第189話 守るのが私の役目なんだから
祈るように言うと、ハイトが片頬をつり上げた。
「俺が俺を傷付けてるだと? どこを見りゃ、んなこと分かんだ______」
「分かるよ! ハイト……すっごく苦しそうな顔してる」
「なっ……!?」
ハイトは眉を寄せ、目を大きく見開いて、私の言葉に本気で驚いているようだった。
今でこそハイトは驚いた顔をしているけど、さっきまでは苦虫を潰したようなくしゃくしゃの顔をしていた。
本当に苦しそうで、『早くこんな地獄から抜け出したい』と願っているような表情。
彼の内にある後悔や悲しみを全て物語っているような表情。
だからこそ、私には彼が苦しそうにしていることが伝わったのだ。
「誰かを傷付けちゃう時に、自分も苦しくなって傷付いてるんじゃない? 本当はこんなこと止めたいって思ってるんじゃない?」
少なくとも、マーダは後悔していた。
キラー・ヴァンパイアという種族にさえ生まれなければ、今頃温かい家族も温かい家もあって、何不自由なく幸せに暮らせていたはずなのに。
その言葉をぼやいた心の中では、きっと涙を流していたはずだ。
彼女の顔も、すぐにでも泣いてしまいそうな顔をしていたから。
だから、私はハイトに訴える。
「ねぇ、ハイト。誰に何を命令されたのか私には全然分からないけど、まだ今なら取り戻せるよ。あなたの綺麗な心も全部」
ハイトの瞳が揺れていた。
「……ね?」
もう一度念を押すように尋ねると、ハイトはうなだれたように俯いた。
「____か」
「え?」
あまりにも小さな声だったので聞き取れず、私は聞き返してしまう。
もう一度顔を上げた時の彼には、後悔や悲しみといった負の感情が消えていた。
その代わりに、怒りの炎が確かに燃えたぎっていた。
「いい加減にしてくれねぇか。そうやってあることないこと、ぐちゃぐちゃ言いやがって……!」
「え? ハイト______ぐううぅっ!! ううっ!!」
彼の名前を呼んで理性を取り戻させようとしたのも束の間、ハイトはまた私の首を力強く締め付けてきた。
「雪!」
「村瀬!」
亜子ちゃんと風馬くんが一緒に叫ぶ。
「あんた本当に______」
「だから動くなっつってんだろうが!! コイツが死んでも良いのか!!」
亜子ちゃんの言葉を遮って、ハイトが声を荒げた。
でも、亜子ちゃんも負けていない。
「どっちみち殺すつもりなんでしょ!? そんなこと、絶対させないから!」
ハイトはその言葉に対抗するように、
「なら、今すぐコイツの息の根止めてやる!」
「その前に、あたしが助け出すわよ!」
二人が叫び合った直後だった。
「ハイト! これ以上乱暴しないで!」
高い声が、キルちゃんの声が聞こえてきた。
「るせぇな! 裏切り者が! 黙ってろ!」
かつての仲間、今も同じキラー・ヴァンパイアという種族に属しているキルちゃんに向かって、ハイトは怒りをむき出しにする。
キルちゃんは少しだけ下唇を噛んだ後、
「もう勝負はついたわ! あなた達の負けよ!」
「なっ……!?」
意外な勝負の結果に、ハイトの目が大きく見開かれる。
そのままハイトは私の首から手を離して、弾かれたように王宮の中へと走っていく。
「______っ!!」
支えがなくなって、私は変な浮遊感に襲われる。それもほんの一瞬のことだった。
「雪! あっ!!」
亜子ちゃんが私を呼ぶけど、何かあったのか叫び声をあげる。
「……っ!」
短い息遣いを感じておそるおそる目を開けると、目の前に飛び込んできたのは、
「風馬……くん……」
風馬くんの優しい笑顔だった。
「村瀬……」
風馬くんは心から安心したというような表情で、私を横抱き、つまりお姫様抱っこしてくれていた。
その事実に気付いたとたん、急激に顔が火照り始める。
助けてくれたのは本当に本当に嬉しい。風馬くんが私のことを受け止めてくれなかったら、私は間違いなく地面に落下していた。
下手したら頭打ってそのまま意識不明、なんてことも充分にあり得た。
そんな事態を回避できたのは、紛れもなく風馬くんのおかげ。
だけど……恥ずかしい! 人生二度目のお姫様抱っこ!
しかも風馬くんに……! ううう……!
「雪、大丈夫?」
「亜子ちゃんも、ありがとう……」
「ごめん、助けに行こうと思ったらあいつにぶつかられて」
亜子ちゃんが親指で後ろを差しながら、申し訳なさそうに謝ってくれた。
なるほど、亜子ちゃんの叫びが聞こえたのは、亜子ちゃんがハイトにぶつかられたからだったんだ。
「全然大丈夫だよ! 助けようって思ってくれてありがとう」
私がお礼を言うと、亜子ちゃんは呆れたように額に手をやって、
「雪はいちいち律儀すぎんのよ。あんな状況で助けに行こうとしない方がおかしいわ」
「あ、あはは……迷惑かけちゃってごめんなさい」
「本当よ、全く」
亜子ちゃんはプイッとそっぽを向いた後、小さな声で付け足してくれた。
「無事で、良かった」
亜子ちゃんの言葉に私が感激していると、
「何なんだよ……何なんだよ!!」
突然、王宮の入り口からハイトの叫び声がした。
「俺達の計画が……全部……」
ハイトは膝から崩れ落ち、呆然と王宮内を見ている。
仲間が全員倒されたのを目の当たりにして、絶望したんだろう。
すると、そんな彼の前にイアンさんがやって来て、
「簡単に王宮を攻め落とせるなんて、甘く考えてもらったら困るな」
「くっ……!」
ハイトは踵を返し、王宮を出ていった。
「あ、待て!」
イアンさんが止める声も無視して、ハイトは王宮の小さな階段を降りると、そのまま市場町へと続く一本道を走っていく。
と、不意にハイトの動きが止まった。
行き先に誰かが居たわけでもないし、自分で何かを思い立ったというわけでもなさそう。
より確実な理由と言えば……。
「っ! 何しやがる! 離せ!」
ハイトは左斜め後ろを見下ろし、必死に左足を動かそうとしていた。
その左足首は、ルーンさんの傷だらけの手でがっしりと掴まれていて、ハイトもなかなか彼女の手から抜け出せていない。
ルーンさんはハイトを睨みつけると、
「そなたは我の大事な仲間を傷付けたのだぞ! 逃げるなどという卑怯な行為は我が許さん!」
フェルミナさん、フォレス、ウォル。
大切な部下を傷つけられたことにより、ルーンさんの怒りはさらに高まっていた。
その傷つけた張本人であるハイトが、今まさに逃亡しようとしている。
ルーンさんとしても、絶対に逃すことは出来ないのだろう。
でも、
「るせぇ!!」
ハイトは怒りをむき出しにすると、ルーンさんの頬を蹴った。
「ぐうっ!」
痛みに呻く天兵長ルーン・エンジェラ。
「ボス……!」
「天兵長!!」
双子天使のフォレスとウォルがそんなルーンさんを目にして声をあげ、彼らの手前で横たわるフェルミナさんも苦しそうに目を瞑り、夕暮れの空へと顔を向ける。
頬を蹴られて力なく地面に伏してしまうルーンさんを見下ろして、ハイトは舌を鳴らした。
その時、私は聞いたのだ。
小さく、でも確かに発せられるフェルミナさんの声を。
フェルミナさんは地面に仰向けの状態で横たわったまま、だんだんと薄暗くなっていく空をそのうつろな瞳に映していた。
「太陽が……もうすぐ沈む……」
「え?」
一瞬、何のことを言っているのか分からなかったウォルが聞き返し、フォレスも眉を寄せて不思議そうにフェルミナさんを見下ろす。
「そろそろ……月が出てくる頃かしら……」
フェルミナさんはゆっくりと沈んでいく太陽を目で追っていたけど、やがてゆっくりと身を起こし始めた。
そんな彼女を、双子の天使は慌てて引き止める。
「ちょ、フェルミナさん、無理しないでください」
「そーだぞ。そんなボロボロで戦えるわけねーって」
フェルミナさんは薄紫色の長髪を垂らしながら地面を見つめていたけど、
「大丈夫よ、ルーンを守るのが私の役目なんだから」
そう言って顔を上げ、今も苦しみ悶えている幼なじみを見据えた。
フェルミナさんは天兵長ルーンの第一部下であると同時に、彼女の幼なじみでもある。
そんな立場の彼女から言われてしまうと、フォレスもウォルもそれ以上は止められないようだった。
「やめなさい……!」
フェルミナさんは、赤紫色の髪の吸血鬼______ハイトに鋭い視線を送ると、再び銃を構えたのだった。




