ルルナ様! いらしたのね? 私の目には全然見えませんでしたわ。仮にも貴族のご息女であるというのに、存在感がなさすぎませんこと? 地味な女は、殿方に嫌われますわよ?』


 というセリフを嫌みったらしく言い――……」



 シスフォルトがペラペラ読み上げていくと、ところどころで、貴族たちから声がもれた。


『うわ、懐かしい! 俺その場にいたわ』

『彼女、高笑いがすごかったから、良く覚えているわ。やりとりも、この通りだったわね。思い出すわぁ、あの頃……』

『え? じゃあ、あれは芝居だったってこと? あの二人、なんでそんなことしてたんだ?』


 シスフォルトは次々紙を広げ、読み上げていく。


「このあたりの文は脅迫じみていますね。『猫ちゃんのお尻に火をつけてやりましょうか』。その次が、『猫ちゃんの尻尾、長すぎませんか? 短くしちゃおうかな!』。こんな文もありますね、『もし失敗したら、可愛い猫ちゃんの無残な姿を拝むことになりますよ、いいんですか? 私の命令は絶対です、したがってくださいね!』。他にもありますが、全部お読みしましょうか?」


 ルルナは冷や汗をかいていた。

 セバスチャンは目を丸くしている。


「ル、ルルナ? その、いじめの芝居というのは、本当なのか……?」

「そっ、そんなわけないじゃないですかぁ!! この人は嘘つきです!! わざわざいじめられたい人なんて、いるわけがないでしょう!?」


 シスフォルトは涼しい顔で、独り言のような言葉をもらした。


「そうですか。便せんから感じた魔力は、あなたのもので間違いないかと思ったのですが。では、こちらは筆跡鑑定へとまわしましょう。公正な立場の第三者へ任せることにします」

「えっ、まっ、待ってください……! そんな紙、誰かの悪戯でしょう!? 変なところに持って行ったって、あなたが恥をかくだけだわ……っ!!」


 ルルナの冷や汗は、顔全体を濡らすほどになっていた。

 ばっちりきまっていた愛らしい化粧が歪み、まぶたの形がおかしくなっている。


「そっ、それに! 猫ちゃんだっていつも元気だったじゃないですかぁ……!! 何にも酷いことなんて、起きていないわ!!」

「そうでしょうか? 粘着質なあなたの害意は、結構煩わしかったのですが」

「……え……っ」


 シスフォルトは、パチンと軽く、指を鳴らした。

 

 ――その瞬間。


 フワリと風が舞い、彼の体はキラキラとした光に包まれた。


 会場の中一杯に、歓声が上がる。

 光の粒子が舞う光景はとても美しく、私も思わず、「わぁ!」と声を上げてしまった。


 しかし光が散ったあとに現れたものを見て、また別の意味で、「わあっ!?」と声を上げることになった。



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