炎と涙
「ゲドー様っ! た、大変だよー!」
まだ日も昇らない早朝。
エルルが俺たちの宿に飛び込んできた。
「貴様、この俺の安眠を妨害するとはいい度胸だ」
「そ、そんな場合じゃないんだよ! シーリィのお店が……!」
エルルの慌て方が尋常ではない。
全力で駆けてきたのだろう、肩で息をしている。
ただ事ではないな。
俺とマホは宿を出て裏通りに向かった。
◆ ◆ ◆
燃えていた。
シーリィの店が、真っ赤な炎に包まれていた。
夜明け間近の空を照らすように、火の粉が天まで舞い上がっている。
当のシーリィは、店の前で呆然とへたり込んでいた。
「シーリィ!」
エルルの呼びかけにも反応しない。
大きく開かれたシーリィの瞳に、炭化して燃え落ちる看板が映っていた。
シーリィとエルルが、あーでもないこーでもないと言いながら楽しそうに作り直していた看板だ。
店の外壁もすでに真っ黒で、元の明るい色合いは見る影もない。
一人で大変だよーと言いながら、エルルが汗を拭って塗り直していた外壁だ。
焼け落ちた窓から覗く店内も、内装が焼けて原形を留めていない。
炭化したビラと思しき黒灰が、風に吹かれて空に舞っていた。
マホが1000枚は多すぎるのですと呟きながら、夜遅くまで刷っていたビラだ。
「消火魔法、放てーっ!」
「放てーっ!」
到着した消火魔法隊が、水の魔法で建物を消火する。
火の勢いは徐々に衰えて、やがて鎮火した。
全焼だった。
焼け焦げた柱を残して、全てが炭に変わっていた。
何も残っていない。
「……」
シーリィはへたり込んだまま動かない。
マホは無表情で、消し炭と化した建物を眺めている。
「シーリィ……」
エルルが声をかけると、シーリィがゆっくりと振り返った。
「え、エルル……」
次いで俺たちのほうに視線を向ける。
「げ、ゲドー様……。マホさん……」
シーリィは唇を震わせる。
「わ……私……」
シーリィが肩を震わせる。
「み、みんなで……がんばって……。お、お店……やっと、繁盛して……」
シーリィの目に涙が浮かぶ。
「う、嬉しくて……わ、わた……私……」
シーリィの目から、ぽろぽろと涙が零れる。
「ふえっ……う……ふええ……」
シーリィは俯いて声を押し殺している。
涙の粒が、ぽたぽたと石畳に落ちた。
エルルが唇をぐっと噛み締める。
「ゲドー様っ」
エルルが身を乗り出した。
「ボク見たんだ! 深夜にライバル店の店員が、このあたりをうろうろしてたのを」
なるほど。
そいつが下手人と言いたいのだろう。
「でもエルル。それだけでは証拠がないのです」
「そっ、それはそうだけど……!」
そうだろう。
証拠など残っているはずがないし、これから出てくることもあるまい。
そして法に則れば、証拠なくして裁くことはできないのだ。
「でも……。でも、こんなのって……!」
見ればエルルも、目にうっすらと涙を溜めている。
思えばこいつも友達のためにとがんばっていた。
「エルル。証拠もないのに下手な行動に出れば、裁かれるのは私たちなのです」
マホは無表情を崩さない。
こいつの言っていることは正論だ。
「ふん」
俺はむしろ連中のやり口に感心していた。
目的のためには手段を選ばない小賢しさ。
商売敵を潰すためなら力に訴えることも辞さない悪辣さ。
いいとも、どんどんやれ。
勝った奴が正しい。
世の中の真理だ。
俺はシーリィを見下ろす。
泣いている。
悔しさとやり切れなさで、ぽろぽろと涙を流している。
俺はエルルを見る。
肩を震わせて涙をこらえている。
俺はマホを見る。
表情はない。
しかし拳を固く握り締めている。
俺はバサアとローブを翻して歩き出した。
「ゲドー様、どこへ?」
「野暮用だ」
そうだ。
世の中、勝った奴が正しい。
それに異論などあるはずがない。
だがなあ。
ライバル店とやらは一つ、致命的な間違いを犯した。
わざわざ商売という土俵の外に踏み出して、このゲドー様にケンカを売ったことだ。




