第145話 またおいで
窓から差し込む朝日で暗かった視界が明るみ、私はゆっくりと目を開けた。
『村瀬雪』に戻ってから、吸血鬼の王宮で初めて迎える朝だ。
上体を起こしてベッドから降りる。
部屋は私達一人ずつに与えられたので、今この部屋に居るのは私だけだ。
その暮らしは人間界での家と変わらない。
私はふぅと息を吐いて部屋から出る。
そしてキッチンとダイニングの方に向かうと、そこには黒髪を伸ばした長身の吸血鬼、イアンさんが立っていた。
ブラウスの上からエプロンを着てコンロの前に立つイアンさんは、私に気付いたのか振り返り、そして笑顔を見せた。
「ああ、おはよう、ユキ」
「イアンさん。おはようございます」
私も軽く会釈をし、挨拶をする。
「もう体調は大丈夫なのかい? ゆっくりしてても良いんだよ」
イアンさんは、ヘラのような調理器具で料理をしながら尋ねてきた。
「大丈夫ですよ。おかげさまですっかり元気です」
実を言うと、体調面の方ではもう二日ほど前から完全回復したと言っても過言ではなかったのだ。
でも昨夜久しぶりに『村瀬雪』に戻ってからは、少し身体が慣れていなかったのか、何とも言えない変な感覚が付きまとっていた。
幸いにもそのむず痒いような感覚は、寝て起きたらキレイさっぱり無くなっていたから、今は何事も無かったかのように元気いっぱいというわけだ。
「そっか、良かった」
イアンさんは心の底から安心したように、頬を緩めて笑った。
「……お手伝いしますね」
キッチンの机に、出来上がった料理を盛るお皿が置かれていないのを見て、頭上の食器棚に手を伸ばす。
「ありがとう、助かるよ」
フライパンを器用に動かしながら、そう言うイアンさん。
私は扉を手前に開け、適当に合いそうなお皿を選んでいきながら、
「あの、イアンさん。色々とありがとうございました」
イアンさんがハッとしたような、驚いたような顔を見せる。
「僕は何も。頑張ってくれたのはキルとレオ、それにアコだよ。勿論他の皆も。全員が頑張ってくれてた」
そう口にしたイアンさんの言葉は、決して謙遜によるものではなかった。
何故、私がそうだと分かったのか。
それは、イアンさんの表情が曇っていたからだ。
まるで何も出来なかった自分を責めるかのような厳しい表情。
謙遜のつもりで言ったなら、ある程度でも笑顔があるはずだ。
しかし、イアンさんの顔には本物の笑顔どころか偽物の、無理矢理の笑顔さえも宿っていなかった。
私は、自分が『ルミ』になった後の現場を見ていない。
もとよりグレースに取り込まれていたから知る由もないのだけど、おそらくイアンさんでさえ私とグレースが融合した氷結の女王・ルミレーヌの強さの足元には及ばなかった、ということだ。
「でも、分かりました。私が『村瀬雪』に戻れた本当の理由」
「えっ……?」
イアンさんは曇った顔を上げて、私を不安げに見つめた。
「イアンさんが言葉をかけてくれたからです」
『君が僕達のことを何も覚えてないのはよく分かった。しつこく聞いちゃったりしてごめん。……でも、これだけは。人間として、村瀬雪として暮らしてた君は、すごく純粋で真っ直ぐで何事にも一生懸命で他人思いで、そんなすごく良い子だったんだ』
まだ『ルミ』としての記憶しかなかった私に、イアンさんがかけてくれた言葉だ。
『これだけは覚えててほしい。もし君の中に一欠片でもユキとしての心が残ってるなら、また戻ってきてくれるはずだ。僕は、信じてるよ』
「あの瞬間、胸の奥がチクって痛んで、『あれ? おかしいな』って違和感を抱いたんです」
あの時のグレースは気にしないように言ってきたけど、あれは私に余計なことを思い出させないためだったのか。
「本当に、ありがとうございました。『信じてるよ』って言ってくれて」
「これからも、よろしくね」
イアンさんは料理の仕上げをしながら、微笑んでくれた。
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「じゃあ、気を付けて帰るんだぞ」
「また会う日まで、暫しの別れだな」
「いつでも王宮に訪ねてきてちょうだいね」
ブリス陛下、ヴァンさん、パイアさんが、それぞれ言葉をかけてくれる。
朝食を終えて身支度を済ませた私達は、王宮の門の外に居た。
「はい、本当にお世話になりました」
私が深々と頭を下げると、今度はテインさんが、
「キルのことはわたくし共にお任せください」
「わたしも頑張るリ!」
ウェーブがかった水色の髪を持つ吸血鬼、スピリアちゃんが両の拳を握って意気込む。
その横で頷き、長い黄髪を揺らすのはミリアさんだ。
「ありがとう、スピリアちゃん」
お礼を言うと、スピリアちゃんは満面の笑みを浮かべる。
それを見届けた誠さんは、ブリス陛下の方に向き直ると、眼鏡をくいっと上げた。
「世話になったな、国王陛下。しかし本来ならば我々は……」
ブリス陛下は誠さんの言葉を遮り、
「ああ、分かってるさ。いつでも奇襲に来い。『吸血鬼抹消組織・VEO』その名に恥じないようにな」
宣戦布告をするような口調。
しかしその表情には敵同士とは思えないほどの優しい笑みが宿っていた。
誠さんはブリス陛下に小さくお辞儀をすると、私達に向き直った。
「じゃあ戻るか」
私、亜子ちゃん、風馬くんが頷くと、誠さんはスーツのズボンのポケットから不思議な器械を取り出して、
「こちら鈴木誠。そちらに魔方陣を繋ぐ」
まるで携帯電話のようなその器械に口を当て、連絡を取っている誠さん。
暫くの間があった後、誠さんはコクりと顎を引いた。
その直後、私達の足元に魔方陣が開かれる。
「またおいで、ユキ」
「……はい!」
イアンさんの優しい笑顔に、私もつられて笑顔になる。
そして視界が淡い水色に包まれたかと思うと、目の前の景色が徐々に薄れていった。
久しぶりにその現象を見て、すごく懐かしい気持ちになりながら、私達は人間界に帰還した。
____だから、その後に王宮で行われたやり取りを知るのは、もう少し先の話になる。




