第250話 イアンがつけるべき優先順位
イアン視点の三人称です!
イアンは、動かなくなった少女__村瀬雪を抱いたまま、震える声を漏らした。
「ユキ……ユキ……」
今までずっしりと重かった雪が、急に軽く感じ始めた。彼女はイアンの腕に首を預けているのに、その重さが全く感じられないのだ。
そして今しがた意識を失ったばかりの雪の脇腹からは、相変わらず赤黒い液体が流れ出している。
「その人間が死んでそんなに悲しいのかい? 理解出来ないなぁ」
「グリン・エンジェラ……!」
さも不思議と言わんばかりに首をかしげる銀髪の天使を、誠が睨みつける。
グリンが持つ純白の剣の刃には、赤黒い血液が付着している。
イアンが今抱いている、少女__雪のものだ。
滴り落ちる血を目にしたことで、雪が刺されて意識を失ってしまった事実を正面から突きつけられた気がして、イアンは叫ばずにはいられなかった。
自分の腕で小さな体を抱きしめ、言葉では言い表すことの出来ない悲しみをぶちまける。
「イアン様、傷口が塞がりません!」
「そもそも出血が……!」
雪が倒れた直後から俊敏に反応し、回復魔法と治癒魔法を施してくれていた吸血鬼__ミリアとテインが声をあげる。
彼女達は雪の脇腹に両手をかざし、その両手から温かな光を放出して雪を包んでくれている。
だが、雪の脇腹から出ている血は、そんな彼女達を嘲笑うかのごとく止まってはくれない。
「何で……何でだよ、ユキ! 今までは回復魔法で何とかなってたじゃないか!」
もういくら叫んでも目を開けない雪に、イアンは言葉を投げかける。
今まで何度も、雪は死にそうになったことがあった。
人間界での訓練中、イアンが避けてしまった攻撃に当たりそうになった時。
天界の天兵軍____双子天使のフォレスとウォルからキル、レオ、ミリアを庇ってくれた時。
人間界での夏合宿で、キラー・ヴァンパイアの三人に襲われたスピリアを庇った時。
勿論、その場その場で雪を回復出来たのは、ミリアの回復魔法、テインやブリス陛下の手当て、誠達VEOの手当ての賜物だが。
その度に意識を取り戻して、いつもの可愛らしい笑顔を向けてくれたのに____。
「イアン、余とルーンの気持ち、分かってくれたかい?」
水を差すようなグリンの問いかけが、イアンの鼓膜を震わせてくる。
「____」
イアンは答えられなかった。痛いほどに、その気持ちが分かったからだ。
「自分と親しい人を殺された悲しみ……。余達もそんな気持ちだったんだよ?」
「でも……だからってユキを……」
反射的に、そう口にしてしまう。雪には何の罪も無いのに、と。
すると、イアンの言葉に腹を立てたグリンが荒々しい叫び声をあげた。
「まだ言うか! 余達の気持ちを理解したかしてないか、どっちだって聞いてるんだ! 貴様のどうでも良い嘆きなど要らん!」
「【氷柱針】!」
詠唱とともに氷の針がグリンを襲い、グリンはイアンへ突っ込もうとしていた足を止めた。
「ぐっ……! 何だよもう!」
いくらか刺さった氷柱を払いつつ前を見たグリンの瞳が、分かりやすく見開かれた。
イアンや雪、誠達を庇うように、二人の氷結鬼が立っていた。
そのうちの一人____白い長髪に赤い瞳の、小柄で大人しそうな少女が声をあげる。
「やっと見つけたわよ! あんたが変なことして村の皆を操ってる奴ね!」
ビシッと銀髪の天使を指差し、怒りをむき出しにする少女。
「グレース……」
イアンの呟きに振り返った少女____グレースは、イアンの腕に抱かれた雪を見て顔を青くした。
「ユキ……? ユキじゃない! どうしたの! その怪我!」
「あいつにやられた。何をされたかは分からんが、傷も塞がらないし出血も止まらないらしい」
「そんな……!」
誠の言葉にグレースは目を見張り、今も諦めずに回復魔法を施してくれているミリアとテインは、申し訳なさそうに顔を伏せた。
すると、もう一人の氷結鬼____白い長髪に黄色い瞳で、頭から黒いツノを生やした大人の女性がイアンの前にしゃがんだ。
「すみません、少し失礼しますね」
氷結鬼は雪の傷口にそっと白い手をかざすと、柔らかな声で詠唱する。
「【雹氷】」
「ルミレーヌ様、一体……?」
グレースが氷結鬼____ルミレーヌを見上げる。
ルミレーヌの手からは白色の霜のようなものが放射されていて、雪の脇腹から流れ出る血がどんどん白くなっていく。
「す、すごい……!」
イアンは思わず息を呑んだ。あれだけ止まってくれなかった血が、ルミレーヌの魔法で凍らされたことで完全に止まっている。
「これで傷口自体を凍らせました。少しだけですが時間を稼げると思います。今のうちにここから離れてください」
ふぅ、と短い息をついてから、ルミレーヌは黄色い瞳でイアンを見つめてくる。
彼女の言う通り、これはただの時間稼ぎだ。雪の脇腹の出血が完全に止まったわけではない。
このままずっとこの場に居れば、いずれ氷は溶けてまた出血してしまうだろう。
分かっていた。分かり切っていることだ。
それでもイアンの胸にあるのは、雪を刺したグリンへの沸沸とした怒りだった。
「で、でも、あいつはユキを……」
ルミレーヌは白くてひんやりした手で、優しくイアンの肩に触れてくる。
「落ち着いて。今はユキの命を守ることが先決です」
彼女の言葉に、イアンはハッと我に返った。
確かにそうだ。今ここで時間を浪費しても、雪にとっては何もプラスに働かない。
それにルミレーヌがせっかく凍らせてくれた傷口を、もう一度開いてしまうことになりかねない。ここは一旦家に戻って、雪の手当てにあたるのが一番ではないか。
「……分かった。すまない!」
イアンはギュッと一度目を瞑ると、雪を抱いたまま家へ猛ダッシュした。
その後を、誠、キル、レオ、ミリア、後藤家、風馬が走ってついてきてくれていた。
「ユキ、もう大丈夫だからね。家に着いたらすぐ手当てをするから」
腕の中の雪は目を瞑ったままで、何も反応を返してくれなかった。




