第120話 あの子の本当の目的は
その後、亜子は保健室のベッドで意識を失ったまま横たわっていた。
普段は上の方でツインテールに結んでいる赤みがかった茶色い長髪も、今は下ろされていた。
身体には包帯が巻かれてあり、顔や腕などには絆創膏が貼られていた。
「んん……」
亜子は小さく唸ると、ゆっくりと目を開けた。
「あ、気付いたか?」
まず最初に亜子の視界に飛び込んできたのは淡い水色の天井。
それを遮るかのように、安心したような笑みを浮かべて亜子を覗き込んできた風馬に、亜子は内心驚いた。
しかしその驚きを表情や仕草で現せられるほどの気力はないため、周りから見れば亜子は無表情なままである。
「柊木くん……」
それから亜子は瞳を動かして周辺を見回し、
「ここ……は……」
「保健室だよ。VEOの隊員さん達が運んでくれたんだ。後藤は火傷と傷の治療中に気を失っちゃったんだよ」
保健室の養護教諭と協力して、VEOの隊員達が亜子の治療に取りかかっていた最中のこと。
火傷を治療する際のあまりの痛さに、亜子は突然気を失ってしまったのだ。
程なくして何とか治療は終了し、VEOの隊員達は養護教諭を避難させるために保健室を退出。
眠る亜子とそれを見守る風馬だけが残されて今に至る。
「そう……あとでちゃんとお礼言わなきゃ」
亜子はふぅと息を吐いたが、すぐにハッと目を見開いた。
「ねぇ! グレースは!? ……うぅっ!!」
「起き上がったら駄目だって! まだ傷が完治したわけじゃないんだぞ?」
思わず上体を起こした亜子を火傷と傷のダブルの痛みが襲い、亜子は顔を歪めて包帯が巻かれたお腹を押さえた。
そんな亜子の体を支え、風馬は再び亜子をベッドに寝かせる。
「今も誠さんが戦ってくれてるよ。後藤は何も心配しなくて良いから」
風馬が優しく微笑むのを見て、亜子は尋ねた。
「誠さんって……あの眼鏡の人?」
「ああ。VEOの隊長なんだよ、あの人」
「それで結構強かったのね。グレースのこと簡単に斬りつけてあたしを助けてくれたから、ただ者じゃないっていうのは分かったけど」
風馬の言葉を受けて、亜子は成る程と納得した。
「なぁ、こんなときに悪いんだけどさ、ルミレーヌのこととか氷下……グレースのこととか、色々教えてくれないか?」
風馬が神妙な表情で亜子を見つめる。
「……良いわよ。それより、あんたは避難しなくて良いの?」
「あぁ……どうなんだろ。でも後藤を見守っとくのは俺の役目だし、大丈夫だと思うよ」
そう言ってにこりと笑う風馬。
「そ、そう……ありがと」
亜子はピクッと眉を上げると、風馬から目を逸らして頬を真っ赤にしながら、胸の辺りまでかかっていた布団を鼻まで被った。
「何で村瀬さんを吸収したからって、グレースがあの姿になったのかは分からないけど」
布団を被っているので亜子の声はもごもごとしているが、亜子本人には分からない。
風馬は一言も聞き漏らすまいと耳をそばたてた。
「何にせよ、ルミレーヌって言ってもグレースの人格はそのまま残ってる。ちょっと大人っぽい口調になっただけで。おそらく、村瀬さんの魂はルミレーヌの奥の方に追いやられてるんだと思う」
「問題は、どうやって二人を分離させるかってことだな」
風馬は顎に手をやって言った。
「ええ、そうね」
亜子も顎を引いて同意する。
「それでさ」
「なに?」
ふと風馬に話題を振られて、亜子は聞き返した。
すると風馬は亜子の方を指差して、
「何で布団被ってるんだ?」
「な、何でもないわよ!」
亜子は顔を真っ赤にしてそう言うと、余計に深く布団を被ってしまった。
亜子が布団で顔全体をすっぽりと覆ってしまったため、風馬の前には布団にくるまれたモコモコの物体がある状態になった。
風馬は困ったように髪を掻いて、
「じ、じゃあ、布団被ったままで良いから教えてほしい」
亜子は風馬の言葉を聞いて布団から目を出すと、コクリと頷いた。
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今まで雪が『吸血鬼界』と認識していた世界は、歴史を遡ってみれば『亜人界』と言った方が正しい世界だった。
元々は亜人族が過ごしていたのだが、徐々にその仲間である鬼族____吸血鬼達が異常に繁殖していった。
そして亜人界はその八割を吸血鬼が占める世界となり、彼ら自身の認識としても『吸血鬼界』と呼ばれることが一般的になった。
では、残りの二割は何なのか。
一割は言うまでもなく亜人族である。
そしてもう一割が氷結鬼だった。
氷結鬼はその名の通り、主に氷を操る鬼族であったため、表沙汰にはならず世界の隅っこに村を作ってそこに住み着いていた。
吸血鬼に領地を独占された二つの種族は、互いに生き残りを賭けてたびたび衝突するようになった。
その中で亜人族は氷結鬼に対抗する手段として、氷術を無効化する鋼属性の能力を身に付け始めた。
そうして現在の天界と吸血鬼界のように、奇襲を仕掛けたりして何百年にも渡って争いを続けてきた。
一方、亜人族の中では『氷結鬼の中に氷結の女王・ルミレーヌが居るらしい』という噂が流れていた。
氷結鬼達の住み処には行けないため、真偽も分からないままうやむやになっていた。
そんな時、氷結鬼の少女・グレースが誤って氷術を最大限まで使ってしまったことで、吸血鬼達の住んでいる場所だけでなく亜人族の住み処にも影響が出てしまった。
事件を引き起こしたグレースを庇ってルミが罪を被ったこと、ルミの氷結鬼としての記憶を消し去って人間に変えたこと、氷結鬼達は罰として『氷結の女王・ルミレーヌ』諸とも封印されたこと。
これらのことは、風の噂で亜子も耳にして知っていた。
それから亜子は両親と共に害のない人間界に降り、そこで人間として生活を始めた。
そして高校に入った時に同じクラスになったのが、氷下心結____人間に姿を変えたグレースだった。
同時に、吸血鬼界の国王陛下によって完全に人間に姿を変えられていた氷結鬼ルミ____村瀬雪が居ることも、亜子にはすぐに分かった。
そして心結が雪に異常な執着心を見せていたので、嫌な予感がした亜子は自ら雪を侮辱して遠ざけることで、心結と雪____グレースとルミを直接関わらせないように密かに手を回していた。
しかし心結の方が勝手に雪と親睦を深めて、今に至る。
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「____大体こんな感じかしら」
亜子がホッと息をつくと、風馬は顎に手をやった。
「じゃあ今のグレースの姿は、安否不明の女王ってことか。自分で呟いてたし」
教室で雪を取り込んだ後、グレースは長い白髪に黒い角を生やした姿になって『氷結の女王ルミレーヌ』と呟いていた。
それを風馬も亜子も聞いていたのだ。
「おそらくね。それと今柊木くんに話したおかげで、何となく見えてきたことがあるの」
「見えてきた、こと?」
亜子の言葉に眉を寄せる風馬。
亜子はベッドに横になったまま風馬に頷きかけて、『あくまでもあたしの憶測だけど』と前置きしてから、
「あの子の本当の目的は、他にある気がするの」




