92話
タカシが私の家に来て、既に二時間が経過した。
自室へと移動した私達は、会話に花を咲かせていた。
下らないことしか喋ってないのに、楽しくて楽しくて仕方ない。
「タカシって、身長なんセンチあるの? 随分大きくなったみたいだけど」
「170…………3か4くらいかな。すくすく成長したぜ」
「私より5センチ以上大きくなったのね。あのちっちゃかったタカシが……こんなにも大きくなっちゃって……」
「成長期だからまだまだデッカくなるぞ。あと60センチはデカくなりたいな」
「ぽぽぽとか言い出しそう」
「八尺様じゃねぇよ」
私のしょうもないボケにも、ちゃんとツッコんでくれる。
すっごい懐かしい気持ち。戦争が始まる前は、よくこういう会話をしてたっけ。
喜びを噛み締めながら、更にボケ返す。
「230センチになったら、私の目線がタカシの乳首になっちゃうわね。ふ〜ん。えっちじゃん」
「見上げろ。もっと首の可動域増やせ」
「勿論見上げるけど、疲れたなぁ〜って思って首を下げたら、乳首なワケじゃん。もぉ〜! タカシのえっち!」
「あー…………じゃあ、中腰で歩くわ。これで解決。はい、論破」
「中腰で歩くくらいなら今の身長を維持しろよ。はい、論破」
「レスバ強すぎる……勝てる気がしない……」
完全に論破されたタカシが、ニヤニヤと笑いを浮かべながら天を仰ぐ。
私も釣られてニコニコと笑う。
穏やかな雰囲気に包まれていると、ふと我に返った。
会話が楽しすぎて、本来の目的を忘れてしまっていることに気付いた。
っていうか、ありえない。
美少女を前にしているのに、ありえない。
さっきからコイツ、私の胸元や、脚に視線が移動していない。
今日はタカシを誘惑する為に、首周りがダルダルなTシャツや、限界ギリギリまで短くしたスカートを履いている。
ちょっと動けば、厳選したピンクの下着がチラチラ覗くのに、視線がそっちへ移動していないのだ。
普通の男なら、必ず胸に目が行く。
私が隙を見せたら、必ず視線が移動する。
それなのにタカシは、男子高校生特有のイヤらしい視線を全く送ってこなかった。あまりにも自然体だから、童心に帰って呑気に語り合ってしまった。
今日中に、既成事実を作らなきゃならないのに……何をやっているんだ……私は……。
ポンコツを挽回するべく、慌ててタカシの隣に移動する。
そしてわざとらしく、Tシャツのネックをパタパタと動かした。
「き、今日も熱いわねぇ……こう猛暑が続くとイヤになるわ……」
「クーラーの温度下げる? ってか、凛子ん家、でっけぇエアコン入ってんな……」
「あ……うん……今年、買い替えたの……」
「は? 喋るんだけどこのエアコン。なにこれ? これがAIってヤツ?」
私の誘惑に気付かないタカシは、最新機種のエアコンに近付いていった。
そして、すっげーすっげー言いながら、室内機を観察し始める。
なんこれ?
私の魅力は、家電に負けちゃうワケ?
家電メーカー、企業努力しすぎでしょ。タカシ、取られちゃってるじゃん。もうちょい手を抜いてよ。
どうにかしてピンクな展開に持っていきたい私は、話題を思いっきり変えた。
「タカシってさ、ナタリーさんやシェリーさんと一緒に暮らしているんだよね? 変なことをしていないでしょうね?」
「変なこと? するワケないじゃん」
「本当ぉ? ナタリーさんって滅茶苦茶色っぽいし、シェリーさんだって隠しきれない色気があるじゃない。タカシ、イヤらしい目で見てないでしょうね?」
勿論、タカシがそういう目で見てないことは分かっている。
これはただの切っ掛け。ちょっとずつ話題を恋愛やえっちな話に変えて、タカシの意識をコッチに移すのだ。
私の質問に、タカシがキョトンとした顔で応えた。
「やっぱり、アイツらって客観的に見ると可愛いんだな。普段バカばかりやってくるから、忘れがちになるけど」
「あのレベルの女の子を相手に、凄いこと言うわね……多少粗相しても、あの二人は可愛いって思えるでしょ…」
「限度ってモンがあんだよ……四六時中トラブル起こされたら、そうなるって……」
「トラブルメーカーっていうフィルターがかかってるから、可愛いって思えないのよ。初めて出会った頃の、第一印象はどうだったの?」
実は結構気になっている質問。
この回答によって、タカシが彼女達をどう想っているのか分かる。
固唾を呑んで見守っていると、タカシが腕を組んで、「第一印象か……」と呟いた。
「思い返してみたら、今と全然イメージが違うな。アイツら暗かったし」
「ん? どういうこと?」
「ナタリーって、今でこそ人を舐め腐ったような性格になっているけど、出会った頃はニコリとも笑わない、無口で融通の効かないヤツだったんだよね」
「え?」
「シェリーもシェリーで、この世の全てが気に入らないって感じで塞ぎ込んでたし。シェリーとは何度も喧嘩したっけ……」
「え? ほ、本当の話? あの二人が、そんな感じだったの?」
今のナタリーさんやシェリーさんからは、考えられないような情報だ。
「もし飛龍────この前の赤髪の女の子に会う機会があったら、聞いてみたらいいよ。俺と同じことを言うから」
「全然想像がつかないわ……あの二人が、そんな感じだったなんて……」
「教えてくれないけど、過去に色々あったみたいなんだよ。だからあのバカ共には、幸せになってもらわ────」
話の途中で、ピンポーンというチャイムの音に遮られる。
同時に、私の机に置いてある、ワイヤレス玄関子機のモニターが光る。
複数の女の子の姿。どれもこれも面識がある人達。
シェリーさんと巴さん、それにナタリーさんと花梨お姉さんが映っていた。
────────────
タカシを自室に残し、玄関の扉を開けると、自分でもびっくりするような低い声が出た。
「まだ二時間しか経ってないんだけど」
二人っきりなって、まだ二時間。
それなのにこの人達は、私の邪魔をしに来たのだ。あれだけ二人っきりにさせてってお願いしたのに…………っ!!
ギリッと歯軋りを鳴らす私を見て、ナタリーさんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「凛子ちゃんごめ〜ん……今日だけは頑張って我慢しようと思ったんだけどぉ……ちょっと問題が起こっちゃってぇ〜……」
「今日という日を、私がどれだけ待ち望んだか分かっているの……? な、泣いていい……? ぐす……な、泣くわよ?」
「な、涙目にならないでよぉ……ホント、ごめんてぇ……」
震える私に、花梨お姉さんも宥めに入る。
「ご、ごめんね凛子ちゃん。別に邪魔しようと思って来たワケじゃないの。ナタリーちゃんの言う通り、問題が起こっちゃって」
「楽しみにしていたのにぃ……ぐす……皆で私の邪魔してくる……私の健全なお泊り会がぁぁぁ……」
「その割には胸元とスカートが健全じゃなくない? なにその際どい格好。そんな服装でタッ君と二人っきりでいたの? 言ってたことと違うじゃん」
「あ……いや……こ、これはリラックス出来る格好になっただけで……」
花梨お姉さんの瞳から、急速に光が失われていく。
そ、そういえば……花梨お姉さんには、性的なことは絶対にしませんからお泊まりを許して下さい、って言ってたんだっけ……。
蛇に睨まれた蛙状態になっていると、巴さんが割って入ってきた。
「そ、そういう話はあとにして、取り敢えずタカシさんを呼んで来てくれないかな!?」
「タカシを? そういえば問題って何があったの? 緊急なこと?」
「ボ、ボクの手には負えなくなって、四分咲家に向かったら、コッチにいると聞いてここまで来たんだ! あ……ち、ちなみに、ナタリーさんとお姉さんは、道案内を頼んだだけだから邪魔をするつもりは無いよ!」
どこか焦っているのか、要領を得ない回答をする巴さん。
意味が分からず、聞き返す。
「ん? 手に負えないって…………どういうこと?」
「えっと……見てもらった方が早いか……」
そう言って、巴さんが一歩隣へと移動した。
彼女の陰に隠れていたのは、シェリーさん。真っ白なワンピース姿が可愛らしい。
ただ、彼女にはいつもの快活さが見られなかった。
顔面蒼白で、大粒の涙を流している。
いつもの残念な泣き方じゃない。過呼吸気味になりながらパニックになっている。
取り乱す彼女を見て絶句していると、巴さんが困った表情で話し始めた。
「今日はシェリーさんと一緒に遊んでいたんだ……シェリーちゃんねるの方向性を決めようってことで」
「……………………」
「そうしたら急に、シェリーさんに似た女の子が現れて、シェリーさんが慌てて席を外したんだ……『二人でお話しをしますので、少々お待ち下さいまし!』とか言われて」
「……………………」
「しばらくして戻ってきたと思ったら、この状態になっていたよ……ずっと宥めていたんだけど、どうにもならないからタカシさんの力を借りたくて……」
シェリーさんの頭を、優しく撫でる巴さん。
なんでこんなことになっているか、分からないといった様子。
確かに、シェリーさんの様子は尋常じゃない。
この手の泣き方は、私達が経験してきたような泣き方だ。
大切な人を奪われる、心の拠り所を無くした時に見せるような泣き方。
まるでタカシが徴兵された時の、私を見ているようだった。








