84『元王子アルバート』
宿泊している高級宿のレストランでの食事を終えて部屋に戻ろうとしていた時、名を呼ばれて振り返った。
「ジェラルディン」
彼女をこう呼ぶ者は今現在、限られている。
振り返ったジェラルディンはその不届き者を睨みつけた。
「アルバート様、こんなところまで何の御用ですの?」
ジェラルディンを庇おうとするとラドヤードを留めて話を聞こうとする姿勢を見せた。
「ジェラルディン、どうかもう一度……」
こんなところで話し始められたら、一体何を言い出すかわからない。
「アルバート様、お話は私のお部屋で伺いますわ。
どうぞ一緒にいらして下さいませ」
女王然としたジェラルディンが護衛のラドヤードを従え、その後ろにアルバートが続く。
以前の彼ならその歩く順序までもこだわり、騒動を起こしたものだが、王位継承権を剥奪され王族から追放されて考えるところがあったのだろうか。
やけにおとなしい。
「どうぞ、お入り下さい」
おそらく路銀もさほど手持ちがなかったのだろう。
元王子アルバートはジェラルディンの部屋をきょろきょろと見回していた。
「アルバート様もこちらにお泊りですか?」
「いいや、私は今冒険者用の宿に滞在している」
ジェラルディンははてなと頭を廻らす。
このアルバートと言う男は選民意識の塊のような人間だったはずだ。
とても冒険者などと一緒の宿に泊まるとは思えない。
あり得るとしたら、そうせざるを得ない……自由になる金子が少ないということだろう。
そう言えば、心なしかその身につけている上着も質が悪そうだ。
「とりあえず、お掛けになって」
ジェラルディンは目の前のソファーを指し示したが、アルバートはそのまま床に跪いた。
「え? アルバート様?」
戸惑うジェラルディンの前で、元王子はそのまま頭を下げ、床に額ずいた。
土下座である。
「ジェラルディン、すまない。
私は物知らずの最低な男だった。
これからは心を入れ替えて生きて行くと誓う。
なのでもう一度、私との結婚を考えてくれないだろうか」
顔を上げてジェラルディンを見つめる目は嘘を言っているようには見えないが、彼女はかぶりを振った。
「ごめんなさい、アルバート様。
そのことにもう少し早く気づいてほしかったわ。
もう遅いの。私とあなたの道は分かたれてしまったのよ」
「ジェラルディン!」
「お話はそれだけ?
ならもうお帰りになって下さい。
私はこのまま、冒険者として気楽に生きていきます」
「そんなの了承できるはずがない!」
美貌の王子様の顔色がどす黒く変わり、醜悪に歪んだ。
どちらかといえば、こちらが本性なのだろう。
跪いたまま、ジェラルディンに飛びつこうと床を蹴った。
「主人様!」
素早く近づいたラドヤードが鞘に入ったままのバスターソードで振り払う。
まともに食らったアルバートは壁際近くまで飛ばされてしまった。
続けて肩に、細い細い影の棘が刺さり、アルバートが悲痛な声を上げた。
「命は助けてあげますわ。
でも、次はありませんことよ」
「俺は絶対に諦めない!
おまえと結婚して王太子に返り咲くのだ!!」
「……いっそ、今のうちに殺した方がよさそうですわね」
本気の殺気をぶつけられ、アルバートは立ち上がると脱兎の如く逃げ出した。




