第136話 無事で良かった
朝食が終わって食器洗いをし、歯磨きを済ませた後、私は医務室に向かった。
コンコンとノックをして中に入ると、医務室の手前と奥に二つ並んでいた。
そしてその傍らには、ツンツンはねた橙色の髪を持つ吸血鬼が下を向いて座っていた。
「レオくん」
私が呼びかけると、彼は振り向いて顔を上げ、
「ああ、ユキか」
疲れたような笑みを浮かべるレオくんに、私は尋ねた。
「イアンさんとキルちゃんの様子、どう?」
レオくんは表情を曇らせて言った。
「変化無しだな。隊長もキルも一向に目を覚ましそうにない」
「そっか……」
そりゃあそうだよね、あれだけ酷い攻撃を受けたんだから。
でもそんな中で意識を失ってなかったレオくん、すごいな。
イアンさんまで倒れちゃってる状況なのに。
さすが『炎の使い手』って呼ばれてるだけはあるなぁ。
そう言えばグレースが、私のことを『ルミ』から『雪』に戻してくれたのはレオくんだって言ってたっけ。
それなのに私の心の中には、『雪』と『ルミ』の両方の意識と記憶が混在してる。
その理由をずっと考えてたんだけど、やっぱり一つしか思い浮かばなかった。
「ねぇ、レオくん」
レオくんは曇らせた表情を無理やり明るくして、立っている私を見上げた。
「ん? 何だ?」
「私のこと元に戻してくれる時、『ルミ』の意識を残しておいてくれてありがとう」
「えっ、ああ、気付いてたんだな」
そう言って、レオくんは少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら、ポリポリと頬を指で掻いた。
良かった、合ってた。
やっぱりレオくんが気を利かせてくれてたんだ、
「うん。今朝、髪をとかす時に髪の毛が白と茶色のメッシュになってたから、私の中に『雪』と『ルミ』両方の意識があるのって、このしるしに現れてるんだなって気付けたの」
「グレースのことを考えたら、どうしても理不尽に『ルミ』を消すわけにはいかないなって思ってさ」
切なげに目を伏せて、頬を緩めるレオくん。
「本当にありがとう、レオくん」
レオくんは安心したように頷き、笑みを浮かべた。
私もつられて笑顔になってしまう。
「んん……」
と、不意に目の前のベッドから低い呻き声が聞こえた。
「い、イアンさん!?」
驚いてベッドを覗き込むと、黒髪の吸血鬼がうっすらと目を開けていた。
「隊長!!」
レオくんも驚きを露わにする。
「お、俺、皆を呼んでくるな!」
言うが早いか、レオくんは風のような速さで医務室を飛び出していった。
「う、うん! お願い!」
私が返事をしたのは、ドアがバタリと閉まってからだった。
おそらく、レオくん本人には届かなかっただろう。
そのことを少しだけ残念に感じながらも、私は今までレオくんが座っていた椅子に腰かけた。
「イアンさん、大丈夫ですか? 分かりますか?」
ベッドの布団からはみ出ているイアンさんの右手を握りしめて、私は尋ねた。
「あぁ……ユキ……」
イアンさんは少しだけ目を開くと、紅の瞳で私を見つめた。
そして弱々しい声で、ゆっくりと私の名前を呼んでくれた。
「イアンさん! 無事で良かった!」
私は思わずイアンさんの首に手を回し、彼を抱き締めていた。
後から後から大粒の涙が零れてきて、白い掛け布団に灰色の丸いシミを作る。
「良かった……元に戻ったんだね……」
耳の後ろから、イアンさんの弱々しい声が鼓膜に響いてくる。
「はい……! 皆様のおかげです」
「ユキ……」
またイアンさんが弱々しい声を出した。
「どうしたんですか? イアンさん」
「首、苦しいよ……」
____えっ!?
「あぁ! ごめんなさい! 嬉しすぎてつい!」
思わずイアンさんに抱きついちゃってた!
何やってるの、私!! 恥ずかしすぎる!!
イアンさんはまだ目が覚めたばっかりだって言うのに……!
ハッ! それよりも、まずはイアンさんに謝らなきゃ!
「私のためにこんな大怪我を負わせてしまって、本当にごめんなさい。私がちゃんとしていれば、今回のような事態にはならなかったはずなのに……」
イアンさんは、私の言葉に少し驚いたような表情をすると、ふっと笑みをこぼした。
「いや……気にしなくて、良いよ。僕が……勝手にやったこと……だから……」
「でも、キルちゃんはまだ目を覚まさないですし……」
イアンさんが横になっているベッドよりも奥に設置されているベッド。
少し小さいそれには、桃髪の吸血鬼が意識不明のまま横たわっていた。
「そうなのか……またキルに無理をさせちゃったんだね……」
イアンさんは悲しげに、キルちゃんの横顔を見つめている。
「あっ、イアンさんのせいじゃないですよ!」
何だか嫌味っぽく言ってしまったような気がして、私は慌てて弁解した。
今のイアンさんの言い方だと、キルちゃんの意識が戻らないのを自分の責任だと感じていそうだったから。
「うん、大丈夫、分かってるよ」
イアンさんがそう言って笑ってくれたので、ホッと一安心だ。
ホッと胸をなでおろしていると、
「隊長!」
「「イアン様!!」」
「「「イアン!!!」」」
勢いよくドアが開き、皆が慌てたように駆け込んできた。
「み、皆……!」
レオくんが呼んできてくれたのは、ミリアさんとテインさん、そしてブリス陛下と二匹の男女の吸血鬼だった。
「あぁ、皆、お父様、お兄様、お姉様……」
「やっと目が覚めたんだな」
薄髭を触りながら、ブリス陛下が微笑んだ。
「全く、心配させるな」
「無事で良かったわ」
イアンさんによく似た男の吸血鬼が腰に手をやり、隣の女の吸血鬼が安心したように目を細める。
ん? ブリス陛下がイアンさんのお父さんだってことは知ってたけど、さっきのイアンさんの言葉から考えると……。
「も、もしかして、イアンさんのお兄さんとお姉さんですか?」
おそるおそる尋ねると、二人はそれぞれ肯定の意を示してくれた。
「イアンの兄でこの世界の皇太子、ヴァンと申します」
腰に手を当てて、ヴァンと名乗った吸血鬼は自己紹介をしてくれた。
イアンさんと同じく黒髪を伸ばしているけど、イアンさんよりもその長さは短くてボブショートくらいの長さだった。
「イアンの姉のパイアです。よろしくお願い致します」
続いて、黒髪をポニーテールに結んだパイアと名乗った吸血鬼が律儀にお辞儀をしてくれた。
「お、お初にお目にかかります。私、イアンさん……弟さんにお世話になってます、村瀬雪と申します」
予想外にも丁寧な自己紹介をしてもらって、戸惑ってたじたじになりながらも、私も慌てて深く頭を下げた。




