第132話 戻ってきて
「ゆ、ユキ……?」
さっきルミが発した言葉に、レオはハッと目を見開いた。
今までルミはイアンの姿を見てもキルを見てもレオを見ても……たとえ誰を見たとしても、グレース以外の者には初対面のような表情をしていた。
しかし、イアンが意識を失い、キルも戦闘不能になった途端に、ルミが王宮に乗り込むことを拒んだのだ。
「まさか……ユキに戻ってるのか……?」
レオは察した。絶対にそうだと思った。そうでなければ、ルミが『イアンさん』と言うわけがないからだ。
しかし外見は未だに氷結鬼・ルミのまま変わらない。
「な、何で!? 何でなの!? ねぇ! ルミ! ルミだよね!!」
グレースはルミの両肩を掴んで激しく揺さぶった。
涙が浮かぶ赤い瞳を震わせて、グレースは泣くルミを見つめる。
そうであってほしいと願いを込めるかのように、グレースは必死だった。
彼女にとって一生の夢だったものが叶いつつあったのだ。それなのにここで終わりなんて。
グレースには耐えられなかった。
「ねぇ! ルミってば!!」
人間の体温は氷結鬼にとっては『熱い』と感じる温度である。
さっきグレースがルミの肩に触れた際に『熱い』と感じたということは、ルミが村瀬雪に戻っていることに他ならない。
はっきりと、そう断言出来てしまうのだ。
「ぐ、ぐれー……す……」
しゃくりながら、ルミは地面に座り込んで胸を押さえていた。
「ルミ……? どうしたの!?」
突然の出来事に、グレースは混乱を隠せなかった。
一体、ルミの体に何が起こったというのか。
「む、胸が……熱いの……内側から溶けてるみたいで……」
途切れ途切れのルミの言葉に、グレースはハッと目を見張った。
「ドクン、ドクンって……波打ってる……感じなの……」
「何で!? 何でこんな事になってるの!?」
グレースは、しゃがんでルミの背中を撫でることしか出来なかった。
しかしグレースも分かっていた。
これは明らかにルミが氷結鬼でなくなる前兆である、と。
すなわち言い換えれば、ルミが村瀬雪に戻りつつあるということだ。
グレースの攻撃を受けて地面に横たわっていた亜人・アコ/後藤亜子は、悶絶するルミを見て何かを願うかのように唇を引き結んだ。
そして、
「村瀬さん! いい加減目を覚ましなさい! あんたを待ってる人がたくさん居るのよ!?」
「ちょ、ちょっとアコ! 余計なこと言わないでよ!」
グレースは首だけで亜子の方を振り返り、大声でたしなめた。
しかし、亜子は喋るのを止めなかった。
「うるさいわね、あんたは黙ってて。いつまで都合の良い夢に村瀬さんを閉じ込めとくつもりなのよ」
「まだ痛い目に遭いたいの!?」
グレースは血走った瞳を光らせ、亜子の襟首を強く掴んだ。
「止めて!!!」
「ルミ……」
グレースが亜子に一発お見舞いしてやろうか、と思っていた矢先、ルミの叫び声が響き渡る。
ルミは叫んでから、己を抱き締めつつ声を漏らした。
「もう嫌だよ、グレース。これ以上皆が傷付く姿は見たくない……私のせいでこんな酷いことになっちゃったんだ……」
「ち、違うよ! ルミのせいじゃな……」
「そうよ! あんたのせいよ!」
否定しようとしたグレースの言葉を遮り、今度は亜子が叫ぶ。
「だからアコ!」
グレースが急いで止めさせようと襟首を掴む力を強めるが、亜子はグッと堪える。
「あんたのせいで、あたしも皆も柊木くんも、良い迷惑してるの! さっさと出てきて謝ってもらわないと困るのよ!」
「風馬……くん……?」
胸を押さえていたルミが、少しだけ顔を上げて亜子を見る。
亜子は念押しするように力強く頷き、
「そう! 柊木くんもあんたのこと待ってるの!」
「フウマ……風馬くんが……待ってる……?」
ルミは壊れかけたロボットのように、亜子の言葉を復唱する。
「いい加減にしてよ!!」
ついに耐えられなくなり、グレースは亜子の頬に拳を叩き込んだ。
「止めてってば!!!」
しかしその瞬間、ヒステリックな声が響く。
グレースが振り返ると、肩を揺らして荒く息をするルミの姿があった。
隙ありとばかりに、亜子は赤く腫れた頬を動かして叫んだ。
「前にも言ったでしょ! あんたは人間なの! 氷結鬼なんかじゃない! 人間なの!!」
「人……ゲン……」
「アコ!!!」
何度言っても聞かない亜子に苛立ち、グレースが手を振り上げた時だった。
彼女の横を俊足で通り過ぎる影があった。
何事か、とその影をグレースが追うより早く、
「ユキ、お願いだ。戻ってきてくれ」
「レオ……くん……?」
レオに抱き締められたルミは、突然の衝撃に一、二歩ほど後ずさってから、レオの名を呼んだ。
「ああ、俺だよ。……言っただろ? ここに居て良いって。あの家がお前のもう一つの居場所なんだ」
レオはルミを抱き締めたまま、そう告げる。
ルミの脳裏をよぎったのは、グレースと共に吸血鬼界を訪れた際に無意識のうちに入ろうとしていたログハウスだ。
あれが、
「わ……たし……の……」
「そうだ、お前の居場所だ」
レオの肩の上に涙を溢しながら声を漏らすルミに、レオが顎を引いてルミの背中を撫でる。
「村瀬さん!」
「ユキ!」
雪を取り戻すため、亜子とレオは声を張り上げた。
今は意識を失っているイアンやキル、人間界で待機しているミリア、風馬、誠の想いを背負って。
「「戻ってきて!!」」
「はぁ、はぁ、……うううっ!!」
二人の声を聞いた瞬間、ルミが苦しみ始めた。
それを見て、グレースがルミに向かって手を伸ばし、必死に声をあげる。
「る、ルミぃぃぃ!! 止めて! ルミを苦しめないで! お願いだから!」
急いでルミの元に駆け寄ろうと身をよじるグレースを、亜子がしっかりと押さえつける。
レオはルミを抱き締めたまま、
「ごめん、ユキ。……【炎嵐】」
詠唱し、直接ルミの体に炎を浴びせた。
「ああああああっ!!!」
桃色の瞳が豆粒ほどに小さくなるほど、ルミは目を見開いて空を仰ぎ、炎に焼かれるまま叫んだ。
「はぁ!? あなた達、何やってるの!? ルミのこと焼き殺す気!?」
突然のレオの行動に、グレースが面食らったような声をあげる。
「馬鹿野郎。お前がユキの中に埋め込んだ氷塊を溶かしてるんだ」
「なっ……!」
レオの言葉を聞いたグレースは、顔を青くする。
「何で急にユキが氷結鬼になったのか、今ので確信が持てたな」
レオの静かな言葉と同時に、ルミを包み込んでいた炎は完全に消滅した。
そしてレオに体重を預けるように寄りかかったのは、肩まで伸びた白と茶のメッシュの髪を持つ少女だった。
レオは少女の髪を撫でて、優しく微笑んだ。
「おかえり」




