91話
桔梗ヶ原凛子は、今回のお泊りデートで既成事実を作るつもりだった。
とは言っても、彼女にもプライドがある。カリスマモデルとして無様な真似は出来ない。
理想的な展開は、タカシの方から迫ってきてもらうことだろう。タカシがムラムラして襲ってくるのが、最も理想的な展開。
そうすれば、「もぉ〜……タカシったら、私とそういう関係になりたかったのぉ? しょうがないわねぇ……」(ニヤニヤ)なんて言いながらマウントが取れるのだ! 余裕のある大人の女性を演出出来るのだ!
とにかく凛子は、チョロい女に成り下りたくなかった。
モデルを始めたのも、タカシに追いかけてもらうことが目的だった。高嶺の花となり、タカシを夢中にさせて独占することが目的だった。
その計画が頓挫してしまった以上、彼女はこのお泊り会に賭けるしかなかった。
今日はタカシがその気になるまで、本気の誘惑を繰り返す。
最初っから最後まで、全速前進で突き進む。
いくらズレているタカシでも、カリスマモデルが度を越した色仕掛けをかませば、絶対に興奮するに違いない。
肌の露出を増やし、精のつくものを食べさせ、スキンシップを重ねれば、いくら疎いタカシでもその気になるだろう。
そこで一言、「寒いから……そっちの布団で眠ってもいい……?」とか甘えちゃえば、タカシの理性はパーンッする筈だ。熱帯夜が続いていて寒いもクソもないのだが、絶対にパーンッすると彼女は思い込んでいた。
色々と妄想し、凛子が舌舐めずりをする。
今日という日の為に準備してきた。
この大チャンスをモノにするために、根回しは済ませてきた。
彼女の両親は、その根回しによって家を空けている。親孝行という名目でプレゼントされた、二泊三日の温泉旅行へ出かけている。
最も厄介な文香とも淑女協定を結んできた。お互い邪魔はしないよう約束を交わしてある。
これでもう、凛子の暴走を止める者は誰もいない。最後の最後まで突き進む、R18モンスターが爆誕したのだ。
「やっぱりピンクね……ピンクが最強だわ……」
溢れ出る涎を拭いながら、手に持った下着を握り締める凛子。
カリスマモデルは、初っ端からトップギアで行くつもりだった。
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自宅を出て数十分。遠くに見え始める、凛子の豪邸。
なんとなく嫌な予感がした俺は、M種マールを使って索敵を始めた。
凛子の知名度は、俺が思っている以上に凄まじい。
ファンの熱量なんて、最早応援というより崇拝だ。凛子が出演するだけで、無名だったシェリーちゃんねるが一瞬で話題になったくらいだし。
そんな令和を代表するインフルエンサーが、先日炎上しちゃったのだ。それも、俺と絡んでいる写真が原因で。
もしかしたら、スクープ狙いの週刊誌記者が集まってるんじゃないか? 凛子の影響力を考えたら、集まらない方がおかしいっていうか。
一応、全て花村の捏造ってことで処理してもらったけど…………どうにも嫌な予感がして仕方なかった。
対象を“人間”に設定し、凛子ん家を中心に1キロ圏内を索敵。
不審なヤツがいないか、周辺をくまなく調べる。凛子ん家を伺うような人だったり、カメラを構える人だったり。
数分かけて調べ上げた俺は、天を仰いだ。
………………うん。
めっちゃおるなぁ…………。
さすが時代を象徴する有名人。プライバシーもクソもない。
凛子ん家のセキュリティが万全じゃなかったら、なだれ込みそうな勢いだ。みんなカメラを構えて、今か今かとシャッターチャンスを伺っている。
ここ田舎なんだけどなぁ……凛子レベルになると、熊が出るような田舎にも記者が集まるのかぁ……凄いなぁ……。
この状況で、ほいほいインターフォンを鳴らすことは出来なかった。そんなところを撮られたら、今度こそ洒落にならない炎上になってしまう。
かと言って、週刊誌記者を追い払うのも難しい。手段を選ばなければやりようはあるけど、それをやってしまったら平穏な日常どころではなくなる。
仕方なく脇道へと逸れて、スマホを取り出す。
そして凛子に電話をかける。
プルルと発信音が鳴ると、弾む声が聞こえてきた。
『到着した!? すぐ開けるね!!』
危機感の無い凛子を、慌てて制止する。
「ち、ちょいストップ! まだ開けないでくれる?」
『は? なんで開けちゃダメなの? 嫌よ。早くアンタの顔を見せなさいよ』
「嫌って…………週刊誌記者っぽい人が、凛子ん家の周りを張っているんだよ。この前、凛子のSNSが炎上しただろ? その影響で集まってるっぽいんだよね」
『え? 私のSNSって炎上していたの? 初耳なんだけど…………』
「SNSに興味無さすぎじゃない? 本当に女子高生?」
普通の女子高生って、四六時中SNSに齧りつくもんじゃないの? やっぱ凛子って面白いわ。
『私は別に、週刊誌にすっぱ抜かれても平気なんだけど……タカシが巻き込まれるのは面白くないわね。どうしよっか?』
「いや……そこは気にしましょうよ……凛子ちゃん、成功しているんすから……」
『それより、この状況をなんとかするわよ。せっかくのお泊まり会を、こんなことで台無しにされるのは困るわ』
それもそうだな。
凛子の言うように、ここで足止めされるのは面白くない。バレないよう凛子の家に移動する必要がある。
『サングラスとマスクで変装する? あとでお金払うから、近くのコンビニで買って来てよ』
「逆に目立つと思うし、絶対にバレない確実な方法を使うよ。アレなら誰にも気付かれることは無いだろうし」
『アレ? アレって何をするの?』
「ほら、水着買いに行った時に見せたアレ」
『あー……文香さんが詐欺に巻き込まれた時に、デパートから消えたアレね……』
凛子の呟きを聞き流しつつ、U種ウラシマを発動する。
凛子ん家の玄関先に座標を合わせて、道を作る。
緊急事態以外では、特性を使っちゃダメって総監に言われてるけど……バレなきゃええんや。最悪バレても、腹切って詫びりゃいい。
安全を確認してから、小さく呟いた。
「それじゃあ、玄関に移動する。少し離れてて」
眼の前の空間に切れ目が入る。
まるでアニメで見るような、ぐにゃぐにゃとした四次元空間が広がる。
その空間に呑み込まれると、そこそこ強い酩酊感に襲われた。車酔いに近い、奇妙な感覚。
その酔いに身を委ねていると、凛子ん家の玄関に立っていることに気付く。
どうやら無事に移動したみたい。相変わらず、どういう原理で移動しているのかさっぱり分からん。
頭を振って、酩酊感を吹き飛ばす。
徐々に正常な思考が戻ってくると、目の前に凛子が立っていることに気付いた。
「すっごい能力よね。こんなの、どこでもドアと一緒じゃん」
「言うほど便利な特性じゃないけどな。大した距離は移動出来ないし、使いすぎると酔っ払うし」
「酔っ払うって……大丈夫なのそれ……?」
「一、二回程度なら大丈夫だよ」
「大丈夫ならいいけど……あまり無茶はやっちゃダメなんだからね! いいわね!?」
「了解っす」
「私は別に、タカシとの熱愛報道が出てもいいんだからね! そんな副作用があるなら、今度から堂々と入って来なさい!」
「漢らしすぎるんすよ……そりゃあファンもガチ恋になるわ……」








