第274話 弱いところ見せてください
イアンさんの表情は月影に隠れていて、あまりよく見えない。でも影で暗くなっているから余計にイアンさんの表情も曇っているように感じる。
イアンさんは私がまだ起きているのに気付くと、無理やり口角を上げてベッドの方へと歩いてきた。私も体を起こしてイアンさんを出迎える。
「大丈夫かい? 無理に体を起こさなくても良いんだよ?」
「大丈夫です。だいぶ回復してきました」
イアンさんは私の言葉を聞いて、安心したように笑みを浮かべたけど、
「お兄様とお姉様に伝えてきた。お父様もテインさんも王宮に戻ってきてないらしいから、やっぱり……」
無理やり作られた笑みは呆気なく消えた。当然だ。実の父とその秘書を同時に亡くしたんだから。
目を伏せるイアンさんの姿がいたたまれなくなって、私も目線を下げてしまう。
「ごめんなさい……!」
「ユキは悪くないよ。謝らないでくれ」
イアンさんが私の両手を優しく包み込んでくれた。普段は暖かいはずのその手が、今日は氷のように冷たかった。
「でも……っ!」
後悔の念が湧き上がってきて、また涙が溢れてくる。
「大丈夫。大丈夫だよ」
イアンさんは私を引き寄せ、頭を撫でながら抱きしめてくれた。
「僕が……ウィスカー隊長の作戦にのっちゃったからだ……。事前に闇の能力が暴走して自我を失うかもしれない、って言われてたのに。それでも自分は大丈夫だって甘く見てた。自分を過信しすぎてた……」
大きく息を吐いてから、イアンさんは続ける。
「使い手五人分の能力の一部で引き出された闇の能力なんだ。相当強くて厄介だったよね」
イアンさんの赤い瞳に見つめられて、私は正直に言うしかなかった。ここで嘘をついても、イアンさんの心が晴れるわけじゃない。むしろ嘘を言われた悲しみの方が強くなるだろう。
「は、はい……。皆も手に負えない感じで、正直ちょっと危なかったです」
「そんな危険なものを全部吸収してくれたんでしょ? お父様もテインさんも。消滅するに決まってる」
頭上から、イアンさんが鼻をすする音が聞こえた。
「何で、そうなるかもしれないっていう可能性を考えられなかったかな……。もう誰も死なせないって誓ったのに……! 前よりも失った命の数が多くなってる。あの三人組も、お父様もテインさんも……それにユキだって危なかった。何で僕は守れないかな……」
イアンさんの声が震えていた。震えながら上ずっていた。今まで聞いたこともないくらい、悲しみと悔しさに満ちた声だった。
「イアンさん……」
「ごめん……本当に申し訳ない……!」
イアンさんは私から体を離し、でも私の手だけはギュッと握ったまま、床に膝をついてベッドの布団に頭をつけた。肩甲骨の辺りまで伸びたサラサラの黒髪を、私はゆっくりと撫でる。
「イアンさん、泣いて良いですよ。感情を抑えて我慢するのはよくないです」
私がそう言うや否や、イアンさんの赤い瞳が潤んで大量の涙が溢れてきた。
「お父様っ……! テインさんっ……!」
嗚咽混じりに、肩をさっきよりも小刻みに震わせながらイアンさんは言う。
「泣いたら駄目だって思ってたんだ。僕が泣いたら皆まで悲しくなっちゃう。でも無理だ……。我慢できなかった……。ユキには強いところしか見せたくなかったんだけどな……」
何故、悲しみを堪えられないのか。そう言いたげに、イアンさんは自嘲気味に笑う。でもその笑いは声に出された笑いではなく、かすれるような消え入るような、小さな呟きにも似たものだった。
「____強くならないでください」
あの時、イアンさんを庇ってグリンさんに刺され、朦朧とした意識の中で口にした言葉を、私はもう一度イアンさんに伝える。彼がハッと息を呑む音がするのを聞きつつ、
「勿論、強くてカッコいいイアンさんの方が素敵です。でも自分の弱さや本当の気持ちを隠してまで強くなろうとしないでください。良いんです、私の前では強くならなくて。そのままのイアンさんで居てください」
「ユキ……」
イアンさんは号泣しながら、私を見上げて赤い瞳を潤ませる。
「それにほら、不公平じゃないですか。私ばっかりイアンさんにカッコ悪くて弱いところ見せて、イアンさんは少しも見せてくれないなんて。だからイアンさんも、私にどんどん弱いところ見せてください」
「ありがとう……」
「こちらこそ、元に戻ってくれてありがとうございました」
目を細めて、目尻から涙をつたらせるイアンさんに軽く礼をして、私も感謝の言葉を述べた。
「そういえばその姿、お父様に変えてもらったのかい?」
イアンさんは改めて私の姿をまじまじと見つめた。
普段茶色の髪は栗色のような薄い色になっており、衣装もグレースやルミレーヌ様が纏っているような真っ白のワンピース。イアンさんには制服姿しか見せたことがないため、今の私の姿はとても新鮮だろう。
尤も、これが百パーセントの『村瀬雪』の姿、というわけじゃないから、イアンさんに私服姿を見せたらもっとびっくりされるかもしれない。
そんなことを妄想しつつ、私は顎を引く。
「はい。どうしても皆の役に立ちたくて」
眠りについてから髪色が元の黒色に戻った風馬くんとは違って、私の髪色はまだ栗色に近い薄茶色だ。風馬くんの神様の力は覚醒したものだけど、私の場合は元々の姿との融合体による力だから、それによる違いなのだろうか。
「ブリス陛下が託してくれたこの能力……。これが消えるその時まで、精一杯頑張ります」
私が胸に拳を当てて宣言すると、イアンさんが哀しそうに口角を上げた。
「ユキのことは絶対に僕が守るんだって思ってたのに、今日はユキに守られて、助けられてばっかりだった……」
「良いじゃないですか。イアンさんには今まで数え切れないほどたくさん守ってもらってきましたから、そのお返しです。私に出来ることって言っても限られてますけど」
「ううん、そんなことない。それにどんなに小さなことでも、僕は嬉しいよ」
首を横に振り、私の両手を握る力を込めるイアンさん。私もイアンさんの両手を握り直しつつ、
「苦しい時、辛い時は私が助けになります。だから安心してくださいね、私の英雄」
「何かそれ、どこかで聞いた気がするな」
『英雄』という言葉を聞いた瞬間、イアンさんがポッと頬を赤らめた。そして少しだけ目線を外す。
怪物化していた時に必死に叫んだのは何となく覚えてるけど、まさかイアンさんの記憶の断片にも残っているのだろうか。私が一時的に『氷結鬼ルミ』になった時、『信じてるよ』と言ってくれたイアンさんの言葉を覚えているのと同じように。
「……イアンさんに面と向かって言うのは初めてですよ?」
あの『怪物』はイアンさんじゃないからね。闇の能力が暴走してイアンさんを乗っ取ってただけ。
「そっか。ありがとう」
イアンさんは照れくさそうに笑いながら、お礼を言ってくれた。




