93話
私は父が嫌いだった。
お金だけ渡し、私と病弱だった母を残して遊び回っていた父のことが大嫌いだった。
母がこの世を去って間もないのに、愛人を招き入れ、「これから、この人と一緒に暮らすから仲良くしろ」と告げてきた父を、本気で嫌悪していた。
私と同じ年齢の、腹違いの妹に会わされた時は、殺意が湧いた。
同時に亡くなった母が、報われないと思った。
母が病に伏していた時、この男は別の家庭を築いていたのだから。
私は継母が怖かった。
父の見えないところで、暴力を振るってくる継母のことが怖かった。
亡くなった母を侮辱し、私と義妹を比べ、よくもまぁここまで言えるモンだと関心するくらい、毎日罵ってくる継母が怖くて仕方なかった。
母の形見だった指輪を捨てられた時は、なぜここまで残酷になれるのかと思い、崩れ落ちた。
これでは優しかった母が悲しむと思った。
私と母の尊厳は、継母によって踏み躙られていたのだから。
私は義妹のことが恐ろしかった。
私よりも頭の回転が早くて、発育が良くて、要領のいい義妹のことが、恐ろしかった。
当たり前のように私の大切なモノを奪い取り、美しい容姿と魔性の性格で、私の交友関係を荒らす義妹のことが、恐ろしくて仕方なかった。
最終的に私の友人が、全員義妹の言いなりになった時は、悪夢を見ているような感覚に陥った。
これでは旅立った母に、合わせる顔がないと思った。
義妹は私から、ありとあらゆるものを奪い取っていたのだから。
この日常の行末が、笑えないモノになるのは必然だったのかもしれません。
愛されない私は、義妹の身代わりとして出兵することになりました。
母が生きていたら、なんて言うのでしょう。
一人娘の私が、戦場へ向かうことを知ったら、なんて言うのでしょう。
悲しんでくれたら嬉しいです。私にはもう、悲しんでくれる人なんていませんから。
どちらにしても私は、すぐ母の元に向かうことになるでしょう。
鈍臭い私が、生き残れる筈がないのですから。
全てを失った私が、全てを諦めるように天を仰ぐ。
これは私の────忌まわしい出兵直後の記憶。
─────────
忘れたかった記憶が蘇る。
身体に刻み込まれたトラウマが目を覚ます。
父親譲りの、銀髪で三白眼の少女を前にした私は、動揺で息が上手く吸えなくなってしまった。
「久しぶりシエル。しばらく会わない内に似てきたじゃない。惨めで無様だった、あなたの母親そっくりよ」
「ア、アン……な、な、なぜ……日本に……」
浅い呼吸で、なんとか言葉を絞り出す。
今日は巴さんと、シェリーちゃんねるの方向性について語り合う予定だった。
最近出来たオシャレな喫茶店で、バズっているというデザートを食べながら、盛り上がるつもりだった。
それがまさか、義妹のアン・アイスランドが現れるなんて…………。
怯える私を見て、アンが銀色の長髪を耳にかける。
「一緒に居たのはシエルの友達? 呼んできて跪かせなさいよ」
「な、な、な、なぜ……そ、そんな……ことを……」
「理由は無いよ。ただ久しぶりに、シエルの困った顔が見たいだけ」
アンが蠱惑的な笑みを浮かべる。
可愛いや美しいといった言葉が、陳腐な表現になる程の美貌。その笑みを向けられるだけで、数多の男が死んでも良いとまで言わしめた絶美。
そんな悪魔のような女が、再び私の前に立っている。
湧き上げる恐怖を根性で飲み込み、体の震えを全力で押さえつける。
そしてなんとか、言葉を絞り出した。
「ア、アンはなぜ……日本に居ますの……? に、日本語まで覚えて……か、観光ですの……?」
観光なら観光でいいです……好きな所を見て回って、とっとと帰ってほしいです……。
次の瞬間、空気が凍った。
「ねぇ? さっきのお願いは何処に言ったの? なんで勝手に話を進めているの?」
「………………え?」
「シエル如きが、私の話を遮っていいの? いつからシエルはそんなに偉くなったの?」
「ぇ……ぃ、ぃゃ……ぁ……」
「凄くイヤな気分になっちゃったんたけど? ねぇ? 私、凄くイヤな気分になっちゃった」
「ぅ……うぁ……ぁ……ぁあ……」
「早く謝ってよシエル。Get on your knees and apologize」
有無を言わせない強要に、心臓が鷲掴みされるような錯覚に陥る。
同時に、忌まわしい記憶が蘇ってくる。全ての尊厳を踏み躙られてきた、悪夢がフラッシュバックする。
そして体が勝手に動き始めた。
土下座をしようとする私に、アンが鈴を転がすような声で笑った。
「Revoke. あはは。止めてよシエル。冗談だって。何を本気にしているの?」
「ぇ……え? ぁ……ぅ……」
「相変わらず、シエルはなんでも言うことを聞いてくれるね。嬉しいな」
「うぅぅ……あぅぅ……」
空気が和み、少しホッとする。怒っているのはフリだったみたいで、実は機嫌がいいっぽい。
ほんとダメダメですね私……未だにアンのことが恐ろしいなんて……。
さっきも自然と身体が動きました。無意識の内に身体が────
ん?
いや……ちょっと待って下さい……。
おかしいです。
なぜ私は、言われるがまま土下座を始めたのでしょう?
いくらアンのことがトラウマになっているとは言え、なんの抵抗もなく土下座なんてやった記憶がありません。
それこそ凄まじい、強制力のようなモノが働いた気がします。
例えるなら、ナタリーさんと喧嘩をしていた時に喰らった、タカシ君のルッカ。喧嘩を止める為に使われた、ルッカの命令に近い強制力。
疑問が、疑惑へと変わっていく。
タカシ君がルッカを使用する時は、必ず英語を使っていました。使い慣れた言語じゃないと発動しないとか、なんとかで。
なぜアンは、急に英語で喋ったのでしょう? これではまるで──────。
そこまで考えて、背筋が凍る。
すぐにグレィスを発動して、アンを注意深く観察する。
疑惑が確信へと変わっていく。
彼女の細胞比率を見て、愕然としてしまった。
アンは私と同じ、特殊生体兵になっていた。
「国連復興軍から、お父さんの会社に依頼があったの。ネットに機密情報が漏洩しないよう、AIによる検閲システムを作って欲しいって」
聞いてもいないのに、嬉しそうに喋り始めるアン。
どうやら私が勘付いたことに、彼女も気付いたらしい。
「その時に、軍の機密情報を全て教えてもらったの。AIで弾くにしても、内容を聞かなきゃ検閲なんて出来ないからね」
国連復興軍は、バカなんじゃないでしょうか。なぜよりにもよって、アイスランド社にその依頼をするのでしょうか。
アンにドズ化のことを知られたら、悪用されるに決まってるじゃありませんか。
「それでまぁ色々あって、私もDODっていうのをやってもらったの。生体兵団の言葉を借りるなら、混合十四種・H種特殊生体兵ってところかな」
十四種と聞いて、思わず目を見開く。
十四種なんて混合、タカシ君以外で聞いたことがありません。パーフェクトマッチと呼ばれる私や翠兵長ですら、十一種が限界です。
アンはタカシ君と同じ、例外に片足を突っ込んでいます。最悪なことになった時、力付くという手が使えなくなりました。
「それで、ここからが本題になるんだけど」
吸い込まれそうな三白眼を細め、彼女は艶っぽい口調で囁く。
「シエル、四分咲タカシと一緒に暮らしているんだってね? 代わってくれない?」
「………………ぇ?」
「貴方には勿体無い相手だよ。だからシエルに代わって、私が四分咲タカシと暮らす」
「ア、アン…………な、何を言って…………?」
「それに四分咲タカシだって、喜ぶと思うんだよね。私は完全にシエルの上位互換だから」
「…………………………」
「だからシエル。四分咲タカシに、その説明をしてくれないかな? これからはシエルに代わって、アンが一緒に暮らしますよって」
無茶苦茶なことを言い始めるアン。私の気持ちなんて何一つ考えていない。
な、なぜこんなことを……なぜこんな要求をされなければならないのでしょうか……。
首を縦に振れない私は、なんとか思い直してもらおうと泣きを入れる。
「イ、イヤですわ……ワ、ワタクシ……タカシ君と離れたくありませんわ……」
「わがまま言わないでシエル。見苦しい女は嫌われるよ」
「タ、タカシ君だって、きっとイヤだって言いますわ! タカシ君はワタクシのことが大好きマンですから!」
「さっきから気になってたんだけど、何その口調? 私をバカにしているの?」
「バ、バカにしているワケではありません! コレだって、ワタクシとタカシ君と六花さんの絆であって──」
「なんか色々言っているけど、別に四分咲タカシは、シエルを特別視していないよ?」
「………………え?」
「だってそうじゃない。終戦後、四分咲タカシはシエルを軍に残して、母国に帰国したんでしよ? シエルを大切に思っている行動じゃないじゃん」
確かに当時、タカシ君は何も告げずに帰国しました。
私が単独行動をしていたので、擦れ違ったからだと思っていましたが…………言われてみれば、確かにそう思えます。
畳み掛けるようにアンが言葉を続ける。
「仮に帰国するにしても、一言くらい声をかけるのが普通じゃないの? シエルのことが大切なら、別れの挨拶くらいするべきじゃないの?」
「…………………………」
「所詮、その程度なのシエルは。四分咲タカシにとって、その程度の女」
パニックで、思考が上手く働かない。
当時、どういうやり取りだったのか、上手く思い出せない。
でも……確かにアンの言う通り、いくらガーネット総監が嘘を吐いたとしても、別れの挨拶くらいする筈なんです……。
大切に思っている相手なら……別れの挨拶くらいしなくちゃおかしいんです……。
思考がどんどん悪い方へ悪い方へと流れていく。
心の拠り所だったモノが壊れていく。
私は、私が思っている程、
大切にされていない。
「だから私がシエルの代わりなるね。四分咲タカシに、その辺の説明よろしく」
アンの言葉が耳に入ってこない。それどころじゃない。
ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。動悸が激しくなっていく。
過呼吸になる私を見て、
アンは嬉しそうに声をあげて笑った。
八章前編は以上です。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
本来であれば全て書き上げてから投稿する予定だったのですが、先だってコミカライズが販売されることを知り、前後編に仕上げた次第でございます。
中途半端ですみません。9月5日予定の原作三巻が発売される前には再開出来ればと考えております。間に合うかな……? とにかく頑張ります。
コミカライズについても、特典を纏めて頂きましたのでご報告します。どれもこれもオススメなので、是非確認していただければと。
今回もたくさんの評価、ブックマーク、感想、いいね、ありがとうございます。
三十万文字を超える作品になれたのは、皆様のおかげでございます。当初はここまで続ける予定では無かったので、感慨深い気持ちになります。
今後も頑張りますので、よろしくお願い致します。








