第167話 何で私は動けないの!?
私はマーダに蹴られたお腹の痛みを堪えつつ、壁に背中を預けて座りながら、二人の様子を黙って見ていることしか出来なかった。
スピリアちゃんの決意を聞いたマーダはしばらく呆然としていたけど、すぐに表情を緩めて大きな声で笑い出したのだ。
「な、何が可笑しいリ!」
スピリアちゃんは、警戒心の宿った表情を崩さずにマーダを見上げる。
「ああ、ごめんなさいねぇ。ちょっと馬鹿らしかったから思わず」
「ば、馬鹿らしいって何リ……」
悔しげなスピリアちゃんを尻目に、マーダは顎に人差し指を当てた後、その指をスピリアちゃんの槍に向けた。
「でもおかしいわねぇ。私の記憶が正しければ、ホーリー・ヴァンパイアは神様に祈ることしか能がない種族のはずだけど。いつの間に、そんな武器なんてゲットしたのぉ?」
スピリアちゃんは金色の槍をさっきよりも強く握りしめ、
「こ、これはわたしが元々持ってる物リ! それに、ホーリー・ヴァンパイアは祈ることしか能がないんじゃなくて、それが昔からの文化でちゃんとした伝統リ。馬鹿にするみたいな言い方しないでリ!」
「だって本当に馬鹿にしてるもの。ようやく気付いたのね。やっぱりお馬鹿さん」
あくまでも上から目線の態度を貫くマーダに、声をかける者が居た。
「あなた、マーダさんでしたよね」
「は? なに、あんた」
マーダは鬱陶しそうに、首だけでその人物____ミリアさんの方を振り返る。
ミリアさんは俯いて長い黄髪を垂らしながら、ふらつきつつも立ち上がると、顔を上げてマーダをしっかりと見据えた。
「マーダさんも同じ吸血鬼ならお分かりのはず。種族は違えど、私達はともに天使の襲撃から身を守るための手段を得ております」
そして、スピリアちゃんが握りしめている金の槍に目を向けると、
「彼女達ホーリー・ヴァンパイアも、自衛のためにそのような武器をお持ちになっているのです」
ミリアさんの言葉を聞いたマーダは、ふっと口元を緩めた。
でも、それは普通の微笑みから来るものではなかった。
「ご丁寧にどうもありがとう。でも私に今更そんなこと教えてくれなくても大丈夫よぉ。ちゃんと分かってるから。分かった上で嫌味っぽく言ってるのにぃ。それが分からないなんて、あなたもお馬鹿さんね、ナース・ヴァンパイア」
マーダの言葉に、ミリアさんはより一層表情を険しくして言葉を紡いだ。
「マーダさん方のようなキラー・ヴァンパイアが、他の種族を食い殺してしまうのは長年の生活ゆえです。しかしだからと言って、他の種族を侮辱して良いとは限りません。ナース・ヴァンパイアの中には、私には到底及ばないほど強くて美しく、優しい先輩もいらっしゃいます。その言葉、今すぐに撤回してください!」
「……それでぇ? やっぱりホーリー・ヴァンパイアは他に居るのねぇ?」
保健室の私達をぐるりと見回して、マーダは意味ありげに空色の瞳を細めた。
「だってそうじゃない。そこのお嬢ちゃんとかあんたが白状したもの。ホーリー・ヴァンパイアはスピリアだけじゃないってねぇ」
私に視線を送った後にミリアさんを顎で示し、笑いを漏らす。
『だ、だからって何もスピリアちゃんだけを……こんなに……』
『彼女達ホーリー・ヴァンパイアも、自衛のためにそのような武器をお持ちになっているのです』
私はハッとした。私とミリアさんの何気ない言葉を聞いたマーダには、はっきりと真実が伝わってしまっていたのだ。
生き残っているホーリー・ヴァンパイアは、スピリアちゃんだけではないのだということが……。
「で、でもそれは____」
私がちゃんと理由を説明しようと口を開きかけた瞬間だった。
壁を思い切り蹴ったような音が真横で響き、見ると、マーダの靴が保健室の壁____私の真横の壁を力強く蹴っていた。
そのせいで壁には亀裂が入ってしまっている。
もう一度目の前のマーダを見た時には、彼女の目は瞳が小さくなるほど大きく見開かれていた。
「ヒッ……!」
そのあまりの恐怖に、私は声にならない声を小さく漏らしてしまう。
「はい、言い訳は無効よぉ。今更いろいろ言い直したってぇ、私はもう分かっちゃってるから」
顔と顔がくっついてしまうほどに近付くマーダを直視できず、私は思わず目を瞑って顔を反らしてしまう。
マーダの声が止んでもう一度目を開けると、マーダは満足したように口角を上げて壁から足を離した。
そして私から離れると背を向け、今度はスピリアちゃんの方へと歩いていく。
「スピリア、私と一緒にホーリー・ヴァンパイアの死に損ないの所に行くわよ」
「い、嫌リ! ホーリー・ヴァンパイアはわたしだけリ! 他の皆は……もうこの世には居ないリ!」
スピリアちゃんは兄を守るため、必死に首を振っている。
そんな彼女を見下ろしながら深くため息をつき、腰に手を当てたマーダ。
「ギャーギャー喚かないでくれるぅ? もう分かってるって言ってるじゃない」
「マーダさん!」
「あんたは黙ってて。ナース・ヴァンパイアだって、治癒するしか能がないんだから」
マーダを制すように声を張ったミリアさんも、冷たくあしらわれてしまう。
「リッ……!」
なおも近付いてくるマーダに、スピリアちゃんは金の槍を構える。
「ほら、もうこんな棒切れなんて意味ないのよ。無駄な抵抗はやめることね」
マーダはほくそ笑むと金の槍を奪って床に捨て、スピリアちゃんの首根っこを掴んだ。
「リッ、は、離してリ!」
「スピリアちゃん! くぅ……!」
マーダに捕まったスピリアちゃんを助けようと、私は起き上がろうとしたけど、お腹の痛みがそれを遮ってきた。
「「スピリア!」」
風馬くんも亜子ちゃんも、痛みで動けないながらも懸命に叫ぶ。
「スピリア様……! スピリア様を……離しなさい!」
私達の中で唯一立ち上がったミリアさんは、覚悟を決めたようにマーダの方へと走っていった。
「うるさいわねぇ、さっきから。どうせ、私に楯突く力も無いんだから引っ込んでなさい!」
「ああっ!」
でも再びマーダにお腹を蹴られ、ミリアさんは風のような速さで吹っ飛ばされてしまう。
「ミリアさん……!!」
「ううっ……」
壁に打ち付けられたミリアさんは、今度こそ立ち上がれなかった。
「ユキ……フウマ……アコ……ミリア……」
泣きそうになりながら、私達を見つめるスピリアちゃん。
この痛みを乗り越えられれば……スピリアちゃんの所に行けるのに……!
何で私は動けないの!? 何で痛みを我慢出来ないで、途中で折れちゃうの!?
「じゃあねぇ。【魔方陣】」
マーダはスピリアちゃんを掴んでいない方の手をヒラヒラと振ると、魔法の呪文を唱えて魔方陣を出現させ、その中へと消えてしまった。
「駄目! 待って!! スピリアちゃん!!」
手を伸ばしていくら叫んでも、私の叫びは虚空に消えるだけだった。




