第221話 幸せの外側で
「我のせいで……そなたが変わったのか……?」
ルーンさんは、とても信じられないといった表情で瞳を揺らしている。
グリンさんに怒号をあげられ、自分でも真偽の区別が曖昧になっているのだろう。
「ああ! そうだよ! ルーンのせいで余は、地獄を味わったんだ!」
「ど、どういうことだ!? 我がそなたに何かしたというのか……?」
「今更思い出そうとしなくて良いよ。どうせ思い出せないんだ。それに、やった方はすぐに忘れるからね。やられた方の気持ちなんて頭にない」
「まっ、待ってくれ! 我が何かしたのなら謝る! だから、昔何があったのか、教えてくれないか!?」
「ほら、忘れてるじゃないか!!」
グリンさんの叫びに、ルーンさんがビクッと肩を縮める。
怒りのあまり叫んだグリンさんは、ルーンさんに向かってハンマーを振り下ろした。
再び、ルーンさんの頭上に丸太のような陰ができる。
でも、衝撃的な事実を告げられたルーンさんは、そんなことには気付いていなかった。
絶望的な表情で瞳を揺らしながら、その場に立ち尽くしている。
きっと、頭が真っ白になっているのだろう。
また、ルーンさんが傷付いてしまう。そう思った時だった。
「ルーン!」
ルーンさんに向かって振り下ろされたハンマーを素手で受け止めたのは、彼女の第一部下であり、幼なじみのフェルミナさんだった。
「しっかりして!」
フェルミナさんの叫びに、ルーンさんはハッと目を見開いた。
「グリン様! ルーンと話が通じ合っていないのに、一方的に彼女を攻撃するのはおやめください! 何の解決にもなりません!」
なおもハンマーを受け止めつつ、その向こう側に居るグリンさんに向かって訴えかけるフェルミナさん。
「……うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさい‼︎」
グリンさんは狂ったように叫び、さらにハンマーを下ろす力を強めた。
その証拠に、押されたフェルミナさんの足がどんどん後ろに下がっていっている。
「貴様達には分からない! 余がどれだけ苦しい思いをしてきたか! 余がどれだけ我慢をしてきたか!」
すっかり暗くなった空に三日月が浮かび、片手で顔を覆うグリンさんを青白く照らしている。
いつのまにか、フェルミナさんを押し込んでいたハンマーは消えていた。
おそらく、グリンさんが武器を戻したのだろう。
急に攻撃してくる武器が無くなって、フェルミナさんもルーンさんも明らかに驚いているようだった。
そんなことには気が付かずに、俯いたグリンさんは声を震わせて涙を浮かべる。
「……阿鼻叫喚。誰も余を助けてくれない。余の苦しみに気付いてくれない」
そして涙を流したまま顔を上げてルーンさんを見つめ、
「そなたはずっと幸せの中に居たからな。その外でどれだけ余が地獄の日々を過ごしていたか、気付くはずがないんだ」
黒みがかった羽を背中から生やして、それをバタバタと羽ばたかせると、暗い夜空へ舞い上がっていった。
「グリン……」
星一つないくすんだ夜空を見上げながら、ルーンさんはポツリと呟く。
「な、何とか諦めてくれたみたいね」
「いや、諦めたわけじゃないはずだ」
よろりと起き上がったキルちゃんの言葉を否定し、イアンさんがルーンさんと同じように天を仰ぐ。
「これは僕の推測だけど、これ以上この場に居て天兵長の顔を見るのが辛くなったんだろうね」
本当に辛そうな表情をしながら、涙まで浮かべていたグリンさん。
そんな彼を思い返すと、イアンさんの推測が正しいと思えてくる。
「る、ルーン⁉︎」
不意にフェルミナさんの驚いた声がして、私達がその方向を見ると、ルーンさんが地面に膝をつけてへたり込んでいた。
「す、すまない……。少し力が抜けてしまって……」
無理やりに笑みを作りながら、情けなく笑うルーンさん。
フェルミナさんはそんな彼女を支えながら立たせると、
「すみません、先にベッドに戻らせます」
イアンさん達に向かって会釈をし、ルーンさんと共に家の中へ戻っていった。
「皆、ユキも、大丈夫だったかい?」
イアンさんは天使二人を見届けてから、私達のことを心配してくれた。
「ありがとう、私は大丈夫。こういうのには慣れてるから」
「俺もです。大したことないんで」
「私も自分の治療魔法を施せばすぐに治ります。あ、皆様にも施させて頂きますので」
キルちゃん、レオくん、ミリアさんが順番に答える。
「ありがとう、ミリア」
イアンさんはミリアさんに向かって微笑んだ後、私の方に向き直った。
「ユキは? 大丈夫?」
「はい! 大丈夫です!」
急に尋ねられて、私は思わず弾かれたような大声を出してしまう。
優しいイアンさんのことだから、私にも声をかけてくれるだろうということは想像できていたはずなのに。
「良かった。でも、ユキもミリアに治療してもらわないとね。すり傷だらけだ」
自分もすり傷だらけのイアンさんはそう言うと、私の手を握った。
「ひぇっ⁉︎」
反射的に、どこから出したのか、と驚かれるほどの変な声が出てしまう。
イアンさんは吸血鬼だけど、それでも異性の方から手を握ってもらえるなんて初めてだから……。
王宮から風馬くんと脱出する時は、何と言うか、二人で同時に握った感じだったし。
あれはノーカウント。あの時も結構ドキドキしちゃったけど。
ああ、また心臓がバクバクしてきちゃった……!
「家に戻ろうか」
「は、はい!」
イアンさんに手を引かれ、私は家へと歩みを進める。
暗い夜空の中に佇むログハウスの窓を見上げると、幸せに満ちた温かいオレンジ色の明かりが灯っていた。
久しぶりに見る夜の鬼衛隊のログハウスは、ごく当たり前のように私を受け入れてくれているみたいに感じた。




