22話
凛子と別れ、急いで自宅へと戻る。
住宅街を屋根から屋根へと飛び移り、最短距離で駆け戻る。
不味い。
ナタリーとシェリーが、姉さんの前で口論をしている。
本当に不味い。
あのバカ二人の事だ。一度でも頭に血が上れば、周りの事なんて気にせず喧嘩を始めるだろう。
軍にいた頃、アイツらの喧嘩に巻き込まれて、何十人もの生体兵が医務室送りになった。
俺たちと同じ生体兵でそれだ。
一般人の姉さんが巻き込まれたら、医務室送りでは済まないだろう。
最悪、命を落とすかもしれない。
マジでヤバい。
とにかく急いで戻らなければならない。凛子には悪い事をしたけど、今はそれどころじゃない。
トップスピードのまま駆け戻る。屋根から屋根へ飛び移る。
自宅までおよそ四キロ。俺の足なら一分で戻れる筈。
「頼むから無事でいてくれよ……姉さん!」
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自宅に戻ると、玄関先で頭を抱えて蹲っている姉さんの姿が見えた。
「姉さん! 大丈夫!?」
俺が慌てて駆け寄ると、彼女は「うぇぇぇぇん」と泣きながら抱きついてきた。
「タ、タッく〜ん……え、えらい事……えらい事になっちゃったよぉ〜……」
首筋にしがみつき、スーハースーハー深呼吸をする姉さん。
いつもと変わらない様子にホッとする。
「無事で良かった。ナタリーとシェリーはどこ?」
「シェリー? あの子がシェリーちゃんなの?」
「そうだよ。シエル・アイスランドがアイツの本名で、シェリーはただの愛称。それより二人はどこにいるの?」
俺の質問に、姉さんが庭先を指差す。
「え、英語で喚き合いながら、あそこで殴り合いをしてるよ……」
姉さんを巻き込まないように、場所は移して喧嘩しているのか……最低限の理性は残っていたようだな。
安堵しつつ庭へ向かおうとすると、姉さんに腕を掴まれた。
「タッ君! い、行っちゃダメ! 危ないって!」
鬼気迫る表情で呼び止められる。かなり怯えているように見えた。
その様子に、何となく嫌な予感。
「もしかして見た?」
「な……なにを……?」
「アイツらが殴り合ってる所」
「う、うん…………」
「どこか変な所なかった? 例えば……体の色が変わったりとか」
姉さんの顔が、なんで分かったの? って顔に変わっていく。
「そ、そうなの! ふ、二人ともドス黒く発光して! タ、タッ君……あれって何? 何が起こってるの……?」
…………………はぁ。
まいったな。二人とも完全にブチ切れてるらしい。
特殊生体兵士の切り札、フィルムまで使ってるっぽいし。
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庭に移動すると、姉さんの言う通り、ナタリーとシェリーが殴り合っていた。
距離を取って闘うなんて女々しい事はせず、お互い向かい合い、足を止め、漢らしく拳を交わしている。
拳が繰り出される度に、大気が震えるほどの衝撃が鳴り響く。ボコンボコンと鈍い音が轟く。
兵器と遜色の無い彼女達の殴り合いのせいで、周囲の地形が無惨に歪んでいた。
どうすんだよコレ。
二人のせいで庭がグチャグチャじゃないか。父さんに怒られるだろ。
「おーい。そろそろ止めとけよお前らー」
軽く声をかけるが止まる気配がない。完全に、頭に血が上っているようだ。
「バカちん共め……間に入らなきゃ止まりそうに無いな……」
「タ、タッ君! ダメだって! やめてー!!!」
姉さんが、俺の腰にショルダータックルをかましてくる。
「あの中に入ったら死んじゃうよ! お願い! やめて!」
「いや、アレを放置するわけにもいかないでしょ。庭がとんでもない事になってるし」
今もナタリーが、シェリーにカカト落としをしたせいで、地面に大きなクレーターが出来た。
シェリーもシェリーで、アレを食らってもすぐさま体勢を整え、ナタリーの脇腹へカノン砲のようなレバーブロー放っている。
このまま放っておくと、この辺り一帯が更地になりそうな雰囲気だった。
「そ、そうだけどさ! でも、あんな竜巻みたいな殴り合いの中に入ったら、タッ君死んじゃうよ!」
必死で止める姉さん。
まぁ、初見ならそう思うよな。
今のナタリーは、綺麗な金髪や美しい白い肌が、赤黒く変色しているし、シェリーも同じように、アイツの銀髪や白い肌が、青黒くなっている。
化け物にしか見えない。
そんなヤツらが人智を超えた力でぶつかり合っているんだ。姉さんが怖がるのも仕方ないだろう。
「落ち着くまで見守ってようよ! ね!?」
困り眉を寄せて懇願してくる姉さん。言いたい事は分かるが、そうも言ってられない。
「さすがに無視出来ないでしょ。近所の人に見られたら困るし」
「ダ、ダメだって! 危ないって!」
「俺も同じような事が出来るから大丈夫だって。まぁ見ててよ」
「え?」
さすがに俺でも、あの中に丸腰で入る事は出来ない。
ナタリー達と同じようにフィルムを展開する。
体の内側からデブリの細胞を露出させ、銀色の膜を肌に覆わせた。
「タ、タッ君……?」
戸惑う姉さんを置いて、全身をフィルムで覆った俺は、ナタリーとシェリーの拳を掴み、強引に引き離した。
「お前らいい加減にしろって! 姉さんがビビってるだろ! 落ち着けって!」
俺の恫喝に二人の動きが止まる。
ようやく俺の存在に気付いたのか、彼女達は肌に纏っていたフィルムを解いて、言い訳を始めた。
「タッカスィ!! アタシ悪くないよ!! シェリーがいきなり殴りかかって来たんだもん!!」
「タカシ君! ワタクシは悪くありませんわ! ナタリーさんが悪いんですの! 抜け駆けしたのですから!」
「抜け駆けってなんだよ! 変な言いがかりすんな!」
「言いがかりじゃありませんわ! 現に抜け駆けされてたのですから!」
ギャーギャー騒ぐバカ二人。
取り敢えず喧嘩は収まったので一安心。俺も体を覆っていたフィルムを解く。
「どうしたんだよシェリー。わざわざ俺んちまで来て、なにか用か?」
何気なく言った一言に、彼女は特徴的な三白眼を細め、怪訝そうな顔をした。
「何を仰ってますの? ワタクシ、ずっとタカシ君の帰りを待っておりましたのよ? むしろ、軍にはいつ戻ってこられるのですか?」
「え? 戻るつもりなんて無いけど」
「………………………は?」
明らかに動揺していくシェリー。口をアワアワさせて半泣きになっていく。
「だ、だって……ガーネット総監が……タカシ君は一時帰国しただけだから、必ず帰ってくるって……じ、実際、軍にはタカシ君の名前が残っておりましたし……」
何言ってんだ? なにか勘違いしてないか?
「名前だけは残してあるんだよ。じゃなきゃ日本に帰る事すら認めてくれなかったし」
「う…………嘘…………で、では……ずっと日本に居るつもりですの……?」
「うん」
三白眼にじんわりと涙が溜まっていく。
溜まるだけでは留まらず、ポロポロと涙が溢れてくる。
堰を切ったように、シェリーが大声で泣き始めた。
「ど、どうしたんだよシェリー。何泣いてんだよ」
「うわーーーーーん! 酷いですわぁーーー! あんまりですわぁーーー!」
うぇーん、うぇーんと子供のように癇癪を起こす。
なんだこれ? 手に負えないんだけど。
「ナタリー…………シェリーから何か聞いてる? いつにも増して、残念な感じになってるんだけど」
「知らな〜い。いきなり殴りかかられたから、な〜んも聞いてないよぉ。うっとおしいからこのバカ、軍に送り返そうぜぇ〜」
泣いているシェリーを、鬼のような形相で睨みつけるナタリー。
結構本気で怒っている。
ナタリーがここまで怒るって事は、喧嘩の発端はシェリーだな。
「取り敢えず話だけは聞いてやろうぜ。なんか事情があるっぽいし」
「仕方ねぇなぁ〜」
「シェリーも泣いてないで家に入れよ。話聞いてやるからさぁ」
「びええええええん。びええええええん」
「相変わらず泣き虫だな……お前は……」
シェリーの頭をチョップしていると、姉さんが傍に近寄ってきた。
「タ、タッ君……な、何がどうなってるの……?」
「さぁ? 俺にもよく分かんない」
「さ、さっきの発光はなに? 怪我してない? 大丈夫?」
「あー…………大丈夫だよ。ごめんね。心配させて」
なんか、姉さんにどんどん軍事機密がバレてしまってる感じがする。
話すつもり無いのに、話すしかない状況になっていく。
心配そうな視線を向ける姉さんに、取り敢えずアハハと笑って誤魔化した。








