第182話 追いかけっこ
走りに走り、走りに走って吸血鬼領へと急ぐ吸血鬼。
成人したての若人のような外見の彼は、泣きながらひたすら手足を動かしていた。
彼が走っているその理由は、勿論追いかけられているからだ。
「おい! 適当な嘘ついてんじゃねぇぞ!」
「ひぃっ! だからごめんなさいってば!」
亜子と剛に怪我を負わせたことに対して無責任な謝罪(?)をしたことで、亜子の父・亜雄はまだ怒っているようだ。
怒っている……と言うよりは、大事な愛娘を傷付けられて吸血鬼に対して恨みさえ抱いていると思わせるような形相。
目を普段以上につり上げ、鋭い歯をむき出しにして、亜雄は猛スピードで吸血鬼に追いついた。
「ちゃんと本気で思ってるだろうな!」
「当たり前じゃないですか!」
亜雄を振り切ろうと、若人吸血鬼も負けじとスピードアップ。
「じゃあ、何でそんなお化けを見るみたいな目で俺のこと見るんだ!」
怒る理由が変わりつつも、亜雄はまた吸血鬼と並んで走り続ける。
「怖いからに決まってるでしょうが!! あんた、自分の顔よぉく見たことあります? ないですよね! 結構怖いんですよ!」
「何だてめぇ! 失礼過ぎるだろ! 強面ってことは自分が一番よく分かってんだよ! 傷口抉るんじゃねぇ!」
ビシッと指を差され、肩をビクつかせる若人吸血鬼。
「す、すみませんすみません! いやぁ、でも、よぉく見たらカッコいいです!」
「うぇっ!? うそ、マジで!?」
亜雄は突然の吸血鬼の言葉に素っ頓狂な声をあげたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
吸血鬼の方も笑顔で頷き、
「はい! 勿論! 僕の目は本当に節穴でしたよ、あはははは。それじゃっ!」
亜雄のご機嫌取りを終えたところで、さっさと逃げようと再び加速する若人吸血鬼だったが、
「おい、待て待て待て!!」
背後を振り返ると、剛を背負ったままの亜雄が自分に向かって走ってきていた。
てっきり巻くことに成功したとばかり思っていた吸血鬼は、予想外の出来事に目を丸くする。
「まだ追いかけてくるんですか!? ちゃんと褒めてやったじゃないですか!」
「褒めてやったってなんだよ! 何でお前が上から目線なんだよ! 明らかに俺の方が歳上だろ!」
「じゃ、じゃあそちらさんは何歳なんですか!?」
再び横に並んだ二人。
吸血鬼の質問に、亜雄は視線を上にやって、
「うーん、三十歳くらいじゃねぇの?」
「何でそんなに曖昧なんですか! 自分の年齢くらい分かるでしょ!」
「うるせぇ! これが老化現象なんだよ! クソッ!」
『老化現象』という言葉を使った時点で自分を老人だと認めていることになってしまうが、どうやら亜雄はその事に気付いていないらしい。
黙っていた方が面白いだろうと思いつつ、吸血鬼は内心でビクビクしながらも勝ち誇ったように言う。
「ぼ、僕は多分百歳くらいですよ! ほら、僕の方が歳上じゃないですかぁ! それじゃっ!」
亜雄をなるべく苛立たせないように細心の注意を払いつつ、手を挙げて挨拶をして走る足に力を込める。
「え……?」
電源の切れたロボットのように、立ち止まって硬直する亜雄。
マウントを取ってしまったことで、てっきりまた亜雄を怒らせてしまったかもと後悔していた吸血鬼は、今度は亜雄が追ってこないことに驚いてしまう。
しかし、
「今だあああぁぁぁ!!」
あれだけしつこかった追っ手が止まった、後にも先にも二度と来ないであろうチャンス。
それを無駄にしないよう、吸血鬼は必死に走った。
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若人吸血鬼に決定的な年齢差を暴露され、驚きのあまり硬直し立ち止まってしまった亜雄。
その背中に背負われている剛は、額の汗を拭って胸をなでおろしていた。
今の今まで超高速で走る新幹線のような亜雄に背負われて、上下の揺れに耐えつつ頑張ってきた。
亜雄の背中の乗り心地と言えば、足場が悪くてガタガタと上下に揺れる坂のないジェットコースターに乗った時、と例えるのが良いかもしれない。
もっとも、剛はそんなジェットコースターには乗ったことなどないが。
ともかくもやっと亜雄が止まってくれて、剛が安心していると、後ろから(亜雄と比べると)ゆっくりのスピードで亜美と亜子が走ってきた。
「あれ? どうしたの? あなた。追いかけないの?」
ふぅ、ふぅと荒い呼吸をしつつ、亜美は亜雄を見上げる。
既に若人吸血鬼は遠のいており、彼の背中ではためく黒マントが小さく見える程度だった。
「なぁ、亜美。俺さ、あの若造より年下だったんだけど」
耳をすませていないと聞こえないほどの低い声で、絶望したように肩を落とす亜雄。
唐突な話題にフリーズする亜美だったが、ここは適応能力でやり過ごす。
「あのコ、何才なの?」
「……百才だってよ」
「あなたは……確か三十才くらいだったかしらね。人間で言うと」
「そうなんだよ……」
「何をそんなにヘコむことがあるのよ」
亜雄は、自分が肩を落としたせいで前のめりになっている剛をおぶり直してから、
「俺、散々怒鳴り散らしといてあいつより年下なんだぞ? 虚しいだろ。悲しいだろ。そんなことってあるか?」
捨てられた子犬のような瞳を向けられ、たじろいでしまう亜美。
しかし落ち込んだ夫を励ますべく、亜美は優しく言葉をかける。
「私、あなたの年齢は詳しく知らないけど、人間の年齢に換算しなかったらあなただって百才は余裕で超えてるでしょ」
「ん?」
「ん?」
不思議そうな顔をする亜雄が不思議で、亜美も思わず聞き返してしまう。
しばらくお互いに視線を交わして沈黙していると、その沈黙を破るように亜雄が大声をあげた。
「あ、そっか! 俺、人間界での生活が長すぎて『人間の物差し』で考えてたぜ! 何だよ、じゃあ俺あいつより断然年上じゃんか! 何だよもう!」
あの若人吸血鬼よりも自分の方がやはり年上だったことに気付き、思わずニマニマと笑みを浮かべる亜雄。
「相変わらずそういう計算とか頭使うこと苦手よね、あなた」
「よしっ、色々吹っ切れたし、あいつのこと追いかけるぞ______って、あれ」
亜雄は再び若人吸血鬼を追いかけようとして、その先に誰もいないことにようやく気が付いた。
亜美が亜雄に追いついた時点では、かろうじて若人吸血鬼のマントが見えていたが、今となってはその姿さえも消えてしまっているのだ。
「あなたが変なことで落ち込んでるから、逃げられちゃったじゃないの」
亜美からの指摘に、亜雄は頭を抱えたくなって、
「だああああぁぁぁっ! しまった! くそッ、あいつめ逃げ足だけは速いんだな!」
「どうするの? あなた。あのコのこと追いかけるのも良いけど、私としてはこの子達のことも考えてあげたいの」
真剣な目で見つめられ、亜雄は喉を詰まらせてしまう。
今までは若人吸血鬼を追いかけることしか頭になかったが、よく考えてみれば今優先すべき点はそこではない。
「……確かにそうだよな。亜子も剛くんも怪我してるわけだし」
自責の念に駆られる亜雄に、亜美は畳み掛けるように言った。
「あと、この子達の秋祭りのこともあるでしょ? とりあえず今ある問題を先に解決しておかないと、私達だって安心して戦えないわ。秋祭りに参加してしまった以上、その後始末もちゃんとしないとでしょ?」
「うん、亜美の言う通りだな……。とりあえず、俺達は一旦人間界に戻るか」
こうして、亜雄、亜美、亜子、剛の四人は、一旦人間界、もとい保健室に戻ることにしたのだった。




