第214話 最後に笑うのは
「ほらほら、潰れちゃうよ?」
グリンは丸太のようなハンマーを振りかぶり、フェルミナの頭上に影を落としてくる。
「くっ……!」
地面に散乱した無数の白い羽に目をやりつつ、フェルミナは大きく後ろに飛ぼうと地面を蹴り上げた。
いつもなら、何てことのない動作。しかし、
「と、飛びづらい……」
右側の羽がたくさん抜けて少なくなっているからか、浮遊感を覚える間もなく地面に着地してしまう。
攻撃を避ける際にも、飛んで避けるのが普通だったフェルミナ___というより天使全般にとっては痛手だった。
逃避手段である羽を半数以上も抜き取られてしまったのだから。
「ほらっ! ほらっ! ほらあっ!!」
次々に振り下ろされていくハンマーを必死に避けるフェルミナ。
しかし、グリンはだんだんとハンマーを振り下ろす位置を変えてきた。
具体的に言えば、ハンマーでフェルミナを直接殴り始めたのだ。
「うっ!」
額部分を殴られ、フェルミナは大きく後ろに倒れてしまう。
頭がクラクラとしていて、殴られた箇所がジンジンと痛む。
そっと額に手をやると、指の先に赤くドロッとした液体がこびりついていた。
___血。
フェルミナは瞬間的にそう察した。
「休んでる暇なんてないでしょ!? 正々堂々勝負するんだよね!!」
グリンはなおも、フェルミナを煽るような口調で叫んでくる。
「くっ!」
片方の羽に穴が空いても平然としている銀髪の天使を睨み付け、フェルミナは悔しげに唇を噛む。
受けたダメージはさほど変わらないはずなのに、何故こんなにも自分の方が劣勢を強いられているのか。
実力の差であると言われてしまえばそれまでだが、たとえそうであったとしても信じられない。
フェルミナはグリンが振るうハンマーから必死に逃げながら、頭の中がそんな疑問でいっぱいになるのを感じた。
「逃げてばっか。正々堂々の勝負にならないけどね!」
「ああっ!!」
グリンの振るったハンマーは、容赦なくフェルミナの身体を叩いてきた。
衝撃と痛みが同時に襲ってきて、たまらずフェルミナは地面を転がる。
「フェルミナ!」
背後で、ルーンが叫ぶ声が聞こえる。
これ以上は下がれない。
これ以上圧されてしまえば、今度はルーンにまで危険が及ぶ。
それだけは絶対に避けたい。避けなければならないのだ。
フェルミナは弾かれるように起き上がると、拳銃に弾を籠めて構えた。
額部分を負傷しているせいか、まだ頭がクラクラとしている。
それでもルーンの、幼なじみのためだ。
何より彼女は、フェルミナ達をいつも支え励まし、助けてくれる天兵長なのだから。
そんな彼女のためなら、フェルミナ自身はどうなっても構わない。
「大丈夫よ、ルーン。少し不意を衝かれただけだから」
瞬時に身を起こし、楽しそうにニコニコと笑うグリンを視界にとらえるフェルミナ。
「だ、だが……!」
そうは言っても、やはりルーンには信じてもらえない。
それも仕方がないことだろう。
目の前でハンマーで殴られて羽も千切られた幼なじみが、それでも大丈夫だと言い張ってまた立ち向かおうとするのだから。
誰だって止めたくなるに決まっている。
しかし、実際にはフェルミナにもグリンに勝てる自信はなかった。
自分が粘って戦い続ける分には何も困らないが、ルーンの怪我も決して浅くはない。
このまま放っておけば手遅れになってしまうだろう。
ギリギリまで戦い続けることを念頭に置き、それでも限界を迎えてしまった時は一刻も早くあの天使から逃げよう。
フェルミナはそう決めつつ、再びグリンの方へ走っていく。
「まだ来るの? しつこいね」
呆れたような口調。諦めろと言っているかのような言葉。それでもその言葉を発するグリンには笑顔が宿っている。
この戦いそのものを純粋に楽しんでいるかのような、無邪気な笑顔が。
「勿論です。私がルーンを守ると決めましたから!」
叫び、フェルミナは引き金を引いて銃弾を発砲する。
パァン! と鼓膜をつんざくような高い音が廃墟中にこだまする。
その銃弾は惜しくも、グリンの透き通るような銀髪を数本なぎ払うだけにとどまった。
「おっと、危なかった」
グリンは驚いたような表情を浮かべる。しかしそれも、フェルミナからしてみれば薄っぺらい反応に思えた。
本当に、心の底から命の危機を感じたわけではないだろう。
それでも良い。フェルミナの目的はグリンを殺すことではない。
彼からルーンを守り抜くこと。そして、彼の中で芽生えている『ルーンを殺す』という意思を消し去ることだった。
だから銃弾が当たる必要はない。威嚇射撃として成立していれば、何の問題もないのだ。
このままグリンがフェルミナとの戦闘に飽きでもして、身を引いてくれるのが最も望ましい結果なのだが……。
「そなたが頑張ってるなら、余も頑張らないとね!」
現実は、そう簡単に都合の良い方向には進んでくれないものである。
フェルミナの強い意思表示に感化されたのか、逆に闘志を燃やしてしまったグリン。
ハンマーを振り下ろす速さを極端に速め、攻撃力も上げてくる。
腕に、胸に、腹に、足に。
ハンマーの力強い打撃が休む間もなく襲いかかってくる。
受け身を取るのが精一杯だ。とても反撃する隙など与えてはくれない。
そして、ついに___。
「がぁっ!!」
ハンマーがお腹を直撃し、フェルミナはその拍子に吐きそうになってしまう。
それでも何とか堪えていると、続けざまに横殴りされて壁へ激突。
壁をつたって力なく崩れ落ちたところを、鎧兜の緣を掴まれて無理やり起こされる。
次の瞬間には、雷が脳天を貫くほどの衝撃に襲われた。
頭部を強くハンマーで殴られたのだと分かった時には、フェルミナの身体は冷たい床に横たわっていた。
その間にもグリンは躊躇なく歩み寄ってくる。既に虫の息の獲物に止めを刺そうとする獣のように。
反撃しなければ。脳がとっさにそう思考する。
しかし、果たして反撃は通用するのだろうか。そんな疑問が思考の邪魔をする。身体中をジンジンとした痛みが襲う中で、的確な攻撃など出来るものだろうか。
___もう、限界だ。
フェルミナは、そう結論付けた。
これ以上戦闘を長引かせても、フェルミナ側には何のメリットも生まない。
体力を削られ、痛みが増えて、身体的なダメージの増大に繋がるだけである。
だから。
フェルミナは踵を返した。その手にルーンを抱き、背中から羽を生やして地面を蹴る。
右側の羽は半数以上失ってしまったが、それでも飛行できない訳ではない。ギリギリまで踏ん張れば、何とか逃げられるはずだ。
ルーンを抱いて廃墟を飛び出すフェルミナの耳に、優しげな声と小さな笑い声が聞こえてきた。
「せいぜい頑張って足掻くことだね。最後に笑うのは余なんだけど」
クスクス、クスクスと___。




