99話
「Don’t move !」
アンの怒声と共に始まった、生体兵と呼ばれる少女達の戦闘。
止めることも、仲裁に入ることも出来ずに始まったその戦闘は、かつてモデル事務所を襲った暴漢に見せたモノとは、一線を画すような戦闘だった。
目の前で繰り広げられる異常な光景に、巴さんが何度も目を擦る。
「凛子さん……ボクの目がおかしくなっているのかな……アンが数百体に増えたように見えるけど……」
「き、奇遇ね……私にもそう見えるわ……」
「シェリーさんもシェリーさんで、たった一人であの数と渡り合ってるし……呂布かな?」
「ベル〇ルクじゃない? ほら、ガッ◯と使徒の戦闘シーンってあんな感じじゃ……」
脳が理解を拒むのか、混乱しているのか、ズレた感想しか出て来ない。
大量に分身(?)を生み出したアンが、群青色の煙を身に纏いながらシェリーさんに襲いかかっているのだ。
迎え撃つシェリーさんも、藍色の煙を身に纏って戦っている。ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返している。
固まる私と巴さんに、タカシが近付いた。
「二人とも少し下がってくれない? あんまり前に出ると危ないから」
いつもと変わらない、穏やかな口調。
常軌を逸した光景が目の前に広がっているのに、いつもと全くテンションが変わってない。
まるで日常茶飯事と言わんばかりの態度。あまりの平常運転っぷりに、違和感がすっごい。
もしかしてこれが……タカシの生き抜いてきた日常ってこと……? この目を疑うような光景が……。
言葉を失っていると、心配性の花梨お姉さんがタカシの肩を揺さぶった。
「タッ君!? シェリーちゃん押されてない!? 助けなくて大丈夫!?」
「大丈夫っしょ。シェリーはあんなもんじゃないし」
「ほ、本当ぉ……? シェリーちゃん……防戦になってきてない……?」
「シェリーは1ラウンド目遊ぶからね。これからこれから」
「なんでそんなに呑気なのぉ……信じていいのぉ……?」
涙目の花梨お姉さんが、生体兵の戦闘に視線を戻す。
確かに彼女の言う通り、シェリーさんは押され始めていた。
アンが『Freeze!』や『Don’t move !』と叫ぶ度、一瞬だけ無防備になっているのだ。その度、凄まじい拳や蹴りが、小柄な少女の体にめり込まれていく。
「あっるぇ〜? まだ終わってないのぉ〜? めっちゃ時間かかってんじゃ~ん」
相変わらず緩いナタリーさんも戻ってきた。
シェリーさんに突き飛ばされて、三十メートルくらい吹っ飛んでいったのに……交通事故並みの吹っ飛び方だったのに全くの無傷ってどういうことなの?
服に汚れ一つついてない。こっちもこっちで、完全に人間辞めてるわ……。
タカシがナタリーさんに応える。
「トラウマのせいか、シェリーの動きがかなり固いんだよね。これはかなりの重傷っすわ」
「ルッカ対策もやってないよねぇ。シェリーにしては手際悪いなぁ。鼓膜破るだけでいいのにぃ」
「無駄にビビってるせいで、適切な対応が取れないんだわ。まぁ、仕方ないと思うけど」
「おいおい〜。このままじゃあ負けちまうぞシェリ〜。ヤバいよヤバいよぉ~」
「思っても無いヤジ飛ばすなや……不死身のシェリーちゃんが、あんな温い攻撃でヤラれるワケねぇだろ……」
「でもでも、シェリーはアタシ寄りの考えだと思うよぉ〜」
「ん? どういうこと?」
「だってぇ~、固有戦闘様式・『オバドラ』の体勢に入ったもぉ〜ん!」
「は?」
ケラケラと笑うナタリーさんとは対照的に、タカシの表情が強張っていく。
半ば信じなれないといった様子で、タカシはシェリーさんに視線を戻した。
「マ、マジじゃん……なんでアイツ、オバドラ使おうとしてんの……?」
「あはははは!! 負けると思って焦ってるんじゃねぇの〜!? あははははは!!」
「い、いくらなんでもパニックになりすぎじゃね? 十四種混合っつっても、戦いかたすら分かってない素人だぞ? 固有戦闘様式まで持ち出す必要は……」
「まぁ、シェリーの立場になってみたら仕方ないと思うけどねぇ〜。タカスィ、ヒメナ使って、約束まで交わしちゃってるからさぁ〜」
「……………………俺のせいでプレッシャーがかかってるってこと?」
「十中八九ねぇ〜」
「そっかぁ……俺の責任かぁ……」
やっちまったぜ…………と言うような表情を浮かべるタカシ。
ここまで感情を表に出すタカシは、ちょっと記憶にない。何か不味いことが起こっているだけは容易に伝わる。
その不安が的中するかのように、アンの震え声が聞こえてきた。
「な、何をやっているの……い、一体……何をやっているの……」
戦闘中とは思えないほどの、戸惑った声色。
動揺する彼女の視線の先には、銀髪の少女が前かがみで立っていた。
頭を抱える両手からは、湿った音と共に、赤い液体が滴り落ちている。ハンバーグを捏ねるような生々しい音が響く度、彼女の小柄な体が小刻みに震える。
よくよく眺めてみると、少女の頭部には両手の指が差し込まれていた。どうやら自らの手で、脳髄をぐちゃぐちゃとかき回しているらしい。
まるでホラー映画や、SFなどで見るワンシーン。
そう形容するしかない異常行動を、シェリーさんが取っている。
完全に無防備なのに、アンは攻撃が出来ないでいた。目の前で見せつけられる狂気の沙汰に、彼女は立ち竦むことしか出来ないようだ。
やがてシェリーさんが、頭部から指を引き抜く。
小刻み震えていた体が徐々に治まり、おもむろに顔をあげる。
同時にアンの「ひっ…………」という小さな悲鳴が聞こえた。無理もない。それを見た私も絶句したのだから。
いつもは絶世の美少女で、絵画から飛び出してきたかのようなシェリーさん。
失敗ばかりだけど快活で、水蓮寺高校の男子生徒を骨抜きにしたシェリーさん。
今、目の前に立っているシェリーさんには、その面影がまるでない。ゾンビを彷彿させるような青黒い肌と、焦点の合っていない瞳や歪な微笑みからは、死を彷彿とさせるような凄まじい殺意しか感じ取れなかった。
数百体のアンが、一斉に後退りをする。
それまでの好戦的な態度が嘘だったかのように、後退りをする。
空気を読まないナタリーさんの、煽り声が響き渡った。
「ここがお前の死への分岐点じゃぁ~。死にたくなかったら、十分間死ぬ気で逃げ回れよぉ~」
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──雲雀家近衛隊 第十二号 調査報告書──
生体兵団には、六名の基準点と呼ばれる兵士が存在する。
基準点の名称は、『生体兵の戦闘様式における基準』に由来し、通常の生体兵とは異なる特殊な戦闘技術を有する兵士のことを指した。
彼らが極めて高い戦果を挙げることから、国連軍は当初、彼らの戦闘様式を生体兵の標準に定めようとした。彼らの戦闘様式が兵団全体として確立されれば、DODを施す数を大きく削減できるからだ。
しかしそれは、短期間で撤廃される。
彼らの戦闘技術が極めて高難度かつ異常性を伴うものであった為、その戦闘方法を真似出来る兵士が現れなかったからだ。
生体兵曰く、ただ改造された能力をそのまま使うだけではない戦術。
生体兵曰く、狂気に身を委ね続けなければ身につかない戦闘様式。
基準点を認識している生体兵は、基準点は全員頭が狂っていると口を揃えて語った。
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この世は全て、自分の思い通りに動くとアンは思っていた。
実際、学業もスボーツも、なんの苦労もなく優秀な成績を収めてきた。さらにその魔性の美貌で、数多の男を虜にしてきた。
人の心すら玩具のように弄び、欲すれば全てが手に入る。
DODだってそうだった。
僅か数週間で、十四種もの混合を成し遂げた。シエルが三年を費やしても、十一種しか混合出来なかったと聞いた時は吹き出した。
彼女にとってシエルは、ただの落ちこぼれ。
良いように扱って捨てる、都合の良い存在。
そう見下していた。
その狂気に触れるまでは。
全身を貫く恐怖に震えながら、アンは必死に駆け出していた。
滅茶苦茶だ。
シエルのやっていることは、本当に滅茶苦茶だった。
十一種全ての細胞を同時使用する為に、自らの脳を戦闘用へ最適化するなんて、常人の発想じゃなかった。
その無茶が原因で、自身の体が崩れ始めているのに、お構い無しに襲ってくるなんて考えられない。
理性を無くし、理解の出来ない殺意を持って襲ってくる姿は、化け物としか思えなかった。
「……ぁ………………あは♡」
背後から、湿った笑い声が響く。
次の瞬間、アンの隣を黒い巨大な物体が高速で通り過ぎた。本体を守る為に生み出した傀儡が、なんの抵抗も出来ずにその物体に呑み込まれてしまった。
抗う術が全く無い。
シエルが黒い物体を飛ばす度、数多のアンが消滅させられているのだ。触れるだけで消滅する攻撃に、どうやって対抗すればいいのか分からなかった。
「ひっ……ひっ……あぁっ!?」
動揺で脚がもつれ、豪快に転倒する。
彼女にはもう、反撃の意思は残っていなかった。
怖い。
恐ろしい。
関わりたくない。
皮肉にもそれは、シエルがアンに抱いてきた感情だった。
物陰に隠れ、息を潜める。
全力で逃げ続けているのに、振り払うことが出来ない。
アリアの肉体強化で高速移動しても、ウラシマの瞬間移動を行使しても、逃げ切ることが出来ない。
今だってそう。
背後から、
ゾンビと化したシエルに、顔を覗き込まれていた。
「……………………あひゃぁ♡」
「ひぃっ…………ひぃぃぃ…………」
あまりの恐怖に、腰を抜かすアン。なんとか距離を取ろうと、這いつくばって移動する。
もはや彼女には、魔性の魅力は無い。
ただただ泣きながら、無様な醜態を晒すだけだった。
「……………………にゃっはぁー♡」
シエルが大きな三白眼を細めると、彼女の両腕が、まるで意思を持った生物のように動き始める。
右腕は黒く巨大な鰐の顎と形容するモノに変わっていき、左腕は黒く蠢く蛇の群れへと裂け分かれた。
恐らく、S種セリスであろう特性。
本来はエネルギーを奪い取るだけの特性なのに、あまりにも高すぎる出力からか、セリス最強種の姿が顕現してしまっていた。
「Freeze!」
半ば悲鳴に近い、ルッカの命令。
無駄な抵抗と言わんばかりに、距離を詰めるシエル。
鼓膜を潰してある彼女には、その悲痛な悲鳴は届かなかった。
最後の手段すら通らず、終わった…………と、死を覚悟するアン。
涙を零す少女に、救いの言葉がかけられた。
「戻してやろうか?」
「………………ぇ、え?」
「俺がシェリーを元に戻してやろうか? お前がシェリーに、誠心誠意謝罪するってのが条件だけど」
「ぁ……ぁぁ…………」
セリスに頭を齧られながら、少年がアンを守るように語りかける。
まるで救世主のように現れた、素朴な顔の男の子。優しく話しかけるその姿は、まさに神としか言いようがなかった。
そんな救世主を前に、アンが何度も頷く。
大粒の涙を零しながら、まるで縋るように頭を下げ続ける。
その様子を見た少年が、ムッとして吠えた。
「別にアンタの為じゃないんだからね! グロシーンを凛子達に見せたくないだけなんだからね! 勘違いしないでよね!」








