38話
「美波ちゃ〜ん。美波ちゃんって英語の教師でしょ〜? どうしてここにいるのぉ?」
体育の時間。クラスメイトから離れた、校庭の隅。
俺達の前には、担任の美波ちゃんが立っていた。
「えっとね……編入した生徒の体力測定は、担任が測定する決まりになってるんだよ……だから、今日は私が記録を取るんだ……」
「ふ〜ん。そうなんだぁ。よろもぉ〜」
「よろも……と、ところで雲雀様は……何故ここに居らっしゃるのでしょうか……?」
美波ちゃんが、当たり前のように居座る巴ちゃんに話を振った。
彼女の事が怖いのか、酷く怯えた様子。
「ひ、雲雀様はこのお時間、体育館で卓球の授業だった筈です……ここは編入した生徒だけが──」
「ボクのことは気にしないでくれ」
「い、いえ……あの……お言葉ですが……こ、こちらに参加されては……体育の授業が欠席扱いとなり……私の責任問題になって──」
「ボクのことは気にするなって言っただろ。二度も言わせるな」
「ぁ……は、はぃ……すみません……」
頭を下げながら、へ……へへへ……と卑屈そうに笑う美波ちゃん。
相変わらず権力に弱いっすね。先生のそういう所、大好きっす。
「じ、じゃあ! 取り敢えず50メートル走から測ろっか!」
気を取り直した彼女は、注目を集めるようにパンッと両手を合わせた。
「走る距離は、ここからあそこまでだよ! 先生ゴールに立っているから、よーいドンの合図で走ってきてね!」
「お話中、申し訳ありません。質問しても宜しくて?」
シェリーが、ちょこんと手を挙げる。
「ん? なにかなアイスランドさん」
「50メートル走で最高点を取るには、何秒くらいで走れば宜しいですの?」
「最高点? えっと……」
抱えていたバインダーを開き、ペラペラと資料を捲くる。
一通り目を通した彼女は、質問に答えた。
「女子は7.7秒で10点だね」
「男子は何秒になりますの?」
「男子は……6.6秒かな」
6.6秒か……。
ナタリーが俺のそばに近づき、小声で耳打ちする。
「タカスィ……5秒くらいで走ればいいって事ぉ?」
「さっき調べたんだけど、それだと世界記録になっちゃうから、もっと調整して走ってほしいんだよね。欲を言うなら7.7秒ピッタリで」
「7.7秒かぁ……分かったぁ」
俺とナタリーの会話に、シェリーも混ざる。
「きっちり7.7秒より、なるべく7.5秒くらいになるように走った方がいいんじゃありませんの? 美波さんがストップウォッチを押すラグもございますし」
「確かに押すタイミングが遅くて、7.8秒とかになっても困るよな……マイナス0.2秒くらいを目安にしよっか」
「じゃあ7.5秒ねぇ……りょ〜か〜い……」
ボソボソと作戦会議をする俺達。
その様子を見た巴ちゃんが、怪訝そうな顔をした。
「君達、何をこそこそ話をしてるんだい? ボクも混ぜてくれ」
「ただの作戦会議だから、別に大した話はしてないよ」
「作戦会議? 作戦会議ってなんだい?」
「そんなの決まってるだろ」
肩をすくめて、彼女の質問に答えた。
「悪目立ちしない程度に、内申点を取る為だよ」
──────────
戦場で、毎日、毎日、ウジ虫のように湧いてくるデブリをぶっ殺しながら思った事は、絶対に生き残って誰よりも幸せになってやる、という強い決意だった。
世界の命運を背負わされ、徹底的に体をドズり、地獄のような日々を生き抜いて来た俺が、辛うじて人間性を保ってられたのは、その願いがあったからだ。
だからこそ、こうやって帰って来れた今、俺は一切妥協するつもりなんてない。
掴み取った高校生活をしっかり楽しみ、内申点はキッチリ稼いで、いい大学に進学し、いい会社に勤め、高所得者になって、タワマンでワインを転がしてやるんだ。
この測定は、その夢の第一歩。
ここでいい点数を取るのが、高額納税者になる夢の近道。
「四分咲く〜ん、準備出来た〜? 始めるよ〜! 位置について〜……」
クラウチングスタートで構える。腰を落とし、全力で走るぞ、というアピールを美波ちゃんへ向ける。
大切なのは、あくまで自然に。
本気を出したら、俺も、ナタリーも、シェリーも、50メートルなんて一秒を軽く切る。
ぶっちぎりで10点を取っても、化け物のレッテルを貼られるだけで意味が無い。
絶対に、美波ちゃんに悟られるワケにはいかないのだ。
全力で手を抜いている事を!
「よーい、ドン!」
彼女の合図と共に、頭の中でカウントを始める。
体内時計で6.6秒を計測しつつ、そのタイミングに合わせて走る速度を調整する。
体内時計が狂えば、6.6秒を超えてしまうかもしれないし、その秒数に合わせて走り切ろうとしては、走る速度に違和感が出るかもしれない。
どっちもベストなタイミングじゃないと、美波ちゃんは不信感を抱いてしまうだろう。
久しぶりにガチで集中し、走路を走り切る。
「はい、ゴ〜ル〜。どれどれタイムは……」
ストップウォッチを確認した美波ちゃんが、驚いたような声をあげた。
「おお! すごいよ四分咲君! 6.3! 6.3秒だよ! すごいじゃん!」
「は、はぁはぁ……へ、へへ……やったぜ……」
息を切らし、疲れているアピールを存分に見せつける。
完璧だ……美波ちゃん、一切、不信感を持ってない。
すごいすごい言いながら、バインダーに記録を取っている。その顔色には、疑惑の色なんてどこにもない。
やりきったぜ。
この調子で各種目をこなしていけば、体育の内申点はかなりいいモノになるだろう。
あとはナタリーとシェリーだな。
アイツらの事だから大丈夫だと思うけど。
「ゴ〜ル! ピンクスターさんと、アイスランドさんのタイムはっと……」
そんな事を考えている間に、ナタリーとシェリーの測定も終わったようだ。
ボーっとしてて、アイツらの走ってるとこ見てなかった。何秒だろ?
「おぉ! 二人とも同タイムで7.5秒だよ! 速い速い!」
「ま、こんなもんですわ」
「楽勝ぉ〜」
余裕の表情で笑い合う、ナタリーとシェリー。
狙ったタイムで走るのってかなり難しいのに……すげぇなアイツら。
「宣言通りのタイムじゃん。やっぱ、すげぇわお前ら」
「だしょ〜? もっと褒めて下さいまし!」
「そ〜だそぉ〜だぁ〜! ほらほらぁ〜!! 頭ナデナデしろぉ〜!!!」
ニヤニヤ笑いながら頭を差し出す二人。はよ撫でろ、といった様子。
「仕方ねぇなぁ……よ〜しよしよしよしよしよし」
そんなバカ共の頭を、適当に撫で回す。
綺麗なサラサラヘアーがグシャグシャになっていくのに、彼女達は「えへへ〜」と嬉しそうに笑っていた。
犬ちゃんかな?
「この調子で残りの種目をこなしていこっか。ふっふっふ……高額納税者になる夢がどんどん近付いてくるぜ……」
「ほんっとタカシ君は庶民派ですわねぇ……小市民というかなんというか……」
「英雄の発想じゃねぇんだよなぁ〜。ま、そういう所も好きなんだけどねぇ〜」
分かってねぇな……コイツら。
いつだって本当の幸せは、日常の中にあるっていうのに…………分からせなきゃ(使命感)
呆れる二人に向けて不敵に笑っていると、俯いていた巴ちゃんがボソボソと呟き始めた。
「ち、ちょっと待ってくれ……ち、違う……違うだろ……」
「ん? どうした巴ちゃん?」
「どうしたじゃない! キミ達は一体何をやってるんだ! ボクが見たかったのはこんなのじゃない!」
ドンドンと地団駄を鳴らしながら、彼女は眉を寄せて、大声で喚いた。
「もっとイキれよ!! なんで小さく纏まってるんだ!!」








