部下にしてくださいと乞うてみろ
「……悪魔」
オッヒーが怯えたように喉を鳴らした。
マホが杖を構えている。
悪魔とは恐るべき存在だ。
一生のうちでその姿を見る機会がある人間などほぼいないが、それでも伝承として悪魔族の恐ろしさは広く伝えられている。
そんな悪魔が目の前にいるのだ。
オッヒーのように怯えて身を竦ませるのは自然といえよう。
悪魔は、獣じみた視線で俺たちを睨め回していた。
その視線が俺で止まる。
「この俺を奈落から引きずり出したのは貴様か……」
「そうだ」
俺は仁王立ちでその視線を受け止める。
無論、恐怖などない。
悪魔だろうがゴブリンだろうが、このゲドー様から見れば等しく小物だからだ。
「そんな芸当ができる人間がいるとは思わなかった。名を聞いてやろう……」
「ふん、小物に聞かせてやるのももったいないがよかろう。邪悪なる大魔法使いゲドー様だ」
「ゲドーだと……?」
悪魔の視線が訝しげなものに変わる。
「それは500年前に、我が主である魔王様を召喚した魔法使いの名だ……」
「その通り。ヴァルマ・ゲドンの奴を召喚したのはこの俺だ」
「ほお……」
悪魔の視線が、次いで値踏みするように細められる。
「それより雑魚悪魔。魔王のことを主と呼んだな? 貴様も魔王四天王とやらか?」
「そうだ……」
「そうかそうか。察するに、奈落に充満する密度の高い魔力を汲み上げて、魔王に献上するためにせっせと働いていたのだろうなあ?」
「そこまでわかっているとは、人間にしては頭が回るようだ……」
悪魔が地割れのような細長い口を、三日月形にする。
「ゲドーとやら。魔王様の部下にならんか。貴様のような力ある人間ならば、魔王様もお喜びになるだろう……」
部下?
この俺が、部下だと?
「ククク……」
このゲドー様が、部下か。
「はははははは! ふはーっはっはっは!」
「何が可笑しい……」
「たわけが。ヴァルマ・ゲドンがこの俺の部下になるならかろうじて検討してやるが、逆など天地がひっくり返ってもあり得んわ」
「何……」
「地べたに額をこすり付けて、このゲドー様に乞うてみろ。お願いですから部下にしてくださいとなあ」
「図に乗るなよ、人間風情が……」
悪魔がコウモリに似た翼を、バサアと広げる。
ふん、雑魚の分際でこの俺と戦り合う気らしい。
「貴様の魔力をカラカラになるまで吸い出して、魔王様に……」
「キロトン」
俺の爆発魔法が炸裂し、悪魔が土煙に包まれた。
「や、やりましたの!?」
「そんなはずがあるか。マホ」
「はいです」
マホが俺の手に飛びつく。
勢いよく魔力が流れ込んでくる。
俺の身体に活力が漲ってくる。
「ふふふ……。人間風情が、一人残らず干物にしてやろう……」
土煙の向こうから姿を現した悪魔は、無傷。
ふん、やはりな。
「キレーナ森林のダークエルフと同じだ。奴め、生意気にも魔法障壁を展開している」
「ではあのときと同じようにディスペルするのです」
マホが一歩前に進み出る。
「オッヒー」
「は、はいですわ」
「少しで構わん。死ぬ気で時間を稼げ」
「もちろんですわ。魔法使いを守るのが、前衛の役割ですわ!」
オッヒーが剣を構えて悪魔に突っ込んでいく。
「まずは貴様からか、ロールパン女……」
「誰がロールパンですの!」
オッヒーが振るった剣を、悪魔はやすやすと長い爪で受け止めた。
返しの爪がナイフのように鋭く振るわれるが、オッヒーは軽快なステップでそれを避けて次撃を繰り出す。
魔物との戦いでも思ったが、どうやらオッヒーは身軽なフットワークで敵を攪乱しながら戦うタイプのようだ。
しかし悪魔は根本的に、人間を遥かに凌駕する戦闘力を持っている。
両手の爪を次々と繰り出す悪魔に、オッヒーは後退を余儀なくされていた。
それにあの悪魔は、手を抜いてオッヒーを追い詰めている。
獲物をいたぶる猫のように、じわじわと楽しみながら仕留めるつもりだろう。
ククク、愚か者めが。
このゲドー様を侮ったことを後悔しながらくたばれ。
「マホ・ツカーリエが命じるのです。私がいらないと思ったものはいらないので消え去るのです」
「――並び立つ幾千の牙を打ち鳴らし、焼け付く咆哮をさっさと吐き出しやがれ」
マホと俺の詠唱が重なる。
準備は整った。
「オッヒー、下がれ」
俺の声に、オッヒーが大きく後ろに跳び退った。
「ケシオン」
マホのディスペルが発動し、悪魔が纏っている魔法障壁が消滅した。
動揺したのか悪魔が動きを止める。
はははは死ねい!
骨の一片も残らず消滅しろ。
「ザンデミシオン――」
俺の手のひらから極太の雷が発射され、悪魔を飲み込んだ。
雷は床に焦げ目を作り、広間の後方まで達して壁を爆砕した。
「ふははははは! はーっはっはっはっは!」
雑魚めが。
虫けらがこのゲドー様に楯突こうなど、とんだ思い上がりだったなあ。
「す、凄まじい威力ですわ……」
「さすがなのです、ゲドー様」
オッヒーが驚嘆の表情で、マホが無表情で、それぞれ賛辞の言葉をかけてくる。
ふん、当然だ。
このゲドー様に――。
「ベギン」
俺はマホを引っ張って床に伏せた。
斬撃の魔法が、俺たちの頭上を通り過ぎていく。
土煙が晴れると、俺に向かって指先を突き付けている悪魔の姿。
身体は多少焦げているが、軽傷に過ぎない。
奴め、ディスペルした次の瞬間にはもう魔法障壁を再展開したのか。
悪魔族だけあって、ダークエルフごときとは一味違うということか。
いや、それよりまずい。
奴の指先は、俺の頭に向けられている。
「アークレーザー」
悪魔の指先が、俺の頭へと黒い光を放った。
くそが。
まずい。
いくら不老不死に近い俺といえど、頭を破壊されたら死んでしまう。
だが床に伏せた俺は体勢が崩れている。
避けられん。
くそが。
この俺が。
このゲドー様が、こんなところで。
くそが。
くそがあああ!
「ゲドー様」
マホが俺を突き飛ばした。
黒い光が、マホの胸を貫通した。




