90話
「なぁなぁタカスィ……やっぱり留守番しなきゃダメなのかぁ……? なぁなぁ……」
花村の一件から数日が経った、まだまだ夏休みが始まったばかりの昼下がり。
一泊分の着替えを鞄に詰め込んでいたら、やたらしょんぼりしたナタリーが近づいてきた。
普段のわんぱくっぷりが影を潜め、おどおどとした様子でフレアスカートを握り締めている。
「今日だけは我慢してくれない? 埋め合わせはちゃんとするから」
「やじゃぁぁぁ……タカスィと離れたくないんじゃぁぁぁ……寂しくて涙がちょちょ切れてくるんじゃぁぁぁ……うぇぇぇん……」
「たった一日じゃんか……泣き真似すんなって……」
今日はずっと延び延びになっていた、凛子とのお泊り会。
凛子の希望で、二人っきりで遊ぶことになっているんだけど……我が家のわがまま娘は、それを許してくれなかった。
しょんぼりしながら、不満をぶちかましてくる。
「年頃の男女がお泊り会なんてイケませぇ〜ん……不純どぅぇ〜っす……」
「毎晩俺の布団に潜り込んでくる女が、不純とか抜かすんじゃねぇよ。お前の方がよっぽど不純やんけ」
「アタシは邪な気持ちないも〜ん……ただタカスィの温もりを感じたいだけだも〜ん……」
「俺も凛子も邪な気持ちはねぇよ………………つーか、一日くらい我慢しろって。埋め合わせはちゃんとするから」
「アタシはタカスィが居ないと、ぐっすり眠れない体質なのぉ! 可愛いナタリーちゃんがこんなにお願いしてるんだから、いい加減諦めて連れてってくれよぉぉぉ!!」
「今日だけはダメだって何度も言ってるだろ! 約束は破れないって!」
積もる話があるから二人っきりで語り合おうねって、凛子に散々言われている。
それを当日になって反故にしたら、流石に人としてどうなんだって思うわ。
「シェリーちゃんねるにも協力してもらったし、軍の関係者が迷惑をかけた時もフォロー出来なかったから、今日だけは我慢してくれよ。頼むよ」
「うぇぇぇ……」
いつものゴリ押しが通らないと思ったのか、ナタリーがさらにしょんぼりしていく。
それでも諦めきれないのか、恨めしそうな声で呟いた。
「アタシはなぁ……こう見えて寂しがり屋さんなんだぞぉ……? 凛子ちゃんの邪魔はしないから、そばに居させてくれよぉ……」
「寂しがり屋って…………シェリーと姉さんがいるじゃん。話し相手になってもらえよ」
「シェリーは動画撮影のネタを探しに出かけちゃってるしぃ……お姉ちゃんはタカスィの歯ブラシがどうのこうので、タカスィママと話し合いをしているから一人ぼっちなんだよぉ……」
「…………え? 姉さんと母さんってまた揉めてるの? ヤバない?」
「うぅぅぅ……タカスィ……本当に行っちゃうのかぁ……?」
この世の終わりみたいな表情で、ナタリーが上目遣いを見せる。
たかが一日離れるだけなのに、今生の別れみたいな顔をしている。
仕方なくナタリーを抱き寄せ、優しく頭を撫でた。
「ほら、抱っこしてやっから、温もりチャージしとけや。時間いっぱい付き合ってやっから」
「うぇぇぇ……これで納得するしかねぇのかぁ……ぎゅぅぅぅ……」
「お前さぁ……最近、依存が激しくなってきてないか? 終戦直後はもうちょっと自立してたじゃん。どしたん?」
「タカスィと、四六時中一緒に居たらこうなりました。アタシは悪くない。アタシをぶっ壊したタカスィが悪い。責任取って、記入済の婚姻届持って来い」
「まーた俺のせいかよ……この甘ったれめ……」
「あぁぁぁやだなぁぁぁ……今晩、なかなか寝付けないんだろうなぁぁぁ……あぁぁああぁ……」
人肌に飢えすぎだろコイツ。
普段はおっさんみたいな言動をする割に、小学生みたいなことを言うから困る。
サバ折りレベルの強い抱擁を食らっていると、なんとなく突っぱねるのも可哀想になってきた。
「そこまで言うなら傀儡作ろうか? それなら寂しくないだろ」
「傀儡ってハルカのことぉ?」
「うん。特別にクールダウン二百四十時間級の、フルスペックな傀儡を作ってやんよ」
「う〜ん……」
抱擁を止めて、離れるナタリー。
しばらく思案していた彼女は、遠慮するように溜息を吐いた。
「やめとくわぁ〜……それに頼りだしたら、マジで後戻り出来なくなりそうだしぃ〜……」
「遠慮すんなって。泥沼にハマっとけや」
「適当なことを言うんじゃねぇよぉ〜……理性がぶっ壊れたら、どう責任を取ってくれるんだよぉ〜……」
「そん時はそん時だろ。踏ん張れ」
無責任なことを言うなよぉ……とナタリーが呻く。
その後もなんやかんやあって、結局H種ハルカの傀儡は作らなかった。
────────────
死ぬほど不貞腐れるナタリーに別れを告げ、凛子の家へ向かって歩き出す。
駅へと続く田舎道は、熱せられたアスファルトの香りや蝉時雨が鳴り響いているおかげで、俺に日本の夏を存分に感じさせてくれた。
一人で行動するのは久しぶりだな……いつも誰かしら一緒に居たから、景色が違って見えるっていうか。
こういうノンビリとした時の中にいると、色々と思い出してくるものがある。
この平和を勝ち取るまでに乗り越えてきた、クソみたいな三年間の記憶とか。
あの地獄のような日々は、やっぱり異常な環境下だったんだな。この平穏な日常に慣れてくると、あの狂気に身を投げていたことが恐ろしくなってくる。
死が当たり前の毎日だったし。
っていうか、国連軍はどれだけ犠牲者を出してきたんだ?
生体兵は、あの三年間で数百万人が最前線に立たされた。
ってことは、その数十倍はドズ化に失敗した人が居たってことになる。数千万人が、戦地へ向かう前に死んだのだ。
特殊生体兵や特殊機械兵の割合は、全体の数%しかいないのにこの有様だ。国連軍が特殊生体兵をもっと増やそうとしていたら、犠牲者の数は更に跳ね上がっていただろう。
下手すりゃ、国連軍はデブリより人間をぶっ殺そうとしていたんじゃないか? おっそろしいわぁ…………。
そりゃあ機密保持契約の条項に、生体兵化の成功率を公言してはならないって項目を書くワケだ。納得っす。
思い返してみれば、ドズの内容もえっぐいもんなぁ。
俺も大概のことをされたけど、特殊機械兵や混種複合兵もひっでぇことされてたもんなぁ……。
なんだよ、デブリをぶっ殺す為に、デブリから奪った武装を体に取り付けるって。
四肢を切断して、四肢の代わりに武装を取り付けて、神経を武装に直結することで高い操作性とパフォーマンスを生み出す────とか狂気の沙汰やろがい。
しかもそのドズ化を、『デブリの侵略から僅か数ヶ月以内』で行っていたところも罪深い。
要は、人類は生存戦争が始まる前から、人体実験を繰り返していたってことになる。じゃなきゃ、侵略から数ヶ月であそこまでの改造なんて出来る筈がない。
ふっかい闇やでぇ……なんとも言えない気持ちになるわぁ……。
本当に滅茶苦茶な三年間だった。
俺達の体に爆弾を埋め込んで、反旗を翻さないようにリスクヘッジしていたこともあったし……まぁ、爆弾は全部俺が取り除いたけど……。
外道なことばっかやってるから、ブチギレた基準点にグチャグチャにされるんだよ。その度、ハンバーグになったノーマルを再生する、俺の身にもなれやボケ。
色々と思い出し、どんよりとした気持ちに襲われる。
いかんいかん。
今日はこれから、サバサバ凛子ちゃんと遊ぶのだ。
彼女の前で落ち込んでいるワケにはいかない。せっかくカリスマモデルが遊んで下さるのに、テンションが下がっているとか失礼にもほどがある。
過去を振り返っても、何の生産性もない。
それなら、とっとと前を向いた方が建設的ってもんよ。少なくとも俺はそうやってきたから生き残れたのだ。
今日は凛子と朝まで語り合おう。
『好きな子いる?』『いるわよ〜凛子は?』とか恋バナしちゃおう。
気心知れた親友と遊ぶのは、青春ポイントの高いイベントだ。六花が生きていたら、ハンカチ噛み千切って「羨ましくてお吐瀉物がマーライオンですわ!」とかワケの分からんことを吠えるだろう。
気落ちしている時間なんてない。さっさと気持ちを切り替えて楽しむのだ。
遠目に見える、モヤモヤと揺れるアスファルト。青々とする、風に揺れる草木達。
日本の夏を存分に感じながら、忘れたい記憶を振り払った。








