第206話 悲痛な懇願
隊長!? この髭の吸血鬼が!?
今の鬼衛隊長はイアンさんだから、この吸血鬼は前の鬼衛隊長……。
「イアン……」
床にひざまずく髭の吸血鬼は、呆然と立ち尽くすイアンさんを振り仰いで弱々しい声を発した。
「隊長……どうして……」
イアンさんは首を横に振り、悔しそうに歯を食いしばる。
何故、あなたが天使やハイト達と一緒に居るのか、と問いたげに。
「ち、違うんだ、イアン」
でも、ウィスカー隊長の口から発せられたのは否定の言葉だった。
「違う、わたしは違うんだ」
同じ言葉ばかり口にする隊長。
そして、彼は床を這ってイアンさんの腕を掴んだ。
「______助けてくれ! わたしは違う! こいつに……この天使に脅されたんだ! だから仕方なく……頼む! わたしを助けてくれ! イアン!」
怯え、震え、イアンさんに懇願するウィスカー隊長。
「た、隊長……!?」
イアンさんは困惑した表情でウィスカー隊長を見つめていた。
「得手勝手。自分の都合しか考えてないね。ウィスカー」
グリンさんは腕を組んで息を吐くと、
「余が脅しただなんて嘘ついて。いい加減なこと言わないでくれるかな⁉︎」
ウィスカー隊長の方へズカズカと歩き、彼の胸ぐらを掴んで自分の方へ引き寄せた。
「ぐっ……!」
胸ぐらを掴まれたウィスカー隊長は、苦しそうな呻き声をあげる。グリンさんの手を振り払うことも、強引にグリンさんの束縛から逃げ出そうともせずに。
何も抵抗できないほどに、脅され続けて身体も心もボロボロにされたのだろう。
「やめてくれないか、グリン」
不意に、低い声が響いた。他でもない、イアンさんの声だった。
イアンさんはグリンさんに鋭い視線を投げかけたまま、彼の手首を掴んでウィスカー隊長の胸ぐらから外した。
息が詰まる苦しみから解放されたウィスカー隊長は、床にペタンとへたり込んで激しく咳き込んでいる。
一方、イアンさんはまだグリンさんの手首を掴んだままだった。そのままの態勢でお互いが見つめ合っている状態。イアンさんの方は真剣だけど、グリンさんは笑みを浮かべていた。
「何がどうなって君と隊長が一緒に居るのか、僕には分からない」
イアンさんが口を開いた。
「でも隊長が僕に助けを求めている以上、僕は隊長を助ける。勿論、ハイト達もキルも連れて帰る。だからこれ以上余計なことはしないでくれ」
「余計なこと? 余が何をしようが余の勝手でしょ。君にとやかく言われる筋合いはないよ」
訳が分からないというふうに笑みを浮かべるグリンさん。
そんな彼を諭すように、イアンさんは続ける。
「グリン、君は天使なんだろ。天使が亜人界に入り浸ってどうするんだ。早く天界に帰ってくれないか」
「あいにく、その天界からも追い出されてね」
「だからって、吸血鬼を脅して配下にしたり傷付けたりして良い理由にはならない」
イアンさんの言葉に、グリンさんは肩をすくめる。
「亜人界の皆を傷付けてる君が、よくも一丁前に言えたものだね」
「どういうことだ」
イアンさんに掴まれている手首を振り払い、グリンさんはにこりと微笑んだ。
「まぁ、それはそのうち分かるよ」
グリンさんの言葉に、イアンさんが怪訝そうな表情になる。
このまま言い争いが続くのかと思ったけど、イアンさんはそんなことしなかった。
「ユキ」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれて、私は弾かれたようにビクリとしてしまう。
イアンさんは私の方を振り返らず、グリンさんを見つめたまま言った。
「キルをお願い」
「分かりました!」
私はイアンさんとグリンさんの脇を走って、床に倒れているキルちゃんに駆け寄る。
「キルちゃん! 大丈夫⁉︎」
抱き起こして声をかけると、目を瞑っていたキルちゃんが目を開いた。
キルちゃんはまだうつろな黄色の瞳で、私を視界に捉えると、
「ユ……キ……」
弱々しい声で、それでもしっかりと私の名前を呼んでくれた。
良かった。完全に意識を失ったわけじゃなかった。呼吸も弱いけどとりあえず安心だ。
「もう大丈夫だよ。一緒に王宮に帰ろう」
キルちゃんは口角を上げて頷いてくれた。
それから私はキルちゃんの腕を自分の肩の方に回し、彼女の腰辺りを支えて立ち上がらせる。そこから足に力を込めて踏ん張って、キルちゃんをおぶった。
幸い、キルちゃんの体重は私よりも軽かったので、よろけずに彼女をおぶることが出来た。
イアンさんの方まで走ると、イアンさんは『ありがとう』と言うように微笑んでくれる。それから表情を引き締めると、ハイト達の方に向き直った。
「君達にも、王宮に戻ってもらうよ」
口調こそ優しいものの、その声音は普段の優しいイアンさんのものじゃない。
未だその場から一歩も動こうとしないキラー・ヴァンパイアの三人。
イアンさんの言葉を聞いたハイトが、歯を噛みしめる。
「チッ、何なんだよテメェ! 俺は帰らねぇからな!」
「ハイト」
彼をたしなめようとするイアンさん。でもそれより早く、声があがった。
「……俺も帰らん」
「私もよぉ。悪いけどぉ、素直に帰ってあげられるような気分じゃないわぁ」
スレイとマーダも、王宮に戻ることを断固拒否してきた。
どうしよう、これじゃ本当に帰れないよ。私はキルちゃんをおぶるので精一杯だし、イアンさんだってウィスカー隊長を連れて帰らないといけない。
それにここでいくら粘っても、三人は絶対に折れてくれないだろうし。
心苦しいけど、三人はここに置いておくしかないのかな……。
でも、現実は違った。
イアンさんは、断固拒否をして動かないキラー・ヴァンパイア達に向かって手をかざすと、静かな声で詠唱した。
「【魔法陣】」
すると、三人の足元にあの魔法陣が描かれた。
「ハ?」
「……魔法陣、だと」
「ちょ、ちょっとぉ! 何よこれぇ!」
三人はそれぞれ声をあげるけど、一度描かれた魔法陣が途中で消えたりはしない。
魔法陣から淡い水色の光が放たれ、みるみる三人をその中へと引きずり込んでいった。
魔法陣の光も、魔法陣自体も消えた時には、この部屋にキラー・ヴァンパイア達の姿はなかった。
「へぇ、そんなことも出来るのか」
グリンさんが感心したように腕を組む。
そういえば、私が最初VEOの基地でキルちゃんから逃げてた時があった。
その時も、私を亜人界に転移させたのはイアンさんだった。
そうか、何も心配しなくても、イアンさんは他人を転移させることも出来たんだ!
「天使は魔法陣なんて使わないからね。瞠若驚嘆。驚きだよ」
イアンさんはグリンさんの言葉には反応せずに、彼に背を向けて言った。
「ユキ、帰るよ」
「は、はい!」
既に出口に向かって歩き始めたイアンさんを、私は慌てて追いかける。
と、イアンさんは急に立ち止まった。
「ああ、そうだ」
首だけでグリンさんの方を振り返ると、憎しみのあまり赤く光った瞳で彼を見つめる。
「キルを傷付けてくれたお返しは、ちゃんとするから」
宣戦布告。それでも、グリンさんはニコニコと笑っていた。




