第110話 ルミとグレース
ずっしりと重たい何かをぶつけるように、繋がっていたものがぷつりと音を立てて切れたように、心結ちゃんは泣きそうな顔で訴えてきた。
「わたしだよ!? グレースだよ! ねぇ、ルミ! 覚えてないの?」
私のことを『雪ちゃん』ではなく『ルミ』と呼んで。
自分のことを『心結』ではなく『グレース』と言って。
「ずっと言いたかった。でも言えなかったの。ルミがこっちに来て記憶を無くしてるかもしれないって思ったから」
堰を切ったように、心結ちゃんの思いが溢れ出す。
胸に拳を当てて、その拳をもう片方の手で握りしめた。
私には心結ちゃんが言っていることが何も理解できないけど、私が口を挟む隙間はなかった。
それくらいに目の前の少女が必死だったから。
「ねぇ、本当にわたしのことも自分のことも覚えてないの?」
私を見つめて、心結ちゃんは再び尋ねてきた。
でも私は分からない。
どうして心結ちゃんが自分のことを『グレース』と名乗って、私のことを『ルミ』と呼ぶのか。
こんなに心結ちゃんが必死なわけも、分からない。
「う、うん。ごめんなさい」
私が頭を下げると、
「そっか……。やっぱりそうだよね。『ルミ』ってずっと言ってるのに表情一つ変えないんだもん」
諦めたような表情で下を向き、微笑を浮かべる心結ちゃん。
「あの、『ルミ』って……?」
おそるおそる尋ねてみると、心結ちゃんは私を見つめて口を動かした。
「あなたの名前……あなたの、本当の名前だよ」
どういうこと? 私は『村瀬雪』じゃないの?
じゃ、じゃあ『グレース』っていうのは心結ちゃんの本当の名前……。
「もう……全部話すよ。何でわたしがこんなこと言ってるのか」
そう言って、心結ちゃんは話し始めた。
※※※※※※※※※※※※※※※
まだ、天界と吸血鬼界と人間界がそれぞれ独立した世界で互いに干渉することもなかった時代。
吸血鬼界のとある村にひっそりと住んでいた鬼達がいた。
名を『氷結鬼』。名前の通り物を凍らせる力を持つ鬼達である。
その力のせいで一般的な吸血鬼達から避けられ蔑まれた結果、氷結鬼達は住処を王都から遠く遠く離れた集落よりもずっと奥の、荒れ地へと変更した。
そしてそんな種族の中に命を宿したのが後にグレースとルミと名付けられる子鬼だった。
二人は幼い頃から付き合いが長く、幼馴染として時を共にしていた。
訓練も兼ねて、二人はいつも氷術を使って遊んでいた。
そんな時、グレースが誤って氷の力を最大限まで引き出してしまったのだ。
その影響は遠く離れた王都まで及び、王都が凍ってしまう事態が起こった。
王宮はすぐさまこれに対応すべく、氷結鬼達を封印して彼らの力である氷術も使えないようにしてしまった。
何とか難を逃れたグレースとルミだったが、王宮の調べにより事件の犯人がグレースであると突き止められてしまい、二人は王都の追手から逃れるために逃亡生活を送るようになる。
しかし子鬼に出来ることなど限られている。
ついに二人は陛下が送り出した追手に捕まって王宮へと連行されてしまった。
その際に当時の国王陛下は犯人であるグレースを問い質したが、グレースは恐怖のあまり泣きじゃくるだけだった。
そんな彼女の様子を隣で見ていたルミは、陛下に『実は自分がやってしまった』と告白。
事件は一転してルミが牢獄に入れられることになってしまった。
ルミが牢獄に入れられた後、グレースは一人住処へと返された。
しかし幼馴染であり友達のルミは捕らえられ、大人達は封印されてしまった。
自身も王宮のせいで氷術は使えない。
自分が頼るべき相手は誰もいないと悟ったグレースは、移り住んでも害が無さそうだという理由で、人間界へと降りた。
人間について一生懸命学び、人間界には『学校』というものがあることを知り、受験者全員が初対面である受験制の中学を受験。
白髪を隠すためにウィッグを買って、一番ドンピシャだったサイドテールの髪型にした。
そして『氷下心結』と名乗って、無事に成績トップで入学した。
名前の由来は人間について学び始めた当初、人間には『下心』という悪い面が存在することを知ったからである。
そして自分への戒めのため『氷結』の字も織り混ぜた名前にしたのだ。
その知識を使って高校に入学し、そこで雪を見知った。
グレース____氷下心結は、直感で『雪』が『ルミ』であると感じて『下心』で近付いたのだった。
一方で、自分が事件を引き起こした犯人であるという嘘の自白をしたルミは、王宮の者によって記憶を消され、姿を人間のように変えて人間界に送り込まれた。
そこで捨て子として放置しておき、事情を知らない人間に預けることにしたのだった。
ダンボールに入れられているルミを見つけたのが、後に雪の母となる村瀬小春だった。
彼女はまるで雪のような白い肌をしたルミを『雪』と名付けて、自分の娘として育てることにした。
最初は小春に怯えて震え、部屋の隅で膝を抱えていただけのルミ____村瀬雪。
小春はそんな娘を少しでも楽しませようと、近所の花畑に連れていった。
自分は桃色のワンピースを来て、雪にはその小さいサイズを着せて。
早朝の風はとても気持ちが良かった。
肌を撫でる風が心地好く、ベンチに雪を座らせたまま、小春は花畑の中に入っていった。
そして雪の方を振り返った。
『見て。こんなに素敵な景色があるんだよ』と。
風が横から吹いて、小春の髪と桃色のワンピースをヒラヒラとはためかせた。
間もなくして小春は亡くなった。
持病が悪化したのが死因だった。
それから雪は小春の父____現在のおじいちゃんに引き取られた。
雪が五歳の時だった。
※※※※※※※※※※※※※※※
心結ちゃんは全てを話し終えると、ふぅと息を吐いた。
「はい、これがわたしが知ってる全部」
「何で心結ちゃん……グレースちゃんが……」
私が言い直すと、心結ちゃんは困ったように笑った。
「無理してその名前で呼ばなくて良いよ。ここじゃ心結は『氷下心結』なんだし。それで、何か言いたいことは?」
手を後ろに回して、心結ちゃんは私の顔を覗き込むようにして見てきた。
気付けば少し日が落ちて辺りも暗くなってきていた。
私は思い切って尋ねてみることにした。
これだけはどうしても不思議だった。
「何で心結ちゃんがその後の私を知ってるの? ……会ってないのに」
心結ちゃんが話してくれたことと照らし合わせて考えると、心結ちゃん____グレースとは王宮で別れた。
人間界に降りたって言ってたけど、私が送り込まれたのはその後。
それに姿形も完全に変えられたって言ってたし、私が友達の『ルミ』だって気付くはずかないから。
「氷をカメラ代わりみたいにして見てたの」
「カメラ?」
私が聞き返すと、心結ちゃんはコクリと頷いて、
「ルミと離れないといけないって分かってから、すぐわたしの氷をルミに付けた。絶対外れないようにしてね」
氷結鬼ってそういうのなら氷術なんて使わなくても簡単に出来るのよ、と心結ちゃんは笑った。
「その氷がカメラのレンズみたいな役割をしてたってこと?」
「そう」
そんなことも出来るんだ。
やっぱり吸血鬼……氷結鬼というか『鬼』って凄いな。
「今は?」
問いかけながら私は腕や足を見て氷っぽい物がないか確認する。
でもそれらしきものは何も引っ付いていない。
おかしいな。
「もう無いよ~」
「え?」
驚いて目を丸くした私に思わず吹き出して、心結ちゃんは言った。
「最初にルミに近付いた時にわたし……心結の身体に戻したから」
「そ、そうなんだ」
そんなの全然気付かなかった。
案外スリとか上手なのかも。犯罪だけど。
「ねぇ、ルミ」
不意に心結ちゃんが私を呼んだ。
「何?」
私が心結ちゃんを見つめると、彼女は両手を広げて尋ねてきた。
「わたしの本当の姿、見てみる?」
夕陽がまるで後光のように心結ちゃんを明るく照らしていた。
「う、うん」
自分でも不思議だった。
いつの間にか私は頷いていたのだ。
まだ決心も出来ていなかったのに。




