第105話 雪と心結
学校が終わると、私はいつも一番乗りに校門を出て、待ってくれているイアンさんと一緒に吸血鬼界に行く。
それが私の日課であり唯一の楽しみだった。
でも今日は違った。
何故なら、帰ろうと思っていた私の目の前に一人の少女が居るから。
彼女は後藤さんのお付きの者の一人。
いつも私の事を揃いも揃って馬鹿にしてきた。
そんな彼女が一体私に何の用があると言うのか。
目の前でニコニコと笑顔を見せている彼女に、私は少し身構えながら尋ねた。
「何か御用ですか?」
「嫌だ、そんな怖い顔しないでよ」
少しだけ身構えたつもりが、バッチリ表情として表れていたようで、女の子は罰が悪そうに言った。
「あ、ごめんなさい」
「手紙のことで色々と大変だよね〜」
もうちょっと笑顔で居なきゃ、と思って表情筋を動かしたりしていると、女の子がのんびりとそう口にした。
「あ、はい。皆に私宛てだって言われるのももう慣れましたけど」
私はそう言って情けなく笑った。
勿論この言葉には続きがある。
____だから、あなたも同じようなこと言ってこないでね。
彼女に伝わるか分からないけど、どうか伝わってほしい。
もう『吸血鬼って何なの?』とか『夏合宿の時も……』とか言われるのはうんざりなのだから。
「安心して。心結はそんなこと言わないから」
そう言って彼女____氷下心結ちゃんはニコリと笑った。
「そ、そうですか。お気遣いありがとうございます」
早く吸血鬼界行きたいのに……。
「それよりさ、雪ちゃん今困ってるでしょ?」
「は、はい、色々と」
私がそう答えると、氷下さんは『待ってました!』と言わんばかりの笑顔で、
「心結にも何か手伝えること無い?」
小首を傾げて尋ねてきた。
その拍子に一つに結んでいるお下げがふわりと揺れる。
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
立ち上がって一礼し、私は教室を出ようとした。
すると、
「待って待って! 心結ってそんなに信用出来ない?」
後ろのドアから出ようとした私の行く手を、氷下さんは大きく両手を広げて遮った。
「い、いえ、そんな事ないです。でも私、ちょっと急いでて」
もう一度頭を下げて、氷下さんの横を通り過ぎようとした。
「吸血鬼さんの所に行くの?」
耳元で囁かれて、私は思わずビクッとして立ち止まってしまった。
「な、何の事ですか……?」
全身を氷が駆けずり回るような寒気が襲ってくる。
それでも平常心を装って尋ねた。
「ありゃ? 心結の勘違いだった?」
氷下さんは『あっれ~? おかしいな~』と片眉を上げて小首を傾げ、顎に人差し指を当てて分かりやすく思案のポーズをする。
「でもでも、手紙は吸血鬼さんからだったんでしょ? だからそのヒトの所に行くのかな~って思ったんだけどな~」
吸血鬼を名乗る差出人の所に行くわけじゃないけど、イアンさん達の所に行こうと思ったのは事実だ。
氷下さんの言うこともあながち間違ってはいない。
「____」
だからこそ、私は何も言えなかった。
「心結の勘違いだったか~ごめんね~雪ちゃん」
片目を瞑って両手を合わせ、氷下さんは謝ってくる。
「い、いえ……」
一方の私は首を振って何とかはにかんだような笑顔を見せた。
「じ、じゃあ私はこれで」
今度こそ氷下さんを振り切るために、カバンを背負い直して一礼し、足早に教室を出ようとした。
「あ、待って待って、雪ちゃん! 行かないで!」
しかしカバンを持っていない方の手首を掴まれて、また教室を出る術を失ってしまう。
「ま、まだ何か……?」
思わず心の内に閉まっていたはずの警戒心をむき出しにして、振り返ってしまう。
おそらく、氷下さんを見つめる私の瞳は警戒心に塗れていたのだろう。
私が言葉を発すると同時に、氷下さんはハッと目を見開いた。
その表情は純粋な驚きに満ちていた。
先程までの、まるで私を嘲っていたような驚き方ではなく、ただ純粋に驚きという感情をその顔に宿して、氷下さんは私の手首を掴んだまま立っていた。
「い、いやだな〜、そんなマジにならないでよ〜。心結ビビっちゃったじゃんか〜」
いつの間にか私の手首から彼女の手は外れていて、代わりに今まで私の手首を掴んでいたその手は、彼女の流れるような髪をくしゃくしゃと掻いていた。
「あっ……ごめんなさい。あまり友達と話す機会とか無くて、どうやって接したら良いのか分からなくて、ついおかしなことを……すみません」
急いで手を重ねて腰を折り頭を下げた。
つらつらと並べた言い訳は、この際何の効力も持たない。
実際、私が氷下さんに警戒心を向けたのは、友達とどうやって接したら良いのか分からなかったからではない。
ただ、一刻も早くイアンさんの所に、吸血鬼界に行きたくて気持ちが早っていただけ。
「良いよ良いよ〜。心結の方こそ、勝手に引き止めちゃってごめんね〜」
掌をこちらに向けて小刻みに振り、氷下さんも謝ってくれる。
これなら円満解決____そう思っていた。
「心結、雪ちゃんに悪いことしちゃったから何かお詫びがしたいな〜。雪ちゃん! この後時間ある?」
氷下さんに問われて私は黒板の上にかけてある時計を見た。
時間は15時30分。
普段ならもう吸血鬼界に着いている時間帯だけど。
でもせっかくお詫びしたいって言ってくれてるし……。
その気持ちを踏みにじるのはちょっといけ好かないよね。
暫く考えてから私は答えた。
「少しなら……大丈夫ですけど」
そう言うと、氷下さんの表情がみるみる明るくなっていく。
氷下さんは感激したように両手を胸の前で組み、目をキラキラと輝かせた。
「じゃあ、一緒に美味しいスイーツ食べに行こ!」




