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 隣にたたずむ祖母は、いまだ手をあわせ一心不乱に拝んでいる。じぶんでも驚くほど冷たくなった手で、小夜は祖母のはんてんを引っ張った。


「ねえぇ、いこうよ」


 こういうときほど、ものごとは上手く進まない。

 いつもならそれで両手をおろすはずの祖母が、今日はちがった。目をつむったまま、こう言ったのだ。

「小夜、おまえも拝みなさい。すず姉さんが、お嫁入り先で幸せに暮らせますようにって。すず姉さんは、おまえをとても可愛がってくれたろう?」


 ――なぜ拝まなきゃいけないの。離れていく、薄情な姉のために。


 心に棲む黒いもの――そのふち(・・)が、広がっていくのを意識する。いったいどうしたことなのか、いままでに経験のしようもないほど苛烈な閃光が、小夜の内を駆けぬけた。


 稲妻だ。


 これ以上ないほど忌まわしい激情が、津波のように襲い来る。祖母もすずも、幸せに見えるものすべて、ひたすら踏みにじり壊したい衝動にかられる。黒いふちはさらに広がり、小夜の拳はいつのまにか、血のにじむほどきつく握りしめられていた。憎悪が小夜を呑みこまんと、いままさにぬらぬらと口をあけたそのときだ。


 ふと、殿内の御簾がゆらりと揺れた。風にしては揺らぎが大きい。まばたきをしてぼんやり見つめると、見間違いであろうか、灯火の影とはちがう影を見た気がした。幾度かまばたきをしてみる。――やはり御簾に影がうつっている。

 それはまるで人のような影だった。そこに人はいないはずであるのに、御簾ごしに、たしかにその形をとっている。

 呆然としていると、その影がふいに動いた。腕があがり、すう、と御簾の外へと伸ばす。じきに御簾から白い指先が出てきた。次に手の甲が、腕が、ひじが。


 ほっそりした、すべらかな、まろく白い腕だった。

 女だ。しかも、やんごとなきところの身分の方であると想像できた。

 その女の指先がふと、小夜に向いた。こちらに向かって、ふわりふわりと手を動かす。どうやら、手招きしている――。


 小夜はわれに返った。

 そこにはだれもいないはずだのに、それなのになぜ。

 自覚すればぞおっと背すじが凍る。


「ばあちゃんっ」

 おののいて声をはりあげた小夜を、祖母はぎょっとして見やった。

「どうしたんだ」

「手が、手が」

 御簾を指さす。祖母がしばしばと目をしばたいて見、首を傾げた。

「なにもないよ」

 小夜が振り返ると、ゆらめく灯火に照らされた御簾が見えるばかりだった。白い腕も、影もない。気配も何もありはしない。

「見間違いじゃないかね」

 祖母がのんびりと言うも、小夜は固まったままだった。

 見間違いにしては気味が悪すぎるのだ。恐怖でいっぱいになり、いっそう強く祖母のはんてんをひいた。


「もう行こうよおっ」

「まだぐずを拗ねているのかい。そんなふうだからすずは安心してお嫁に行けない。もうお乳をほしがる年じゃないんだから、しゃんと立ちなさい。すずの幸せを願っておやり」

 そう言って、はんてんに引っついた小夜の手をにぎりしめ、がんとして離さないものだから、小夜はなかば恐慌をきたした。

「やめてっ、はなして」

「いいや、おまえも十になるんだ。いい加減、甘えは直さなくちゃいけない。そら、小夜がちゃんと拝むまで、ばあちゃんは離さないからね」

「いやだっ」

 祖母の手は、見かけ以上に強かった。あのしわくちゃの手から、どうすればこんな力がでるのか。それでいて感触は不自然に冷たい。小夜の目から涙があふれだす。恐怖と怒りが我慢の限界に達し、力いっぱい絶叫した。


「いやだっ」


 気が付けば、小夜は走りに走っていた。ひきちぎるようにほどいたしわくちゃの手が、小夜の名を呼ぶ。けれど小夜の足は止まらなかった。


 さて、はなしは冒頭をつかまえる。



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