64話
私立水蓮寺高校、一年D組。
七月も中旬に差し掛かり、どのクラスも夏休み前の浮ついた雰囲気に染まる中、D組だけは微妙な空気に包まれていた。
「タッカスィ〜! 見ってみて〜。これなぁ〜んだ?」
「現国の課題じゃん。それがどうした?」
「実はねぇ〜、これねぇ〜、は・く・し♡」
「は?」
甘ったるい声で擦り寄るナタリーに、顔を歪ませるタカシ。
ホームルームまでの僅かなスキマ時間、金髪美少女と、モブ顔の男が、人目もはばからずイチャイチャを始めていた。
「それ、今日のテストが終わったら提出するんだぞ。白紙で大丈夫なのか?」
「全然大丈夫じゃねぇんだよぉ〜。やる気が出ねぇんだよぉ〜。どうすんだよタカスィ〜」
「知るかよ…………」
「だからタカスィ〜。アタシの代わりにこの課題やってぇ〜♡ たのまぁ〜♡」
可愛らしくキャッと口を押さえながら、プリントを押しつけるナタリー。
そのふざけた態度に、タカシは眉をしかめた。
「傲慢すぎんだろテメェ……せめてそこは、プリント写させて下さいって頭下げろよ……」
「そんなん、かったるわぁ〜。可愛いナタリーちゃんがお願いしてるんだから、二つ返事で了承しろよぉ〜。おぁ〜?」
「ふざけんな。自分でやれ」
「もちろんタダとは言わねぇからさぁ〜。これやってくれたら、アタシをマッサージする権利をあげるからさぁ〜。やってよぉ〜」
そう言って、自分の大きな胸を抱き寄せ、谷間を強調させるナタリー。
第二ボタンまであけたYシャツから、たわわに実った谷間をコンニチワさせる。
タカシの視線が胸のあたりに落ちると、彼女は勝ち誇ったように笑った。
「ほれほれぇ〜♡ この魅惑のボデーをマッサージしたいだろ〜。とっとと課題やれぇ〜♡」
ナタリーの破壊力抜群な色仕掛け。
あまりの扇情的な光景に、周囲の男子生徒から生唾を飲み込む音が聞こえ始めた。
出来ることなら立候補したい……そう男子生徒が疼く中、当のタカシは、ナタリーの手からプリントをサッと奪い取っていた。
そのまま流れるような動きで筆記用具を取り出し、黙々と課題を解き始める。
素直に言う事を聞くと思っていなかったのか、ナタリーが不思議そうな表情になった。
「あるぇ〜? タカスィ君、マジでやってくれるのぉ〜?」
「やるよ。やるに決まってんじゃん」
「どしたぁ〜? えらい甘いじゃ〜ん。絶対やらねって言われると思ってたのにぃ〜」
「そりゃあ、おっぱい揉める権利が目の前に転がってたらねぇ……俺も男の子だし、甘くもなりますよ」
「おっぱい?」
パチパチと瞬きをするナタリー。
少しの間、逡巡していた彼女は、何かに気付いたのか急に慌て始めた。
「あ、あのさタカスィ……先に言っておくけど、マッサージは肩だけだかんな? お、おっぱいはダメだかんな?」
「は? あんな谷間強調させといて、おっぱいダメはないだろ。そんなん詐欺やんけ」
「いや……アレは詐欺っていうか……揶揄っただけっていうか……」
「俺が、詐欺ぜったい許さないマンなの知ってるだろ。反故になんかさせねぇからな」
「だ、だから……アレはノリでやったっていうか……」
「あと二問で終わるから、ブラ外しとけ」
「外すワケねぇだろぉぉぉぉぉぉぉぉ!! バカタレかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
課題に没頭するおっぱい星人に、ドゴォォォンというタックルがかまされる。
ナタリーとタカシの喧嘩が始まった。
「おまっ!? 邪魔すんじゃねぇよ!! これが終わんねえと、おっぱい揉めねぇだろうが!!」
「冗談じゃんかぁぁぁぁ!! 本気にすんなってぇぇぇぇ!!」
「あぁ!? ふざけんなボケ!! 今さら冗談とか許されんぞ!? 自分の言ったことくらい責任取れや!!」
「人前で揉ませるワケねぇだろぉぉぉ!! 恥を知れ恥をぉぉぉぉ!!」
「うるせぇ!! この期に及んで四の五の言うな!! よっしゃ……あと一問……」
「やめれぇ……ペン離せぇぇぇ……ぐぎぎっ……」
「く、くそっ……テメェ……ど、どんな握力してんだよ……」
プリントとペンを奪い合いながら、わちゃわちゃと絡む少年と金髪美少女。
やたら楽しそうに、密着率の高いスキンシップを繰り広げる。
それを遠巻きに眺めるクラスメイトから、仄暗いため息が漏れ始めた。
死ぬほど羨ましい……そんなどす黒い嫉妬に包まれる中、注目を集める二人に、銀髪の少女が近づいていく。
「タ゛カ゛チ゛く゛ん゛……う゛あ゛ぁ゛ぁ゛ん゛……や゛っ゛て゛し゛ま゛い゛ま゛し゛た゛わ゛ぁ゛〜゛……」
折れ線グラフが表示された、スマホを見せつける銀髪の美少女。
ヨロヨロとタカシに近づき、えぐえぐと涙を溢す。
「…………な、なんだよシェリー…………なに泣いてるんだよ」
「あ゛か゛る゛と゛お゛も゛っ゛て゛買゛っ゛た゛ス゛イ゛円゛か゛ぁ゛…… 暴゛落゛し゛て゛し゛ま゛い゛ま゛し゛た゛わ゛ぁ゛……」
「ダミ声でなに言ってるか分かんねぇんだけど」
呆れた顔で、ポケットティッシュを取り出すタカシ。
鼻水まみれで号泣するシェリーに、数枚のティッシュを投げつけた。
「ほれ、取り敢えずそれで顔拭けよ。きったねぇから」
「き、きったねぇとか言わないで下さいましぃ……ぐす……これでもワタクシ、美少女ですのよぉ……? うぇぇん……」
「美少女だろうがなんだろうが、鼻水はきたねぇんだよ……それで? どうしたんだ? なんで泣いてんだ?」
「FXで貯金を溶かしたんじゃないのかぁ〜? スイ円が暴落とか言ってたしぃ〜」
「FX?」
こそこそとプリントを片付けるナタリーの言葉に、タカシの顔が曇っていく。
その表情を見たシェリーが『あ……やっべ……忘れてた……』という顔に変わっていった。
「あ……あの……じ、実はワタクシ……タカシ君には内緒で……え、FXをちょろっと嗜んでおりまして……」
「レバレッジか?」
「え?」
「投資効率を何倍にも増やせるけど、損失金額も桁違いに大きくなる、ハイリスクハイリターンなレバレッジをやったのか?」
「えっ……えっと……」
「ハイかイイエで答えろ。やったのか?」
「ぁ……ぅ……うぅ……」
「やったんだな」
もじもじと俯くシェリーに、タカシの顔がさらに険しくなる。
「あのさぁ……FXは別にいいけど、レバレッジはやめておけよ。火傷じゃ済まなくなるからさぁ」
「あ、あはは……ご、ごめんなさいですわ……」
「そんで? 幾ら損したんだ?」
「え、えっと…………ちょろっとですわ! ちょろっと……ほんの……全財産を……」
「限度ってモンをそろそろ覚えろボケナス!!」
銀髪おかっぱの女の子に、アイアンクローがブチかまされる。
こんこんと説教が始まった。
「せめて失っても困らない範囲で取引しろよ! なんで貯金を全額、FXにぶっこんでるんだよ!!」
「いや……あの……最初は1万ドルほどで運用していたのですが負けが込んできまして……それを取り戻そうとアレコレしてましたら、いつの間にやらハイレバになっておりましたの……ワタクシにも何がなにやら……」
「何がなにやらじゃねぇんだよ……ギャンブルで失敗する典型的な例じゃねぇか……」
「だ、だってぇ……ぐす……仕方ねぇじゃありませんかぁぁぁ……海へ行くのにも、たくさんのお金が必要になりますしぃ……バナナボートや、ダイビングもやりたかったですしぃ……遊べるお金がぁ……遊べるお金が必要だったんですわぁぁぁ……うぁぁぁぁぁん」
「おばか……」
びえええん、と泣いたシェリーが、タカシに抱きついて顔を擦りつける。
同級生には一切隙を見せないシェリーが、タカシには全力で隙を見せつける。
あまりのギャップに、クラスメイトたちは嫉妬で狂いそうになった。
「シェリー、食費は残ってんのかぁ〜?」
「食費も全部、FXにぶっ込んでしまいましたわ……ぐす……やっちまいましたわ……」
「ホントどうしようもねぇヤツだなぁ〜。シェリーはぁ〜」
「タ゛カ゛シ゛く゛〜゛ん゛! 助゛け゛て゛下゛さ゛い゛ま゛し゛ぃ゛〜゛!」
「手遅れになってから泣きつくんじゃねぇよ……ったく……どうすっかな……」
ぐりぐりと鼻水を擦り付ける残念娘の、頭を優しく撫で回すタカシ。
呆れた様子で、それでも真剣な表情で、彼は天を仰いだ。
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タカシが編入し、悪い噂が流れ始めて約一ヶ月。
未だに疑惑は払拭されず、日に日に新たなヘイトが生み出されていた。
もはやクラス全体でハブにしようとか、そういうレベルでは収まらなくなってきている。
とにかくタカシが羨ましい。
とにかくタカシが妬ましい。
少しでもお近づきになりたいと願った美男美女が、タカシを中心に慕っている。
冷静に考えて、あのモブ顔の男が慕われるなんておかしい。
あんな冴えない男が、男女無差別ハーレムを築いているとか、なにか裏があるに違いない。
これまで直接的な嫌がらせは、天乃君によって止められていた。
自分がこの状況をなんとかするからと、天乃君によって止めていた。
そんな天乃君は、ここ一週間、腹痛によって学校を休んでしまっている。なんでもストレス性の胃腸炎を患ったとか、なんとかで。
天乃君というストッパーが居なくなった今、クラスメイト達の枷が外れる。
身勝手で幼く、自分本位な同級生の感情は、間接的な嫌がらせから、直接行為へ移ろうとしていた。








