第285話 ありがとう、なんて言わないよ
風馬くんが作ってくれた真っ白の異空間が音を立ててひび割れる。私はイアンさんにお姫様だっこをしてもらって、異空間から戻った。
空中から浮遊し、イアンさんは私を抱いたまま地面に着陸。
一方、異空間の方で私とイアンさんの攻撃を受けて倒れたグリンさんは、落下の勢いに任せて地面に仰向けになっている。
「雪、おかえり!」
「おかえり、雪」
今まで空中に浮かんでいた異空間から離れた所に集合していた皆。そこから、風馬くんと亜子ちゃんがパタパタと走ってくる。
私も思い切り走っていって、その勢いで二人に抱きついた。
「ただいま、風馬くん、亜子ちゃん!」
いきなり抱きつかれた二人は、驚いたような顔をしていたけど、すぐに私の背中に手を回してくれた。
二人の顔の隙間から覗き見ると、イアンさんも鬼衛隊や天使に迎えられてホッとしたような笑顔を浮かべていた。
「雪、髪の毛……」
「え?」
亜子ちゃんに言われて毛先を見ると、栗色だった髪が本来の茶色に戻っていた。さっきグリンさんに剣撃を加えた時に、氷結鬼ルミの能力を全て注ぎ込んでしまったのだろうか。
いつの間にか、風馬くんも黒髪に戻っている。
「風馬くんもだ」
私が風馬くんに言うと、風馬くんは自分の短い毛先を何とか見て顔をほころばせた。
「本当だ。これでちゃんと元通りだな」
風馬くんがそう言った時だった。背後から、荒い息遣いが聞こえてきた。
「ハァ……ハァ……フゥ……!」
「まだ終わってない!!」
ありったけの能力を注ぎ込んでグリンさんに剣撃を加えた私とイアンさんに気を遣ってくれているのか、天使達__ルーンさん、フェルミナさん、フォレス、ウォルが私達を守るように前に出てくれた。
彼女達越しに見ると、傷だらけで血まみれのグリンさんがブルブルと腕を震わせながら起き上がろうとしているところだった。
警戒心を募らせ、純白の剣を構えるルーンさん。そんな彼女を、苦しげでかすれた声が呼んだ。
「ルーン」
「__!」
息を呑み、ヨロヨロと立ち上がるグリンさんの傷だらけの顔を、じっと見つめるルーンさん。
「余が、間違ってたみたいだ……。余に足りなかったものが、ルーンには足りていた……」
己を恥じるかのように、グリンさんが呟く。
「我はまだまだ未熟者だ。だが、そなたが間違っていたことを理解してくれたのなら嬉しい。今日からは、罪を償って__」
「ルーンは大丈夫だよ。だって、この僕と訓練を重ねてきたんだから」
ルーンさんはグリンさんの方に歩み寄り、手を差し伸べる。でも、グリンさんはそんな彼女の言葉を遮って笑顔を浮かべた。
「グリン……」
困惑したような声で、かつての戦友であり幼なじみを呼ぶルーンさん。
グリンさんがルーンさんに発した言葉は、どこか悲しげで儚くて。嫌な予感がした。
今までルーンさんを憎んでいたグリンさんが、敵視して殺そうとしていたグリンさんが、『大丈夫』とこれからの彼女を励ますような言葉を投げかけたのだから。
勿論、そのこと自体は嬉しいことだ。ルーンさんとグリンさんの関係が回復した、と思えば。
でも、何だかそんな喜ばしい雰囲気は感じられない。
グリンさんはいつもの余裕気な笑みを浮かべたまま、腰の鞘に差した剣を抜いた。漆黒に、復讐と恨みの色に染まっていた剣だけど、今ではその色が薄くなり、白に近い灰色になっている。
ルーンさんが刺されるのではないか。
そんな風に危惧したのだろう。フェルミナさんとフォレス、ウォルは素早くルーンさんの元に駆け寄っていく。
グリンさんはなおも笑みを絶やさぬまま、灰色に薄まった剣を振り上げた。
「ルーン!」
すぐさまフェルミナさんがルーンさんをグリンさんから数メートルほど遠ざけ、彼女達を庇うように双子天使が前に立つ。
ルーンさん以外の三人が警戒心を露わにする中で、ルーンさんだけが不安そうな表情だ。
グリンさんはそんな天使達を見つめたまま、鋭く光る刃を自分の胸部に向け、心臓の奥深く__魂の核に突き刺した。
「ぐっ!」
「グリン!」
顔を歪め、痛みに声をあげるグリンさんを見て、ルーンさんが叫ぶ。
「そなた……何をして……! ちゃんと生きて、自分の罪を償ってくれ……!」
ルーンさんの願いも虚しく、グリンさんはなおも剣を自分の胸__魂の核へ押し込んでいく。
パリパリ、パリパリ、とガラスが傷つけられるような音が響く。少し遠くに居る私にも届くほどの大きな音が。
「余は誰にも下されたりしない……。これは僕の意思だ」
グリンさんは荒い息遣いをしながらも、じっとルーンさんを見つめて視線を外さない。
「ぐ、ぐり……ん……?」
ルーンさんは信じられないと言いたげに、弱々しく声を漏らした。その直後、ガラスが割れる音がした。
堕天使の姿がどんどん薄く透けていって、やがて魂の核が空中に浮かび上がる。
ルーンさんは走っていって、空中に浮かんだグリンさんの魂の核を両手で包み込む。
__今までありがとう、なんて言わないよ。
ガラス玉からグリンさんの最期の声が木霊して、ルーンさんの手の中で悲しげに割れた。
「グリ……ン……」
ルーンさんは脱力したように、その場に崩れ落ちて膝をついた。小刻みに震える彼女の肩を抱くフェルミナさんも、そして呆然と立ち尽くすフォレスとウォルも悲しげに俯いている。
「グリンは……よくルーンと一緒に私達の村に来てくれていました。村に降る雪が人間界ではいつか必ず溶けてしまうのだ、と悲しそうに話してくれて。心の優しい天使なのだな、と思っていました……」
ルミレーヌ様が私の隣まで歩いてきて、過去のグリンさんとの思い出を語ってくれた。
グリンさん、氷結鬼の村にも人間界にも行ってたんだ。当たり前か、私とイアンさん達を引き会わせるのが目的だったんだら、色々と下調べとか偵察はするよね。
「僕も、一歩間違ったらグリンみたいになってたかもしれない……」
「……え?」
一体どういうことなのか、と言いたげな表情のキルちゃんが見上げてくるのをチラリと見やって一瞬だけ口角を上げ、イアンさんは肩を震わせて号泣するルーンさんを見つめながら、
「能力を制御しろって言われたのは、僕もグリンも同じだった。でも僕は皆のおかげで道を外れなくて済んだんだ」
イアンさんは振り返り、キルちゃん、レオくん、ミリアさんを見つめる。
そうか、イアンさんには鬼衛隊という存在と居場所があったけど、グリンさんには自分自身しか居なかったから、イアンさんは道を外れなかったけど、グリンさんは外れてしまったのか。
だから、嫉妬と憎しみが入り混じった感情を、ルーンさんへの復讐心を持ち続けてたんだ……。
復讐心や負の感情の赴くままに動いていたから、途中で殺したい標的が私やイアンさんにコロコロ変わっていった、と考えれば納得がいく。
グリンさんのこと、過去の復讐をしたいがために好き勝手に暴れてる酷い天使だって思ってたけど、彼の根っこの部分はもっと綺麗で純粋だったのかもしれない。
グリンさんのことも、ちゃんと助けたかった……。罪を償うために殺してしまった皆の分も生きてほしかった……。
せめて、安らかに眠ってください……!
私は両手を合わせて目を閉じ、そう祈ることしか出来なかった。




