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3章 美の成体


 3章 美の成体


「かわれていくのは、こどもらしいこどもで」

「あるきかたも、あんまりきれいじゃないこが、かわれるから」

「だからぜんぶ、大人にしてやろう」


――美の幼体が生まれた瞬間。


 ●


「レスター! 無事か!?」

「……そこで何故君が来るんだ。居るだろう、君の秘書にスタイルのいいのが」

「これ以上スキャンダルを増やされてたまるか。ましてや社員相手に」

 

 元気そうで何よりだ、とブレントは周囲を見た。

 チェスターに制止されて居たものの居ても立ってもいられず来てみればこの状況だった。


 自分の勘の良さを褒めたい所だ。


「チェスターは?」

「怪我とかは無いよ。メンタルはキツいけどね」

 

 目を閉じると強制的にあの姿が浮かんでくる、と言った。

 それは決して大袈裟ではないのだろう。


 何人かの警官が倒れ、項垂れ、失神している者も居る。

 無事だった警官が応援や救急車を呼んでいる有様だ。

 

「凄まじいな、これは」

「……」

 

 かつての客達を狂わせたという化け物。

 ホラー映画の世界が現実に降りてきたかのような光景だ。

 

「ジェフー、ちょっと肩貸して。もう一回現場見たい」

「おう」


 よろよろと肩を借りるチェスターを支える。

 ブレントはこの場において最も重要な事を聞く。


「追跡は出来そうもないか」

「そう遠くは無いんじゃないかな。あんな偽警官居たら誰かがすぐ気付く。

この近くで見張っててマーティンと合流したと考える方が普通だ。

となると変にカーチェイスするよりはアジトを攻める方がやりやすい」


 少し落ち着いてきたのだろう。

 チェスターが冷静に状況を組み立てる。


 犯人の目標がサイラスなら孤児院を訪れた時を見逃しては話にならない。

 そして周囲が畑しか無いこの立地では必然滞在場所は限られてくる。


 どの道、この体調では運転も出来ないのだと逸る心を抑えた。


「成程そうしよう。それで何が気になる?」

「現場の文章がね」


『悍ましく、性的で、はしたない、美しい獣』

『全てを見下ろし、平伏させ、触れさせない、裁きを下す者』


 赤い文字で書かれた文章。

 美の幼体を表した、恐らくはかつて客が叫んだ言葉であろうもの。


「……これ二人居ない?」

「あぁ、成程な」

 

 後からついて来たレスターが同意を示した。

 直接、美の幼体を見た二人が頷く。

 

「ローレンスだったか。彼だけの事を語るには正反対過ぎる」

「……」

 

 レスターがこちらを見ながら言う。 

 サイラスを引き取る事を決めたのはお前だったな、という意味が含まれている視線だ。

 

 ブレントは首を振る。


「ブレント」

「知らん」

「……」

「これ以上、彼にどうなれというんだ」

 

 サイラスと会い、事件のあらましを知り、もしかして、という恐怖はあった。

 確証が得られないほど恐怖は募る。


 ブレントは初めて会った時のサイラスの様子を思い出す。

 

 選択肢を与えるなど、とんでもなかった。

 このまま普通の凡人として生きればいい。


 もうたくさんだろう。

 

 ブレントの言葉に反論する者は居ない。

 反論のしようが無い話だ。


 重たい沈黙を破ったのはレスターだ。


「……そろそろ追うか。ジェフ、運転してくれ」

「レスター?」

 

 体調が戻ったのか軽い足取りで歩くレスターを追う。

 ブレント達はレスターの車に乗った。


「追うといってもどうやって」

「まぁ見ろ」


 レスターが後部座席からスマホを渡してきた。

 画面には地図、そしてある場所が記されている。


「ジェフ、ここだ。ここに向かえ」

「……何だよこの場所」

 

 念の為、と言う風にジェフが聞いた。

 何をしたのかを察したチェスターは頭を抱える。

 レスターがナビゲートを開始させた。


「コミックの悪役じゃないんだ。こういう事くらい想定して服にGPSくらい仕込むさ」

「君のそういう所は本当にどうかと思うんだ」


 ブレントの声に合わせてジェフがアクセルを踏んだ。


 ●


 夜になり月が出てきた。

 朽ちた天井から木漏れ日のように月光が差し込む。


 石膏像の並ぶ廃墟。

 何かの工場、或いは倉庫だったのだろうか。

 

 壁のない広い空間に石膏像が無数に並んでいる。

 裸の男、裸の女。


 一際大きい石膏像、フードを被った聖人が規則正しく壁に並びこちらを見下ろす。

 その足元にサイラスを置いた。


 銀の髪に、白い肌。

 手錠をかけられたサイラスが月の下に居る。 


 灰色の目がローレンスを見た。


「ローレンス……」

「何だその覇気の無さは。全部大人にしてやろうって実行したお前は何処に行った?」


 椅子の背もたれを抱えるように座り、サイラスを見る。

 ローレンスの軽口に安心したのかサイラスが返事をする。


「そっちは相変わらず」

「どういう意味?」

「ガキ大将」

「ガ……!?」

 

 迷いのない即答に絶句する。


「お前な」

「ガキ大将。俺のアップルパイ取ってた頃と変わらない」

「……あったな、そんな事も」


 抗議の言葉は昔の思い出に塗り潰された。

 遠い目をして黙るしかない。

 

 相変わらずの性格だ。

 あのショーの後もサイラスは何も変わっていない。


 正気の幼馴染を見てローレンスは確信する。

 それを口にする前にサイラスが問いを投げた。


「最近の事件は」

「あぁ、俺」

「……」


 今度はサイラスが黙った。

 椅子から立ち上がり月の下で両手を広げた。


「だってムカつくだろ? 何だあの裁判」


 他の人間が見れば正気を失うような光景なのだろうそれにサイラスは冷静だ。


「あのファッションショーを気持ちは判るなんて言いやがったんだ」

「……ああ」

「性格の相性、いい子を選ぶ権利とまで言われたの覚えてるか」

「覚えてる」

 

 当時の事を思い出したのだろう。

 サイラスは長い溜息を吐く。


 そして腑に落ちないと言った表情をした。

 

「そんな言葉で現役の警官が?」

「言葉だけじゃねぇよ? と言いてぇがそうだ。面白いくらい簡単に落ちたぜ。

剥製持って来た時は流石にどうしようかと思ったがな」

 

 大きな事件だった。

 出身が判れば結びつけるのは容易い。


 ローレンス自体も特に隠すような事はしなかった。

 だが。 

  

「大人になるにつれ、段々おかしくなる人数が増えた」

「……」

「美の幼体……ならいずれ生体になるんだろうな」 

 

 正気が齧られる音がする。

 忌々しいショーが未だに取り憑いている。

 

 崇拝、性欲、羨望。

 酷い目に遭ったね、最低な事件だ、一杯奢るよ。


 君の為に殺してあげたよ。

 殺してくれ、気持ちいいんだ。

 

「……」


 美の生体は目の前の人間を見た。

 それは狂う気配も無く冷静なものだ。


 許さない、許されない。

 これを堕とさなければならない。


 目の前の正気の人間が立ち上がった。


「サイラス」


――俺を止めてくれ。


 ●


 廃墟の外で暇を潰していたマーティンをジェフが頭上から強襲する。

 右手と首を固めた隙にチェスターが懐から銃を抜き取った。

 弾を捨て、銃を遠くに投げる。


 ブレントはそれを確認した後、用件を告げた。


「サイラスは何処だ」

「……!」


 四人相手で不利を悟ったのだろう。

 目配せをし、わざと拘束を解かせると建物の中に走って行く。


 ブレント達は逃げるマーティンを追う。

 工場跡であろう建物に入るとずらりと並んだ石膏像が邪魔をする。

 

 月光のお陰で視界に困る事は無かった。

 時折、石膏像を薙ぎ倒しながら奥へと進む。


 巨大な聖人像が見下ろす場所。

 一際広いその場所が行き止まりのようだ。


「……!」


 向かい合うサイラスとローレンス。

 そこにマーティンが突っ込んで行く。


 二人の様子がおかしい。


「ローレンス……ローレンスぅ……」

「おい待て行くな!」


 ジェフの静止に構わずマーティンがローレンスの足元に縋る。


「なぁローレンス助けてくれ一人じゃ手に負えん」

「少しくらいいいだろう、あんなに愛し合ったじゃないか」


 血飛沫。

 ローレンスの足元に赤い花が咲く。


 頭を踏み潰されたマーティンの死体が大きく痙攣した。

 血と甘い匂いが混ざる。


 薔薇を足蹴にする獣。

 こんな状況でもそんな言葉が浮かんだ。


 恐怖を超えた美。

 それを見た人間がああなるのを嫌でも理解した。


 ブレントはサイラスの救助を最優先に考える。

 周囲を見渡し、その姿を探し、動きを止めた。


 月明りが照らすのはサイラスだ。

 首を垂れた聖人像の下に立つそれは、サイラスだ。


 月光から生まれた無機質な、生命力と欲望を捨てたそれ。

 見下ろし、全てを裁くもの。

 

 大理石或いは銀。

 積み上げられた灰は確かに炎を内包している。

 

「あぁ……そうか」


 ブレントはショーの客達が狂気に飲まれた理由を理解した。

 当時二人は並んでショーの舞台を歩いた。


 ローレンスに引き摺りだされた欲望はサイラスに裁かれたのだ。

 

 サイラスが一歩踏み出す。

 美の幼体である筈のそれを見てもブレントの心は落ち着いていた。


 ●


 助けを求めるローレンスの声を聴いてから徐々に思考が研ぎ澄まされていくのをサイラスは感じ取っていた。

 無駄な物を削ぎ落していく感覚。


 孤児院に居た頃、引き取られたものの性格が合わないと返されて泣いた子が居た。

 あの時と同じだ。


 ●


 ローレンスの踵がサイラスを狙う。

 それに動じず、サイラスは手錠の鎖で受け止めた。


 勢いを利用して受け流されるローレンス。

 粉々になった鎖が床に落ちる。


 鞭のようにサイラスの足が顔面を捕らえた。

 地に伏せた獣が足払いを仕掛ける。

 

 飛び上がりそれを避けると着地際に拳が飛んできた。

 着地の衝撃を利用してローレンスの方へ転がる。

 

 腹部へのタックルのような形になった。

 獣の手がサイラスの肩を掴む。

 

 二人が床に倒れこんだ。

 起き上がろうとするサイラスの腕を獣が掴む。


 その手がサイラスの手を自らの首に導いた。


――サイラス!


 その声に動きを止めた。

 ブレントの声だ。


 冴えていた思考が普通に戻っていく。

 段々と自分が戻ってくる。


 サイラスは倒れているローレンスを見下ろした。

 その様子は裁きを待つそれだ。


「ローレンス」

 

 サイラスの目が緑色の目を覗き込む。

 自分はこんな事をしたくは無いと意志を以て。


「会いに行くよ。差し入れ持って」

 

 ローレンスが驚きの表情で固まった。

 チェスターを呼び手錠を借りる。


 かちゃん、と手錠をかけたと同時にサイレンの音がした。

 手を引っ張りローレンスを立ち上がらせる。

 

 チェスターが先行し、廃墟の外で銃を構えようとする警官達を抑えた。

 パトカーにローレンスを乗せる。


 感慨に耽る間も無く、パトカーは発進した。

 サイラスはそれを見送る。


 ローレンスを乗せたパトカーが見えなくなっても、サイラスはその方向をじっと見た。


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