91『迷惑な訪問者』
「もし、少しよろしいだろうか」
ゲルの外から聞こえてくるのは、年配の男の声だ。
「何かしら」
「俺が出ます」
立ち上がったラドヤードは普段使いの長剣を手にして入り口に向かう。
そして布をかき分け、その隙間から外を覗いた。
「誰だ? 一体何の用だ」
「こんな時間に申し訳ない。
私はそこにいる乗り合い馬車の御者をしている者なのだが、実は少々困ったことになっていて……」
もうずいぶんと御者をして長いのだろう。日焼けした顔には深い皺が刻まれている、初老と言って差し支えない男が立っていた。
「実は、今回うちの乗り合い馬車には小さな子供が乗っているのだが、今夜は急にこんな天気になっちまって……
お恥ずかしい話だが寒さに関した備えをしてなかったんだ。
なので何とか子供だけでもこちらに避難させてもらえないだろうか」
ジェラルディンにとっては、何とも勝手な話で呆れるばかりである。
「ラド」
「はい、主人様」
「断ってちょうだい」
ジェラルディンは入り口に背を向けたまま、振り返りもしない。
「そこを何とか!
お願いします。お嬢様!」
彼の馬車の乗客の女の子は元々風邪をひいていた。
ジェラルディンはぬくぬくとしたゲルにいて気づかなかったが外は吐く息が白く、みぞれが降り始めている。
乗り合い馬車を閉め切ることは出来るが、暖房することが出来ず、みぞれ混じりの雨が降り始めたので焚き火を焚くことも出来ずにいた。
「頼む! この子は熱があるんだ!」
頼めば快く受け入れられるとでも思っていたのか、傍らには子供を抱いた女がいる。
必死でゲルの中を覗き込もうとしているのを御者が抑えていた。
「お願いします!」
「ラド、帰ってもらってちょうだい」
「そんな!
片隅でもいいんです!
どうかこの子を……」
「その具合の悪そうな子供と同じゲルで過ごせと?
私にそれの面倒を見ろとでも言うつもりなのかしら。
ラド、追い払って」
このゲルに他人を泊めるなどとんでもない。
たとえそれが子供で、眠っていると言っても危険は犯せない。
【隠れ家】に移る事が出来なくては身体を休める事も出来ない。
「ラド」
ラドヤードは主人の考えを完璧に理解していた。
目の前で何かを言いかける御者と女の前で入り口の布を閉め、素早く結界石を置いていく。
ゲルの内側に結界を張り、外からの干渉を受け付けないようにした。
なお、ゲル自体が硬質な素材で出来ているため、外側から潜り込むことは出来ない。
もうゲルを叩く音も、喚く声も聞こえなくなり、やっと静かになった。
「なぜあれらは私が助けると思ったのかしら……
少し安直でなくて?」
「普通は子供を見てしまうとほだされてしまうのですよ」
「私もあれほど厚かましくなかったら、薬や毛布くらいは施してもいいと思ったわ。
でもこちらが悪い、助けるのが当たり前だ、みたいな態度を取られるとね」
ヒステリックに喚く母親を思い出しげんなりする。
「それに風邪は感染るのよ。ラドもちゃんとうがいをしておきなさいね」
アイテムバッグから度数の高い酒……ブランデーを取り出すと机に置いた。
ジェラルディンはデザートのりんごのコンポートにフォークを入れる。
2人は何事もなかったように食事に戻っていった。




