第130話 もう躊躇しない
「……どういうこと?」
グレースが訝しげに眉を寄せ、私を見てくる。
「こ、こんな……皆のこと傷付けるのは違う気が……」
「何言ってるの? ここまで来てこいつらの擁護するって言うの?」
「ち、違う! そうじゃなくて」
私だって、お母様や氷結鬼の皆を助けるためにはどんな手段だって使ってやるって思ってた。
今みたいにグレースが皆を攻撃しているみたいに。
でも、実際にこの目でそんな状況を見てしまったら、そんな気持ちが薄れてしまった。
あまりにも無惨な状況を、黙って見過ごせなかった。
「皆、倒れてるし怪我もしてるし……」
「こいつらが邪魔してくるんだから仕方ないじゃん」
「た、確かに、お母様も皆も助けようって言ったけど……私……これ以上誰かが傷付くのは見たくないよ」
グレースは呆れたように息を吐いて、
「ルミ、それでも王女なの!?」
「ハッ!」
グレースに叱責され、私は思わず息を呑んだ。
確かに私は氷結鬼の王女だ。
そんな立場の私が敵であるこのヒト達を擁護するような発言をして良いわけがない。
亜人界の中で急激に吸血鬼が繁殖してから、私達氷結鬼は亜人界の西部へと移り住んだ。
そして誰か氷結鬼を纏める皇帝のような存在が必要だという話になった。
そこで、先祖代々『氷結の女王・ルミレーヌ』の血筋を受け継いでいる私の母が、現代の『氷結の女王・ルミレーヌ』として氷結鬼達を纏め始めたのが、私とグレースが産まれる年だったと聞いたことがある。
そういう経緯があったため、私は『氷結の女王・ルミレーヌ』の娘だからという理由で、他の氷結鬼達からは『王女』と呼ばれているのだ。
母に相談すると、『皆がそう言って慕ってくれているのなら、素直に受け入れなさい』と言われ、以後は王女としての責任を持てるようになったのだ。
「王女……?」
「ユキが……?」
「嘘だろ……」
後ろから、吸血鬼達の驚愕の声が聞こえてくる。
グレースに頬を蹴られたアコは、地面に倒れて仰向けになりながらも唇を噛んでいた。
グレースの知り合いみたいだし、私が王女だって知ってるのかな。
私がアコを見つめていると、
「王女ならどんなことをしてでも民を守らなくちゃいけないんじゃないの!? 口癖みたいにずっと言ってたじゃない! あれは嘘だったの!?」
グレースは私の両肩を掴んで、大きく揺さぶってきた。
「ち、違う……嘘じゃない……けど」
「けどもへったくれも無いよ! ここまで来て何を躊躇してるの!?」
「グレー……」
「わたしはもう躊躇したりしない! この数年間、ルミを取り戻すために必死に国王陛下に掛け合ってきた。でも何回言っても無駄で。わたしは躊躇しちゃった」
さっきの剣幕から一転、グレースは自嘲するように口角を上げて途中で目を伏せた。
「これ以上王宮に楯突いたらどうなるか知ってたから。だから諦めて人間界に降りたの。そこでルミを取り戻せば良いって思ったんだ」
見つめた掌を、五本指で丁寧に包み込むグレース。
「今思えば、あそこで躊躇しちゃったからルミを取り戻すのにこんなに時間がかかっちゃったんだよ。すごく後悔した。諦めなかったら良かったって」
握り締めた拳を下ろし、グレースは顔を上げて真っ直ぐ私を見つめた。
「だからもう、躊躇したり途中で諦めるのは嫌なの!」
「グレース……」
グレースの赤い瞳は、もう揺るがなかった。揺れることなく、真っ直ぐに私を捉えてきた。
グレースは私に決意を告げると、王宮に向き直った。そしてゆっくりと手を掲げ、深く息を吸う。
「すぅ~、はぁ~」
深呼吸が終わると、グレースはキッと目を開き、
「【灼熱渦】!」
「駄目!!」
「止めろ!」
後ろで、叫ぶ吸血鬼達の声が聞こえた。
それでも一度詠唱によって生み出された炎の渦は、真っ直ぐに王宮に向かって放たれていた。
グレースの放射した渦は、クルクルと高速で回転しながら徐々に王宮へと接近していく。
しかし、その炎の渦と王宮の間に黒い影が割り込んできたのだ。
「ぐわああああっ!!!」
炎の渦が対象物を燃やし、煙のように消える。
その直後に私達の目に映ったのは、ゆっくりと崩れ落ちる火傷だらけの吸血鬼の姿だった。
「イアン!」
「隊長!」
他の吸血鬼が同時に叫び、起き上がろうとするけどグレースにやられた傷が痛んだのか、すぐに地面に伏せてしまった。
「何なの!? もう!! 邪魔しないでくれる!?」
王宮への攻撃が失敗したグレースは悔しげに歯噛みして、うつ伏せで倒れている黒髪の吸血鬼へと歩みを進めた。
「言った……だろ……? 王宮には……手出し……させない……って」
小刻みに震えながら、黒髪の吸血鬼はゆっくりと顔を上げて、どこか誇らしげにグレースを見上げる。
「何よ、その表情。ムカつくんだけど」
彼の表情が余計にグレースの怒りを買ってしまったらしく、
「邪魔なの! とっとと消えて!!」
グレースは彼に腹の底からの怒りをぶつけて、襟首を掴んで横へ投げ飛ばした。
黒髪の吸血鬼は、声を上げることもなく地面に転がって動かなくなった。
おそらく意識を失ったのだろう。
肩につくほど長く、先端がウェーブがかっている黒髪は乱れていて、外から見える肌や顔の表面は真っ黒の煤で汚れていた。
私達鬼族のトレードマークとも言える黒マントは、もうそれとしての機能を持たないと思えるほどビリビリに破れていた。
立ち上がり、グレースは王宮の方を向いたまま、
「行くよ、ルミ」
静かな落ち着いた声で歩き出した。
「う、うん」
私もグレースの後を追いかけるように小走りをする。
「グレース!!」
不意に聞こえた泣きそうな叫び声に、私もグレースも足を止めて振り返った。
いつの間にか身を起こし、四つん這いのような体勢で桃髪の吸血鬼が涙を浮かべながらグレースを睨み付けていた。
「なに? やっと邪魔が無くなったと思ったのに」
でもグレースは清清しい表情で彼女を見下ろすだけ。
「許さない……よくもイアンを……」
「キル、無茶だ! 今のお前も隊長みたいに倒されるのがオチだぞ!」
橙色の髪のレオが、桃髪のキルに向かって声をあげる。
彼も身を起こそうとしていたけど、傷のせいなのか思うように身を起こせていなかった。
「それでも許せないの!!」
キルは叫び、地面に転がった短剣を手にとってゆっくりと立ち上がる。
時々よろめいて倒れそうになりながらも何とか体勢を保って、キルはグレースに怒りの眼差しを向けた。
「絶対にあんたを殺してやる……! よくも……よくもイアンを倒してくれたわね!!」
叫ぶと同時、キルは悲鳴をあげる体に鞭を打ってグレースに向かって地を蹴った。
グレースは無表情のままキルを見つめていたけど、彼女が突進してくるのに気付くと、素早く私を自分の後ろに引き寄せてくれた。
「ぐ、グレース」
「危ないから、ルミは絶対ここに居て」
グレースは小さくそう言うと、手を掲げて氷の剣を生み出した。
「本当にもう! 邪魔ばっかりしてくるんだから!」
そして呆れたように声をあげ、長い白髪を揺らしてキルを迎え撃った。
グレースの氷の剣とキルの短剣が勢いよくぶつかり、眩しい火花を散らした。




