78話
私立水蓮寺高校、一年B組の片隅。
タカシの退学を賭けた、バスケ勝負から数日が経過した。
その間に期末テストが返却されたり、タカシの学力の高さが周囲に知れ渡ったりと、色々騒動はあったが、概ね穏やかに過ごすことが出来た。
あと一週間ほどで夏休みが始まる。
タカシと久しぶりに過ごす、待ちに待った夏休み。
そんなビッグイベントを前にしながら私は────不貞腐れていた。
「凛子ちゃん、どうしたの? 険しい顔して」
頬杖をつく私に、ボブヘアーの女の子が近付いてくる。
ほとばしる母性を滲み出す、芸能界でも中々見ないレベルの女の子。
私の親友、文香さんだ。
可愛らしく首を傾げる彼女に、泣き言をぶちまける。
「文香さぁ〜ん……私さぁ〜……ちょっと影が薄くな〜い〜……?」
「薄くないでしょ……日本を代表するモデルが薄かったら、私はどうなるのよ……」
「タカシの周り集まるメンツに比べたらって意味よぉ……なんなのよぉ………中身がスキンヘッドのおじさんってぇ……どっからどう見ても可愛い女の子じゃないぃ……」
脳裏をよぎるのは、先日現れた赤髪ツインテールの女の子。
ナタリーさんに聞いた話じゃ、アレと同じレベルの濃い兵士が、ウジャウジャ来日するらしい。
しかも全員、タカシが目当てなようで……どんだけアイツは好かれてんのよ……。
結局、タカシもそっちの対応に追われるハメになっちゃったし……勉強会も、テストが終わった打ち上げも、タカシは結局来れなかったし……。
いじいじと机を指でなぞっていると、やたら余裕のある文香さんが、含み笑いを浮かべた。
「まぁ……慌てる必要は無いんじゃない? 私達は私達のペースで、のんびりやってこうよ」
「のんびりして、タカシを取られたら元も子もないじゃない。ここは一刻も早く、王道の幼馴染ルートに軌道修正しないと……」
「大丈夫だよ凛子ちゃん。大正義幼馴染ルートは、これから突入するよ! 絶対に!」
どこか濁った瞳で、危ない笑顔を見せる文香さん。
まるで長年追い求めていた獲物が、ネギと鍋を背負って、罠にかかったような表情をしている。
なんでこんなに上機嫌なんだろう……文香さんだって、私と同じ立ち位置なのに……。
疑問に思って、聞いてみた。
「どういうこと? 文香さん、何か企んでるの?」
「企むっていうかぁ……もう決まっちゃったっていうかぁ……」
「決まった……? 何が決まったの?」
「えへへ……実はね……」
くねくねと体を揺らし、両手を頬にあてる我がライバル。
やたらしっとりとした吐息を漏らしながら、彼女は色気のある口調で呟いた。
「夏休みにぃ〜………………タカちゃんと温泉に行くことが決定しましたぁ〜。家族ぐるみでぇ〜」
「お、温泉…………家族ぐるみでぇぇぇっ!?」
「しかも、一泊二日♡」
「いっぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁく!?」
机をバンッと叩き、勢いよく立ち上がる。
恐らく鬼の形相になってるであろう私に、文香さんは勝ち誇った笑顔を向けた。
「お母さんが企画して、タカちゃんのお母さんを誘ったの。元々家族ぐるみで付き合いがあったから、トントン拍子で決まっちゃった♡」
「な、なんなのよそれ!! なんなのよそれぇぇぇぇぇ!!」
「ただ繁忙期で……部屋が一つしか取れなかったの……タカちゃんのお母さんって酒豪だから、お母さんと夜通し飲み明かす計画をしてるの……」
「の、飲み明かす? そ、そ、そ、それってもしかして……」
「必然的に、私とタカちゃんは二人っきりで夜を明かすの……えへへ……若い男女が……二人っきりになるの……えへへ……」
「ぬ、抜け駆けじゃない!! 許さないわよ文香さん!!」
某大乱闘ゲームのお猿さんのように、ばんばんと机をハンドスラップする。
私の抗議なんて、何処吹く風。
文香さんは悪役令嬢のように微笑んだ。
「私のパトロンが勝手に計画したことだから、私は悪くないよ。パトロンの計画に乗っかっただけだから、これは抜け駆けじゃないよ」
「乗っかってる時点で抜け駆けでしょぉぉぉ!! 許さないわよぉぉぉ!!」
「まぁまぁ凛子ちゃん……大正義幼馴染ルートが始まるんだから怒らないでよ……相手は私だけど……」
勝ち誇ったように、大きな瞳を細める文香さん。
こ、この野郎……既成事実を作るつもりだ……恋愛の禁じ手、寝技営業を繰り出すつもりだ……。
わなわなと震えていると、教室の扉がバンッと開かれた。
素朴な顔の男の子。
珍しくタカシがB組に来た。
私達に近づいてくると、ポンと肩に手を置いてくる。
「よっす、ちょっと聞きたいことが────って、どしたん? そんな険しい顔して」
「私は今、人生の岐路に立たされているのよ……邪魔してやる……絶対邪魔してやるぅぅぅ……」
「………………帰路? どゆこと?」
うごご……と呻く私と、ニコニコと笑う文香さんを交互に見るタカシ。
少しのあいだ首を傾げていたが、やがていつものことだと悟ったのか、話題を変えてきた。
「凛子ってさ、動画投稿サイトにチャンネル持ってたよね?」
「…………チャンネル? 持ってるわよ。それがどうしたの?」
「凄い数の登録者がいるみたいだけど……登録者を増やすコツとかある? 教えてくれない?」
「コツ…………?」
意図の読めない発言に、眉をしかめる。
動画投稿でも始めたいのかしら? でもタカシって、そういうの嫌いなタイプだったと思うんだけど……。
考え込むように黙り込んでいると、私の思考を察したのか、タカシが訂正してきた。
「俺が投稿するんじゃないよ。投稿するのはシェリー」
「シェリーさんが? なんでまた急に……」
「あのバカ、FXで全財産を溶かしやがったんだよ。俺が援助してやろうかとも考えたんだけど、それじゃあ反省に繋がらないって思って。だからネット配信で、生活費を稼ごうって思ってんの」
「いや……なんで動画投稿なのよ……アルバイトとかでいいじゃない……」
「俺も最初はそれを提案したんだけど、『今さら時給でなんか働けませんわ! もっとドカンッと稼ぎてぇですわ!』って駄々をこねられて……だから動画投稿を試してみようって話になったの」
「シェリーさんらしいわねぇ……」
相変わらずシェリーさんは、ノリと勢いで生きているわ……。
ただ、ネット配信は案外良い手なのかもしれない。シェリーさんって残念だけどすっごく可愛いから、人気出ると思うし。
「要は……私にアドバイスを求めているのね? チャンネル登録者数、六千万の私に」
「そうそう。凛子ならそういうの詳しいかなって」
「ふ〜ん……」
思いがけない提案に、心の中でほくそ笑む。
ニヤつく顔を必死で抑えながら、タカシにズィっと近付いた。
「それなら手っ取り早く、私が出てあげよっか?」
「え?」
「シェリーさんのチャンネルに私が出れば、それだけで宣伝になるでしょ? 毎回出てあげるわ」
「え? マ、マジで? いいの? そんなことお願いしちゃって」
「タカシの頼みなら無碍に出来ないわよ。たくさん手伝ってあげる」
芸能活動を休止してる手前、あんまりSNSに露出するのは良くないんだけど……まぁ、些細な問題だ。
私の思惑に気付かないタカシは、子供のように喜んだ。
「ありがとよ凛子ぉ〜。すっげぇ助かるぅ〜」
「ビデオカメラは持ってる? 私の隠し撮り用カメ…………ゲフンゲフン!! ど、動画撮影用のカメラがあるから、それも貸してあげるわ」
「マジかよ凛子ぉ〜。至れり尽くせりじゃんかぁ〜」
嬉しそうに、タカシが小躍りしている。
切り出すならここだな。
「そ、その代わり、私のお願いを聞いてくれない……?」
「お願い?」
一呼吸置いて、私はタカシをビシッと指差した。
「な、な、な、夏休みに入ったら、私の家に泊まりに来てよ!」
「え?」
「ほ、ほら! ずっと有耶無耶になってたじゃない! よ、よ、夜通し語り合おうって!」
「言ってたっけ? 言ってたか……?」
「だからタカシ……夏休みは私とたくさんお話ししよ? い、い、い、一緒のお布団に入って……思い出を作ったり……ゴニョゴニョ」
タカシの腕に抱きつき、指を絡ませるように手を繋ぐ。
誘惑するように胸を押し付けていると、文香さんが慌てた様子で割り込んできた。
「ダ、ダメに決まってるでしょぉぉぉ!! お泊りなんてダメダメダメダメダメぇぇぇぇぇぇ!!」
「はぁ!? 先に抜け駆けした文香さんが何を言っているのよ!? 邪魔しないで!!」
「私は家族ぐるみの付き合いだもん!! 健全だもん!! 邪な凛子ちゃんとは違うもん!!」
「邪は文香さんでしょぉぉぉがぁぁぁ!! 家族ぐるみで既成事実を作ろうとする連中が、健全とか謳うなぁぁぁぁぁぁ!!」
ポカンとするタカシを放置して、文香さんと掴み合う。
腕四つで組み合って、わちゃわちゃと揉みくちゃになる。
私達は全力で青春と戦っていた。
だから、気付かなかったんだと思う。
気付くことが出来なかったんだと思う。
クラスメイトが羨ましそうに私達を眺めながら、それでも動けない様子に。








