58話
おかしい。
お母さんが、柳川さんと行っていたやり取りは、どう考えてもおかしい。
どういう話の経緯で、そうなったのかは分からないけど、お母さんは、沢山のお金を柳川さんに振り込んでしまっていた。
金額にして一千万。
マスコミのトップを動かす為とかで、大金を振り込むよう指示されたようだ。
しかも、一千万じゃ足りなくて、追加の入金を急かされている状況らしい。
タカちゃんと話をして、ちょっと落ち着いてきたから分かるけど……これって……もしかして……。
動揺する私を置いて、タカちゃんが口を開く。
「お母さん。すみませんが、その柳川って男に電話してもらえますか?」
「え、え? い、良いけど……いったいなんの話をするの?」
「ちょっと聞きたい事があるんですよ。お願いします」
「あ……う、うん……分かった」
淡々としたタカちゃんの口調。
普段は飄々として、呑気な感じで話すのに……今は恐ろしく淡白だった。
お母さんも、こんなタカちゃんを見たことが無いのか、ちょっと戸惑った様子。
「これから俺が、柳川って男と会話しますが、文香もお母さんも、声を出さないで貰えますか? 少し驚くかもしれませんが、絶対に喋らないようお願いします」
「え……? う、うん……驚く?」
「わ、分かったけど……な、何をするの?」
動揺する私達を無視して、彼はシェリーちゃんとナタリーちゃんに話を振った。
「シェリー、俺はE種エイラの技能強化で時間を稼ぐから、お前はM種マールで位置を特定してくれ」
「了解ですわ」
「ナタリーはG種グレィスを頼む。お前の精度なら、電話越しでも感知出来るだろ」
「了解。任せて」
な、なに……なにが始まるの……?
専門用語だからか、何を言ってるのかさっぱり分からない。
私とお母さんが取り残される中、タカちゃんの行動が始まった。
お母さんのスマホを使い、地球防衛省へリダイヤル。さらに通話をスピーカモードに設定して、全員が聞けるように、テーブルの上にスマホを置く。
プルルル、という小さな発信音の後に、柳川さんと電話が繋がった。
非現実が始まる。
「“あ、あの……! ち、ちょっと慌てていて、控えていた口座番号を落としてしまいました! も、もう一度、教えてもらっていいですか!?”」
『お母さん、大丈夫ですか? まだ時間はございます。落ち着いて、番号を控えて下さい』
「“お、落ち着きたいのですが……文香になにかあったらって考えると……震えが止まらなくて……”」
『分かりますよ……私がお母さんの立場なら、きっとそうなると思います……』
ど、どういうこと……?
な、なにが起こってるの……?
タカちゃんの声が、“お母さん”の声になっている。
声真似とか、そういうレベルじゃない。完璧に、お母さんの声色で喋っている。
息遣いや、話し方も完璧だ……まるで映画の吹き替えを見ているような光景……見た目はタカちゃんなのに、お母さんと錯覚するほど完コピしている……。
絶句する私とお母さんを置いて、タカちゃんの会話は続いた。
事前に時間を稼ぐと言ってたからか、当たり障りのない会話を繰り返した。
時間にして数分、ナタリーちゃんとシェリーちゃんが、徐ろに片手を挙げる。
オーケーサイン。時間稼ぎは、もう大丈夫という意味らしい。
それを確認したタカちゃんは、コクンと小さく頷いた。
「“そ、それで……この入金で、文香の徴兵は何とかなるのでしょうか? し、正直に言いますと、これ以上、用意できるお金は無くて……”」
『恐らく大丈夫かと思いますが、確約は出来ません。人を動かすには、それなりにお金がかかりますからね』
「“で、ですが……私の家には……もうお金が……”」
『大丈夫ですよお母さん。私が、金融機関を紹介します。そこで借り入れを─────』
「フザけんじゃねぇぞテメェ。この期に及んでナニ言ってやがる」
『……………………』
タカちゃんの声が、元に戻った。
いや、戻ってないか。
こんな声色のタカちゃん、聞いた事がない。
相当怒っている、それだけは分かる。
「ペラペラと舐めた事ばっか言いやがって……いい加減にしろよコラ」
『い、いきなりなんですか貴方……』
「言ってやろうか? これ詐欺だろ? フィッシング詐欺。地球防衛省の名を騙って、徴兵を盾にした詐欺をやってんだろ?」
『……………………』
「黙ってないで何か言えよ。図星で何も言えないのか?」
フィッシング詐欺?
聞き慣れない言葉に首を傾げていると、シェリーちゃんが小声で説明してくれた。
「フィッシング詐欺とは、大手企業を装って、個人情報が漏洩しているなどの嘘のメールを送り、不安になってアクセスしてきたユーザーから、個人情報を抜き取ったり、お金を入金させる詐欺ですわ」
「さ、詐欺……?」
「今回はメールの代わりに、徴兵の令状を使ったようですわね。身近に徴兵された方が居る人ほど、引っかかり易い詐欺ですわ」
薄々勘付いていたけど……やっぱり今回の件って、ただの詐欺だったの……?
おかしいと思ったんだ。
柳川さんが私を、家から出ないように指示してきたのも、今になってみれば理由が分かる。
アレは私を守る為じゃなくて、私の状況を、他の人に知らせないようにする為だったんだ。
SNSまで使わないように指示してきたくらいだ。そう考えたらしっくりくる。
タカちゃんの糾弾に、柳川さんは動揺した。
『き、急に現れて詐欺だなんて……し、失礼な人ですね! 訴えますよ!』
「訴えろよ。訴えていいから、これから会って話をしようぜ。警察交えてよ」
『け、警察!? な、なんで警察を……!?』
「やましい事がないなら、警察呼んでもいいだろ。それとも何? 警察が立ち会うと、なんか不味い事でもあんの?」
あからさまに動揺していく柳川さん。
どうにかして反論しようとモゴモゴ言ってたが、明確な反論は返って来なかった。
むしろ徐々に、黙り込んでいってしまう。
「とっとと認めろよ。いつまでも、こんなしょうもない三文芝居に付き合わせんな」
タカちゃんの、吐き捨てるような言葉が決め手だったのだろう。
柳川さんは急に、おちょくるような態度に変わった。
『…………プッ。気付いちゃった? あーあ、もうちょい稼げると思ったのになぁ』
心底、人をバカにするような、軽い口調に変わる柳川さん。
この瞬間、確定した。
私とお母さんは、この三日間、柳川さんに騙されていたんだと。
ギャハハと笑いながら、彼はタカちゃんを煽る。
『で? お前はなに? 文香ちゃんのお友達? ヒューッ! イキリまくっててカッコいいじゃーん!』
「ごちゃごちゃ言ってないで、今すぐ騙し取った金持って来いよ。そんで誠心誠意謝罪すりゃ、通報だけで済ませてやるから」
『ひゃ〜っ! かっけぇ〜! 通報だけで済ませてやる(キリッ) かっけぇっすわ! ギャハハハハ!!』
電話の向こうには複数人いるのか、ゲラゲラ笑う男たちの声が聞こえた。
組織的な犯行だったんだね……全く気付かなかった……。
お母さんも、ようやく騙されている事に気付いたのか、悲しそうな顔になっていく。
どんどん涙目になっていくお母さんを、柳川さんが罵った。
『まぁ、いい勉強になったんじゃねぇの? お母さん、生粋のバカだったし』
「バカ……? は? お前、文香のお母さんをバカって言ったか?」
『こんな詐欺に引っかかる奴はバカだろ? 普通、騙されねぇよ。ウケる』
「は? 撤回しろよ! フザけんじゃねぇぞテメェ!」
『ギャハハハハハ!! めっちゃ怒ってるやん!? どしたん!? 事実を言っただけなのにめっちゃ怒ってるやん!? ギャハハハハハ!!』
「あ?」
どんどん顔色が変わっていくタカちゃん。
相当頭にきているのか、眉間にすごい皺が寄っていた。
ここまで怒ったタカちゃんは、ちょっと記憶にない……昔、凛子ちゃんをデカ女と罵った同級生の時より、怒ってる。
俯いて、ガリガリと頭を掻き毟るタカちゃんが、底冷えのするような声で呟いた。
「…………これが最後の忠告だ。騙し取った金を持って、今すぐ謝りに来い」
『あのさぁ、あんま調子に乗んなよクソガキ。これ以上舐めた口きいたら、マジで殺しに行くぞコラ?』
「殺しに来いよ。相手してやるから」
『プッ。ビビってやんの。震え声になってんじゃん』
鼻で笑った柳川さんは、吐き捨てるように言い放った。
『つーかさぁ、たかが一千万くらいで騒ぐんじゃねぇよ。可愛い文香ちゃんなら簡単に稼げるだろ?』
「あ?」
『だからぁ、一日一人、一万円くらいで汚いおっさんの相手をすれば、三年で一千万稼げるじゃん。楽勝やん』
「…………………………」
「そんで、その様子を動画に撮って、お友達にでも買って貰えばいいじゃん。そうすりゃもっと早く稼げるやん」
「…………………………」
『ギャハハハハハ! ま、文香ちゃんの高校生活は終わるけどね! 社会勉強だと思って諦めて下ちゃい!』
その瞬間、タカちゃんの纏う空気が変わった。
なにかが変わった気がした。
ナタリーちゃんとシェリーちゃんも、それを察したのか、顔色が変わっていく。
なんかヤバい……そんな空気に包まれる。
『それじゃ〜、俺達の為に頑張ってけろっ!』
不快感を残して、柳川さんとの電話が終わった。
通話が切れると同時に、タカちゃんがガシガシと頭を掻き毟る。
苛立ちを抑えるように、ガシガシと……。
少しの間、俯いていた彼は、ポツポツと独り言のように喋り始めた。
「ナタリーは知ってるよな……俺が、文香と再会した時のことを……」
「え? あー……うん……覚えてるよ」
「文香も、文香のお母さんも、泣いて喜んでくれたよな……俺が生きて帰ってきたことを……泣いて……」
「う、うん……嬉し泣きしてたね……」
「俺の為に泣いてくれた二人を……こんな目に遭わせやがって……ここまで最悪な気分を味わったのは久しぶりだ……蛮と六花が、死んだ時以来だ……」
それを聞いたナタリーちゃんが、シェリーちゃんと目配せする。
アイコンタクトだったが、彼女達が何を言いたいのか、容易に分かった。
『完全にブチ切れてるわ……これ……』と。
尋常じゃないプレッシャーを放ちながら、タカちゃんの怒気を孕むような声が響く
「カス共が……死ぬほど後悔させてやるよ」








