9話
挑発するナタリーちゃんに、大神君が遂に殴りかかる。
止める間もなく放たれた拳は、パンッという音と共にナタリーちゃんの顔を打ち抜いた。
打ち抜いたように、確かに見えた。
だって……ナタリーちゃんと大神君は私達から離れた位置にいたし、ナタリーちゃんが挑発してから殴られるまで、数秒も無かったから。
だから大神君を止める事なんて誰にも出来ない筈なのに…………タッ君が片手で、大神君の拳を止めていた。
い、いつの間に移動したの? 気が付いたらナタリーちゃんの隣にいるんだけど。
それに、あの大男の拳を片手で受け止めるなんて…………ど、どうなってるの?
「ナタリーの言う通りだ」
タッ君のいつもと変わらない声が響く。
大神君の拳を握る以外、いつもと変わらない調子の声。
「こんなヤツが居たら、夢にまで見たスクールライフを送れなくなるよな」
「だろぉ〜。シェリーも浮かばれねぇってぇ〜」
「アイツ死んでねぇよ」
よ、様子がおかしい……。
ケラケラ笑い合う二人の横で、苦悶の表情を浮かべる大神君。
掴まれている拳を押さえ、痛みに耐えるようにしゃがみ込んでいる。
ただ握っているだけ。
たったそれだけで、大神君の動きを止めていた。
「なぁ大神」
タッ君が、苦しむ大神君に話しかける。
歯を食いしばりすぎて、血の滲む泡を口から出す大神君はそれどころじゃなさそうだ。
「お前が始めたことだからな。覚悟しろよ」
そう言って掴んでいた拳を握り潰した。
骨の砕ける、グシャリと耳障りな音が聞こえてくる。
同時に大神君を足払い。手を破壊されたショックで固まる彼を仰向けに倒した。
蹴りの音じゃないでしょ……ボガンって音がしたよ……ボガンって。
タッ君が仰向けに倒れる大神君に向けて、拳を握り締める。
力を溜めるようにギチギチと握った拳が、大神君に向けて振り下ろされると、トラックとトラックが正面衝突するような轟音が鳴り響いた。
鼓膜が破けるような音の後に、砂埃が舞い、アスファルトが衝撃によってめくり上がる。
な、何この光景……。
怒涛の展開に、私も含め、その場にいた人達は驚きで立ち竦むことしか出来なかった。
いや、ナタリーちゃんは違うな……普通な顔して見てるし……。
しばらくして砂埃が晴れると、頭を抱えて縮こまる大神君が見え始めた。
手を破壊された痛みなのか、今の衝撃が怖かったのか、顔を歪ませながら涙を流している。
何かの間違いで隕石でも落ちてきたんじゃないかって思ったけど、やっぱり今の衝撃って、タッ君が原因なんだね………………。
タッ君が地面に埋まった拳を引き抜くと、大神君の頭を掴み、片手で軽々と持ち上げた。
恐怖に震える大神君をつまらなそうに睨みつけ、周囲で腰を抜かす取り巻きに向かって話し始める。
「コイツの家まで案内してくれない?」
「………ぁ…………ぅ…………」
「おーい。無視すんなよー。寂しい気持ちになるだろー」
「ひ、ひいいぃぃぃぃぃ」
完全に怯えてしまっている。
そりゃ、あんなワケの分かんない力を見せつけられたらそうなるでしょうね。私もちょっと漏らしちゃったし。
「タカスィ移動するのぉ〜? ここで追い込めばいいじゃぁん」
「いや……今の衝撃でコイツの鼓膜が破れたっぽいんだよね。話をしようにも会話にならないと思う」
「ダメじゃぁん。何でわざわざ地面を殴ったんだよぉ〜」
「死ぬほどビビらせようと思ったんだよ……思いっきりやりすぎて失敗したけど」
「おっちょこちょいだなぁ〜」
「今の音で人が来ても困るから移動するわ。それにコイツもまだ高校生だから、ここから先の責任は親に取って貰うことにする」
「アタシもついて行こうかぁ〜?」
「さすがに俺一人で大丈夫だろ。ナタリーは姉さんと一緒に遊びにでも行ってて。明日の朝には帰ってくるから」
「わかったぁ〜」
相変わらず、気の抜けたトーンで会話をする二人。
道路を素手で粉砕しているのに、いつもと変わらない調子で話す姿を見て、初めて私は二人の異常性を知った。
せ、戦場で、タ、タッ君たちの身に何があったの…………?
「それじゃ行くぞお前らー。大神みたいになりたくなかったら言うこと聞けよー。逃げようとしても無駄だからなー」
「ひぃぃいいぃいぃいいぃいい」
「ビビるなって。ちゃんと言う事聞いてくれたら帰してやるから」
「ほ、本当ですか!?」
「用があるのは大神だけだからな。手伝ってくれるなら五体満足で帰してやるよ」
「わ、分かりました!!」
震える大神君を取り巻きが囲い、乗ってきた車へと押し込む。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
そう言ってタッ君も車に乗り込み、どこかへと走り去ってしまった。
取り残されたのは、私とナタリーちゃん。
「お姉ちゃ〜ん。スイーツでも食べに行こうぜぇ〜」
何事もなかったかのように笑う彼女を見て、私は呆然とするしかなかった。
──────────
次の日の朝、普通に帰ってきたタッ君に、外へ出るよう促された。
色々聞きたい事があったのだが、タッ君がとにかく外に出るよう言ってくるので仕方なく玄関先に出ると、大神君とそのご両親に土下座で待ち構えられていた。
私の姿を見るや否や、大声で泣き叫びながら謝罪の言葉を捲し立てられる。
地元では名士と名高い大神家が、見る影もないほど惨めに泣き叫んでいた。
「大神の親に事情を話したら、とにかく姉さんに謝りたいって言い出してさぁ〜」
ほ、本当ぉ?
大神君の悪事を揉み消してきたご両親が、事情を話しただけで謝りに来るなんて考えられないんだけど……。
それに、さっきから三人の震え方が尋常じゃない。
化け物を見るような目で、タッ君のことをチラチラ見ている。
一体、どんな話をしたらこんな風になるんだろ……。
「四分咲さん! 本当に申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁ!!!」
「ウチのバカ息子が本当にすみません! な、なんでもしますので命だけは……命だけはご勘弁を!!」
大神君のお母さんとお父さんと思われる人が叫ぶ。
な、なにこれ……なんで命乞いされてるのよ……。
「お姉ちゃ〜ん。コイツら何でもするってぇ〜。取り敢えず指でも切り落とすぅ?」
「お、落とさないよぉ!」
え〜。魚のエサにしようよぉ〜と笑うナタリーちゃん。
笑えない冗談はやめてほしい。ナタリーちゃんが言うと冗談に聞こえないし。
「こういう時はお金だよね。はい、通帳」
「な、なにこれ?」
タッ君に、使い古された通帳を何冊か渡される。
印鑑もあるね…………こ、これってまさか…………。
「コイツらの預金だよ。ここから幾らでも下ろしていいって」
「こんなの貰えないよぉ!!」
よくよく見てみると預貯金だけじゃなくて、定期や保険まである……全部かき集めて来ましたって感じだった。
「お姉ちゃ〜ん。お金は貰っておいた方がいいんじゃないのぉ〜。迷惑はかけられたんだしぃ〜」
「そうだよ姉さん。これは貰う権利があるよ。なぁ?」
急に話を大神君一家へ振るタッ君。
耳の聞こえない大神君以外、見て分かるくらいビクッとしていた。
「も、もちろんでございます! す、全て差し上げます………」
「だってさ」
「えぇ…………」
シクシク涙を流す大神家を見ていると、タッ君が完全に脅しているのが分かる。
ホント……一体どんな話をしたのよ……。
「お、お金なんて要らないよ! ちゃんと謝ってくれたんだし」
「え? タダで許すつもり?」
「そうだよ!」
このお金貰ったら、後でまた恨みを買いそうじゃん。
やだよ私。
「ナタリー聞いた? 何もしないんだって。大和撫子が居るよ」
「はぇ〜。優しい優しいって思ってたけど、お姉ちゃんの優しさは天井知らずだねぇ〜」
「最低でも去勢しろって言うと思ったのに……ペンチ必要なかったな」
ポケットから大きめの工具を取り出して床に置くタッ君。それで何するつもりだったのよ……。
「ほ、本当にありがとうございます! これからは心を入れ替えます!」
私達のやり取りを聞いた大神君のお父さんが、ほっと胸を撫で下ろしていると、タッ君の冷たい声が突き刺さる。
「姉さんはああ言ってるけど、まさかこのまま帰れると思ってないよな」
「え?」
「お前の息子があれだけの事をしてきたのに、ペナルティが何も無いわけないだろ。聞いた話じゃコイツの所為で、何人もの人生が滅茶苦茶になったみたいじゃん」
「ぁ…………う…………」
タッ君が目線を合わせるようにしゃがみ込むと、底冷えのするような声で呟いた。
「ここにある全ての金をその被害者に配れよ。そしてすぐに引っ越して、二度と戻ってくるな」
「は、はい……」
「少なくとも関東、中部、近畿には二度と立ち寄っちゃダメだからな。お前らの顔なんて二度と見たくないんだから」
「わ、わかりました……」
俯いて、頭を下げる大神君一家。
結構無茶言っているのに、聞き分けが良すぎて怖くなる……。
「今日中に引っ越しする事。明日以降見かけたら怒るからね。はい、解散!」
タッ君が手をパンッと叩くと、彼らは弾かれるように起き上がって走り去った。
暴君と言われ、誰にも止める事が出来なかった大神君の面影はどこにもない。
「野暮用も終わったし、試験勉強を再開するかな〜」
隣で大きく背伸びする、タッ君の手によって、大きく変わってしまったようだった。








