53『森の深部、2日目』
夕食はラドヤードの旺盛な食欲に驚きながらも和やかに終わった。
そのあとは就寝となるわけだがここでジェラルディンは隠れ家へと移動する。
「ごめんなさいね。
影空間には私以外入れないの。
だからラドはここで寝てくれる?」
そう言ってジェラルディンが出したのは所謂寝袋だ。毛布の間に水鳥の羽毛がはさんである。
「あと、結界が張ってあるからこのゲルから出ないでちょうだい。
たとえ何があってもね」
含みのある言い方をしたジェラルディンが影の中に姿を消していく。
この夜、正確に何があったのか目撃者がいないため詳しい事はわからない。
だが比較的早い時間、ジェラルディンが隠れ家に引きあげてすぐに、このゲルに訪問者があった。
その訪問者はずいぶんと長い間、結界を叩き続け最後は中に入れろと喚きながら暴れているようだった。
それをラドヤードは主人の言いつけを守り無視し続けて朝を迎えたのだ。
「おはよう。
昨夜はあれから、ずいぶんと賑やかだったようね」
影の中は、直接声や音は伝わらなくても、結界に触れる感触は伝わってくる。
ジェラルディンは辟易しながらも、早くいなくなればいいと思っていた。
そして朝。
朝食を終え、昼食の弁当を詰めて身支度を整えてゲルから出ると、あたりは目を覆うような様相になっていた。
「……何かに襲われたようですね」
「そうね。何か身元を証明できるようものはあるかしら」
地面はまるで掘り返したように荒れ、よく見ると血のようなものも見て取れる。
だが身体の一部や荷物のようなものは一切残されておらず、身元の特定は難しそうだ。
「これだけの血が残されているということは、生きているとは思えないわね」
元々無関心だった少女の事だ、ジェラルディンはさらっと忘れて今日の狩りの事を考えていた。
「ラド、今日はもっと奥に行ってみましょうよ。
私、冬にだけ発芽すると言う、ある薬草が欲しいの。
これは雪が降ってしまうと駄目になるの。ねえ、せっかく森に来ているのだから探してもいいでしょう?」
「主人様がそう仰るのなら吝かではありません。
どういうところに生えるのか、わかっているのですか?」
「森の中の日光が差さないところ。
または北向きの、日照時間の少ない斜面、色々書いてあったけど私が【探査】するので見つかると思うわ」
また主人の新しい能力を知って、ラドヤードはもう驚くのをやめた。
魔法士と言う者はこういうものだと割り切らなければやってられない。
自ら先頭に立ち、ずんずんと進んで行く主人を追って、ラドヤードはそれでも慎重に気配を感じようとしていた。
「ラドは後ろの方だけを感知してくれればいいわ。
この先は……もうすぐ中型の魔獣と遭遇します」
そしてまもなく、やや斜め前方から現れたのは【雪豹】と呼ばれる魔獣でとても珍しく、その毛皮は高額で取り引きされるものだ。
「まあっ! 雪豹のコート欲しかったのよ!」
ラドヤードは主人が何をしたのか、まったくわからなかった。
こちらに飛びかかってこようとしていた雪豹が、突然動きを止め倒れ伏したのだ。
「主人様? 一体何が起きたのですか?」
「これは生活魔法の【血抜き】を応用したのです。
生き物は血液を失うと、生きていけませんからね」
その時ラドヤードは身体中の毛が総毛立つ感触に身慄いした。
【血抜き】
何という恐ろしい魔法だろうか。




