【エピローグ】 黒の地竜と天竜の娘(1)
お世話になった人達への挨拶と仕事の引継ぎは終わらせた。後は自室に戻って自分の支度を済ませれば、やるべき事は完了ね。
秋節祭を明日に控えた私は、東京へ帰るべく何かやり残しは無いだろうかと頭を巡らせる。この世界から帰ることが出来るのは風音ちゃんと燈里ちゃんで証明済みだ。帰るのに必要なのは最も人が集まる季節祭の初日である事と、番となる竜の願いのみ。三ヶ月前に燈里ちゃんが無事に帰っている筈だから、セナード殿下が作った道はまだ通れるでしょう。うん、ぬかりはない筈だわ。
けれど考え事をしながら歩いていたのがいけなかった。すぐ背後まで迫っていた影に気付けなかったのよ。
「きゃっ!!」
がしっと腕を掴まれ、拘束される。声もかけずに突然こんなことをする人物なんてナキアスとナルヴィの二人に決まっている。振り向けば、案の定二人の姿が。
「何すんのよ!!」
「いいでしょ、チヒロ。一緒に居られるのもあと数時間なんだよ?」
「そうだよ、チヒロ。少しでも長くチヒロと一緒にいたいんだ」
仕事の引継ぎをするというからずっと我慢していたと言われ、私もそれ以上の文句は言えなくなる。表立っては言わないものの、二人が私の帰還を良く思っていないのは知っていたから、出来るだけ今日は接触しないようにと思っていたのに。
仕方なく二人に連れられるまま移動すれば、着いたのは――あら? 寝室?
「ちょ、ちょっとなんで寝室なのよ!!」
「はい、チヒロ。両手挙げて?」
「黙ってないと舌噛むよ? チヒロ」
行き成り抱き上げられ、そのままベッドの上に載せられる。文句を言おうと上半身を起こせば、狙いすましたようにナルヴィに唇を塞がれた。その間にナキアスが器用に服を脱がしていく。
もうほんと厄介! この双子の連携プレー!!
「んーっ!!!」
抵抗むなしく、いつものように二人に翻弄されていく。訳分からなくなる前に、これだけは言っておかなくては!
「約束は忘れないでよね!」
私に覆いかぶさる二人に向かってそう言い放てば、少し寂しそうな顔をしたナキアスが私の頬を撫でながら頷いた。
「うん。勿論」
「俺達の願いは、何よりもチヒロの幸せだから」
そう言って、ナルヴィが私の額に小さなキスを落とす。
「ナキアス、ナルヴィ……」
二人は二人なりに覚悟をしていたみたい。名前を呼んだ声に応えるように、二人が私の体に触れていく。彼らの体温を感じながら、私は気づかれない様にこっそりと泣いた。
(ごめんね……)
気がつけば夕食を取る間もなく、夜が更けていた。ベッドの上で横になっている二人に挟まれながらうつらうつらしている私に分かったのは、私の髪を撫でるナキアスの手のひらと、手の甲にキスを落とすナルヴィの唇の感触。
そして段々と遠くなっていく、二人の声。
「ねぇ、チヒロ。俺達に世界の隔たりなんて関係ないんだ」
「そうだよ、チヒロ。ずっとずっと俺達は深い所で結びついているんだからね」
【黒の地竜side】
カーテンの隙間から降り注ぐ陽の光で目が覚める。体を起こせば、そこにチヒロの姿はなかった。彼女が寝ていた筈のシーツの上に手のひらを滑らせる。けれど、体温のかけらさえそこには残っていない。
「ナキアス」
名前を呼ばれ、顔を上げる。俺よりも早く起きていたのか、ナルヴィも俺と同じ場所を見ていた。
「何、ナルヴィ」
「行っちゃったな……」
「あぁ……」
やはりお互いに想うのは俺達の番、チヒロの事。この手から離れてしまった柔らかい感触も彼女の匂いも、全てが俺達の中に刻まれている。忘れられるわけが無いのだ。彼女は俺達が求めるただ一人なのだから。
すると先程までの悲観的な空気を断ち切るようにナルヴィが肩を竦めておどけた仕草を見せる。
「まさかここに来て裏目に出るとは思わなかったけど」
それは俺も同感だった。無意識の内に俺もナルヴィ同様肩を竦めている。
「ホントだよ。馴染ませ過ぎたせいで、俺達の意思に反して帰っちゃうなんてね」
そう。俺達は決してチヒロの帰還を願わなかった。けれどチヒロは帰ってしまった。番の竜である俺達の力を借りずに、彼女は一人で帰ってしまったのだ。それが可能だった理由はただ一つ。俺達が連日彼女を抱いて、竜に近い体に変えてしまったから。
何故そんな事をしたのかと言えば、それは勿論彼女を帰す為ではない。チヒロを元の世界には帰さず、そのまま花嫁として迎い入れる為の前準備だったのだ。まさかその行為が裏目に出るとは、俺もナルヴィも予想出来なかった。
「でも大丈夫」
片割れであるナルヴィの口元には笑み。
そうだ。チヒロが帰ってしまったからと言っても問題は無い。その答えはすでにセナードが示している。
「あぁ、そうだな」
そして俺達は互いに視線を交わし、笑った。
「俺達は諦めないからね、チヒロ」




