第186話 その手を離しなさい
「うぐっ……!」
弱々しい呻き声をあげる、傷だらけの女天使。
ルーン・エンジェラは、赤紫髪のキラー・ヴァンパイア______ハイトにお腹を踏みつけられていた。
一方、私、風馬くん、亜子ちゃん、藤本くん、亜子パパとママの六人は、吸血鬼達の王宮を出たところの踊り場まで避難していた。
「何だ? こりゃあ……」
その踊り場で、亜子パパが目の前の惨状を見て、呆気に取られたように瞳を揺らす。
「フンッ、天兵長が聞いて呆れるな。そんなもんか? おら!」
「うぐっ……があっ……!」
ハイトはルーンさんのお腹に置いた足をグリグリと動かし、さらに痛めつけていた。
「ちょ、ちょっとハイト! やめて!」
ルーンさんが苦しむ姿に耐えられず、私は思わず叫んでしまった。
お、おい、村瀬! と、風馬くんが私を制すけど、私はやめない。ハイトから目を逸らさない。
とりあえず一刻も早くルーンさんを助けなきゃ、という気持ちで頭がいっぱいだった。
「あん? 何だテメェ……あぁ、あん時の人間か」
訝しげに眉を寄せて目を細め、私を凝視した後で、ハイトは納得したように口角を上げた。
「何でルーンさんのこと、そんなに傷つけるの⁉︎」
「ハンッ! テメェ、こいつの仲間なのか?」
面白がるように尋ねてくるハイト。
ルーンさんは……仲間、じゃないよね。
イアンさん達のことは『仲間』って言っても差し支えないと思うけど、天使とは頻繁に会ってるってわけじゃないし。
「な、仲間っていうか……知り合い、みたいな」
私が出した曖昧な返答に、ハイトは嘲笑すると鋭い目つきに戻った。
「部外者は引っ込んでろ」
それからルーンさんの胸ぐらを強く掴み、自分の方へと引き寄せる。
「おいゴラ、さっさと立ちやがれ。まだ終わってねぇんだよ」
「ううっ……!」
無理やり起こされ、苦しそうに悶えるルーンさん。
ハイトが、そんなルーンさんに向かって拳を振り上げようとしたその時。
「ルーン!」
「ボス!」
「天兵長!」
重なった三つの声が空から降ってきた。
降ってきたのは声だけではない。その声とともに、三人の天使が羽をはためかせて降りてきたのだ。
「み、みん……な……」
何とか左側____王宮とは反対側に首を向け、仲間の姿をその目に捉えるルーンさん。
「その手を離しなさい! 無礼者!」
天兵長の第一部下兼幼なじみの女天使____薄紫色の長髪を持つフェルミナさんが、腰に差した銃を引き抜き、ハイトに向けて威嚇する。
「てめー何者だ! 急に襲ってきやがって!」
短い白髪の中に、一部分が尖った緑髪が混ざった髪型の男天使____フォレスがハイトに怒りの眼差しを向けて叫ぶ。
彼に続き、マッシュルームヘアーの白髪の中に、水色の毛が数本混ざった髪型の男天使____ウォルも、怯えたような顔と声だけど、ルーンさんを守るべくしっかりと声を張る。
「天兵長が可愛そうです。やめてください……!」
三連続で自分に向かって放たれた言葉を聞いたハイトは、鬱陶しそうに赤紫色の短髪をグシャグシャと掻きむしると、
「んなこたぁ、俺の知ったことかよ」
再び胸ぐらを掴んだままのルーンさんを見下ろして、
「おいゴラ、テメェら天使のせいで、俺達はいっつもいっつもビクビクしながら生きなきゃならねぇんだよ。どうしてくれんだ。あ? そんなに吸血鬼が憎いかよ!」
目と鼻の先で叫ばれたルーンさんは、切れて出血した唇を何とか動かしながらハイトに応じる。
「て、天界……と人間界が……同盟体制を……組んでいた時に……そなた達が……人間界を……襲ったから……だ……」
十六年前、天界と人間界が独自に同盟を結んだことで、怒った吸血鬼達が人間界を襲撃した事件。
のちに『人間界襲撃事件』と呼ばれるこの事件のことは、誠さんから聞いていた。
誠さんの話を思い出しながら、私が黙って目の前を見つめていると、途切れ途切れのルーンさんの言葉に、ハイトは分かりやすく眉をひそめた。
「勝手に仲良くし出したのはテメェらだろうが! 何で俺達が何年も苦しまなきゃいけねぇんだよ! 筋が通ってねぇぞ!」
「同盟国を……守るのは……当然……では……ないか……」
「その同盟が納得いかねぇっつってんだよ!」
ルーンさんの言葉が、余計にハイトの怒りを増幅させてしまったようで、ハイトはさらに声を荒げた。
「わ、我には分からない……戦死した父が……決めたことだ……」
「ハンッ! 責任転嫁かよ!」
もう一度、ルーンさんのお腹を踏みつけるハイト。
「ぐわあっ!」
「ルーン!」
痛みに声をあげるルーンさんを見て、フェルミナさんが叫ぶ。
「てめー! いー加減にしやがれ!」
双剣を手にしたフォレスが、ついにハイトに飛びかかっていった。
「このやろー! よくもボスを……!」
泣きそうな声で、双剣を振り回すフォレス。
「ハァ? 何で俺が悪者みたいになってんだよ。テメェら天使が悪いんだろうが!」
白く光る爪を伸ばし、ハイトはフォレスの双剣に対抗する。
本当なら爪と剣がぶつかった時点で、爪の方が呆気なく折れてしまう。
にもかかわらず、ハイトの爪はフォレスの剣とぶつかっても全く折れることがなかった。
「このっ……! このやろー!!」
剣……と言うより、爪と剣を交えている間も、フォレスの怒りはどんどん膨れ上がっていっているようだ。
もはや沸き上がる怒りの感情に任せながら、むやみやたらに剣を振り回しているように見える。
実際、私の推測は当たっていたんだろう。
何故なら、フォレスがヤケ糞に剣を振り回し始めたとたんに、爪と剣が全く交わらなくなったから。
フォレスの双剣がハイトの爪に当たる回数が極端に減ってしまったのだ。
その結果、フォレスはついにハイトからの反撃をまともに受けてしまうことになった。
「ビービー喚いてんじゃねぇぞ! うっせぇんだよ!」
「ぐわあっ!」
頬を引っかかれ、その拍子に大きく後退するフォレス。
「フォレス!!」
地面に膝をついた双子の兄に駆け寄り、弟のウォルが声をかけた。
「大丈夫!?」
「あ、あぁ、問題ねぇよ……クソッ!」
吐き捨てるように舌打ちし、フォレスはハイトを睨み付ける。
そのすぐ後ろで、ウォルが俯いた。
「よくも……よくも……」
小さな呟きは、それでもしっかりと鼓膜に響いてくる。
「天兵長だけじゃなくてフォレスまで……!」
ウォルは水色の瞳に涙をいっぱい溜めながら、兄を傷付けた吸血鬼を見据えた。
「絶対に許さないからな!! 吸血鬼!!」
空中に手をかざして水の泡のような物体で出来た弓矢を持ち、ウォルはハイトに向かって全速力で走っていく。
「んだよ、どいつもこいつも」
ハイトは大きくため息をつき、またも自分に勝負を挑んで呆気なく負けていく天使を見た。
「ウォル! 感情的にならないで! 攻撃の意味が無くなるわ!」
ハイトに向かって駆けていくウォルの背中に、フェルミナが忠告をする。
でも、必死の叫びもウォルには届かない。
きっと、ウォルの頭の中は兄を傷つけられた怒りでいっぱいになっているんだろう。
水矢をハイトに向けて射ながら、ウォルは沸き上がる怒りのままに叫んだ。
「うわあああぁぁぁっ!!」




