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【連載版】伯爵夫人は笑わない【第二部完結】  作者: 文月黒
第二部

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番外編・伯爵夫人の望むもの

 伯爵としての日々の仕事にもようやく慣れ、このところは比較的余裕のある生活を送っていたはずのベルナール・レインバード伯爵は、何かとんでもないトラブルでも発生したかのようなひどく険しい表情で屋敷の廊下を歩いていた。

 長身に加え、元々騎士として鍛えてきたその体躯は立派だが、今はそれらが険しい表情と相俟って全方位に向けて威圧感を放っている。

 新入りの使用人などは、廊下の隅からベルナールの姿を発見するなり、彼から発されるあまりの威圧感に気圧され喉の奥で小さく悲鳴を上げてその場から逃げ出した程だ。

 そんな事など露知らず、つかつかとやや早足で廊下を渡ったベルナールは、夜の庭に出てしばらくうろうろと歩き回り、不意に足を止めたかと思えばその場で深く大きな溜め息を吐いた。

 その表情には微かに焦燥が滲んでおり、彼が深く思い悩んでいる事が容易に窺える。


「……どうしたものか……」


 二度目の溜め息と共に吐き出される呟きは、静かに背後から掛けられた声によって夜の闇に散った。


「──ベルナール様」

「ウルスラ……? どうしてここに?」

「窓からお姿が見えましたので、ショールをお届けにまいりました」


 そこに立っていたのはベルナールの妻・ウルスラだった。

 もう寝るところだったのだろう。彼女は夜着の上にガウンだけを羽織り、胸に抱えていた厚手のショールをベルナールへと差し出した。

 これはウルスラが作ったもので、普段は家族用のサロンの長椅子に置いてある。読書や刺繍の時、このショールは彼女の膝掛けになるのだ。

 ベルナールはサロンでこっそり昼寝をする時にこのショールを毛布代わりにしていたので、その暖かさは身をもって知っていた。

 窓からベルナールの姿を見つけてサロンから持って来てくれたらしい。

 差し出されるままにショールを受け取ると、ウルスラはピンと背筋を伸ばし、いつも通りの淡々とした口調で言った。


「お風邪を召されるといけません」

「ありがとう。君も身体を冷やす前に屋敷に……」


 妻の気遣いの言葉に礼を返し、早く暖かい部屋の中へ戻るように促そうとしたベルナールだったが、それはウルスラ自身の言葉によって遮られた。


「……何か、ベルナール様を煩わせる事がございましたか」


 変わらない表情に変わらない声音。

 ともすれば冷たくも聞こえるのであろうその言葉に、ベルナールはもしやと僅かに目を見開いた。


「どこかお加減でも悪いのですか。傷が痛みなどしたのでしょうか。それとも領地経営に何かトラブルでも……」


 続く言葉に、やはり心配されていたのだと気が付き、慌てて何も問題はないと首を振る。


「すまない。要らぬ心配を掛けたようだ。体調にも領地経営にも何も問題はないんだ」

「さようで」

「あぁ、ただ今は少し……、そう、個人的な事で考え事があって……」


 ウルスラはその返答を聞いた後も、しばらくヘイゼルの瞳でジッと無表情にベルナールを見詰めていたが、そろそろと顔を俯けると普段よりも少し小さな声でぽつりと言った。


「ベルナール様は当代レインバード伯爵です」

「そうだな」

「私はあなたの妻です」

「あぁ。その通りだ」


 突然何を言い出すのだろうとベルナールは思ったが、先日突然執務室にやって来て『妻の務めを果たしに来た』と言われた時も、驚きはしたがそこにはきちんと理由があった事を思い出す。

 今回もきっとそうなのだろう。

 そう考えて、ベルナールは妻の言葉に耳を傾ける事にした。


「ベルナール様は家門の長として、常に堂々と気品ある振る舞いをなさるべきですわ。個人的な悩みを理由に感情を乱し、それを表に出す事は家長として相応しくありません。使用人達も旦那様の様子を不審がっております」

「すまない。本当にすまない」


 じっくり耳を傾けた分だけ胸に深く刺さり、耳にも痛い言葉だったが、これは両親、特に母からもよく言われていた内容だった。

 ベルナールは昔から色んなことが顔に出やすい。

 騎士として鍛錬する内に幾らかは改善したものの、騎士団時代は顔に出過ぎだと叱られる事も多く、気が緩むと今だってこの有り様である。

 ウルスラの言葉から屋敷の使用人達にも心配を掛けたのだと察して、ベルナールは謝罪の言葉を口にする事しか出来なかった。

 顔を上げたウルスラは、そんなベルナールを真っ直ぐに見詰めたまま、やはり無表情に淡々と続けた。


「ベルナール様はお立場上、悩みを口にする事が難しいのは存じております。けれどずっと気を張ってらっしゃるのもお疲れになるでしょう。ですから、個人的なお悩みでしたら、ベルナール様のお心が安らぐ程度に妻である私に胸の内を明かして下さってもよろしいのではと思うのです」


 ベルナールは、進むにつれ少しずつ口調が早くなっていくウルスラの言葉を脳内で反芻した。

 三度ほど脳内で言葉を繰り返し、ベルナールはふむと口許に手を当てた。

 つまり、悩みがあれば話せる範囲で打ち明けてほしいとウルスラは言っている。

 伯爵としての立場を重んじ、負担にならないギリギリを見極めて寄り添ってくれているのだ。

 ウルスラの気遣いに感激してベルナールが礼を述べようと口を開いた瞬間、ウルスラはふるりと首を振って更に言葉を続けた。


「私と致しましては、海外商路はまだ時期尚早かと存じます」

「海外商路」

「先日からベルナール様が商人より商品目録やサンプルを取り寄せていることは存じております。彼らの殆どが海外の品を扱っておりますね。海外の品は希少価値もつきやすくはありますが、船舶所有や貿易はまだ……」

「いや、違う、違うんだ! 聞いてくれ、ウルスラ」


 淡々と諭される内に、ベルナールはウルスラが大きな誤解を抱いている事に気付き、珍しく言葉の途中で声を上げた。


「……何でしょう」


 大きな声を出してしまったから驚かせてしまっただろうかと心配したベルナールだったが、一方のウルスラはいつも通りの美しい立ち姿で既にベルナールからの返答を待つ態勢に入っている。

 ベルナールはごくりと唾を嚥下し、そっと口を開いた。


「確かに商人を呼びつけてはいたが、あれは……」

「はい」

「あれはだな……」


 ベルナールはそこで言葉を切って、ごほんと一度だけ咳払いをした。

 そしてウルスラから渡されたショールを広げ、己ではなくウルスラの肩に掛けると説明をするからと言って彼女をエスコートして屋敷内のサロンへと向かったのだった。




「……さて、どう話したらいいものかな」


 サロンの長椅子に隣り合って座り、ウルスラ付きの侍女が二人分の温かいカモミールティーを用意し終えたタイミングでベルナールは小さく呟いた。


「そうだな。私の至らぬ振る舞いで君や皆に心配を掛けた事をまず詫びよう。先程も言ったが、私の体調も領地の事も何も問題は起きていないからそこは安心してほしい」

「それは良うございました」

「次に、君の言った海外取引の話だが、レインバード伯爵としてこれはまだ考えていない。個人輸入については思案しているところだが、あくまでも取引は個人の範疇だ」

「なるほど。では、ベルナール様は何をあんなにお悩みになっていたのですか」

「それなのだが」


 ベルナールは言いにくそうにしばらくもごもごと言葉を濁していたが、一度大きく深呼吸をすると真剣な表情で隣に座る妻へ視線を向けた。


「ウルスラ。君の誕生日プレゼントを探していたんだ。でもなかなか決まらなくて……」


 本当はこんな事を打ち明けたくはなかった。

 しかしここまで来たら致し方あるまい。元々悩みに悩んで行き詰まっていた問題だ。

 いっそ打ち明けてしまった方が良いのかもしれない。

 ベルナールのそんな思惑を乗せた告白を受けたウルスラは、やはり顔色ひとつ変えずに答えた。


「私の誕生日は半年も先ですわ」

「だが、ドレスにしてもアクセサリーにしても、仕立てるのなら早めに決めないといけないだろう」

「それはその通りでございますね。あの、これは確認なのですが、ここ最近のあの悩みようは、全て私の誕生日プレゼントが決まらない事が原因、という事でよろしいですか」

「改めて言葉にされると私の不甲斐なさまで浮き彫りになるが、まぁ、その通りだ」

「さようで」


 そこでウルスラは動きを止めた。

 よくよく見てみると、僅かに眉をしかめているようにも見える。

 表情自体は変わっていないので『眉間に皺を寄せる』とまではいかないが、それでも眉の辺りに力が入っているのは見てとれた。

 妻の見せた珍しい表情に、やはり呆れられたのだろうかとベルナールは眉尻を下げる。

 だが、ウルスラはその表情のまま重ねて訊ねた。


「それが決まれば、ベルナール様のお悩みは解消されるのですね」

「そういう事になる……んだろうか?」

「では、私の欲しいものを申し上げてもよろしいでしょうか」


 欲しいものはございますがベルナール様にも負担を強いることになりますので、と言ってこちらからの返答を待つウルスラに、ベルナールはわかりやすく動揺した。


(負担? 負担とはなんだ。まさか欲しいものとは何処かの土地か? はたまた商会の利権書か? まさか鉱山……いや、鉱山は今の私では無理だ。管理しきれない。だが、農場の一つ二つくらいなら何とかなるかもしれない)


 果たしてウルスラは一体何がほしいのだろう?

 緊張した顔付きでベルナールがウルスラの言葉を待つ。

 ウルスラは音を立てずにティーカップをソーサーに戻すと、ベルナールを見詰めてそっと告げた。


「新しい乗馬服を仕立てて頂きたいのです」

「乗馬服? あぁ、勿論構わないとも」


 身構えていたベルナールは、ウルスラから告げられた言葉に、少々肩透かしを喰らった気分になった。

 出入りの業者を屋敷に呼び、布選びと採寸から始めて一から仕立てさせても彼女の誕生日には充分間に合うが、ウルスラは口にするのも戸惑っていた様子だった。

 彼女が乗馬を嗜む事は結婚前から知っているし、何なら婚約者だった頃に一緒に遠駆けにも行っているというのに、そこまで躊躇うような事があっただろうか。

 まさか乗馬服を仕立てる事を負担だと思うほど、自分は頼りなく見えているのだろうか。

 だが、ベルナールが何かを問う前に、ウルスラが口を開いた。

 彼女にしては珍しくベルナールから視線を外し、己の口許に手を添えながらぽそぽそと話し始める。


「その、乗馬服といってもただの乗馬服ではなく……ベルナール様と揃いのものを仕立てたいのです」

「ほう、揃いの乗馬服か」

「はい。私と、ベルナール様で揃いのものを。……いえ、何でもありません。はしたない事を申しました。どうかお忘れ下さい。プレゼントは何か別のもので」


 視線を逸らしながらも背筋だけはピンと伸ばしたウルスラは、やや早口になって他のものをと言ったが、髪からのぞく耳がほのかに赤くなっているのをベルナールは見逃さなかった。

 慎み深いウルスラの事だから、夫とお揃いの乗馬服が欲しいと口にするのは相当恥ずかしかったのだろう。

 そう思えば、口にする際にあれだけ躊躇っていたのも納得出来る。


「はしたないなんて事はないだろう。夜会では夫婦で揃いのデザインの礼服を着る事は多々あるのだし、乗馬服だって似たようなものだ」

「そうでしょうか」

「そうだとも」


 全くもって問題ないとベルナールは深く頷いて見せた。

 だが、ウルスラは両手で顔を覆って俯いてしまう。

 何か悪いことを言ってしまっただろうかと焦るベルナールだったが、口を開く前にぽつりとウルスラが呟いた。


「実は……乗馬服でなくとも構わないのです」

「なんだって?」

「私が欲しいのは、その……」


 言い淀むウルスラは顔を隠してしまっているし、普段から表情も変わりはしないのだが、髪から覗く耳がじわじわと赤く染まっていくのが見えてベルナールははたと目を見開いた。


「……私は、ベルナール様となにかお揃いのものが欲しいのです……」


 消え入りそうな声でそう続けたウルスラに、つられたようにじわりとベルナールの頬に朱が差す。

 普段は伯爵夫人として威厳すら漂わせているウルスラだが、時々こうして少女のような初々しさを見せるのである。

 そしてベルナールは、妻のふと見せるそんな態度に特に弱かった。


「そ、うか……。それならば、うん、乗馬服と一緒に揃いで何か……そうだな、帽子も仕立てようか」

「そんなによろしいのですか」

「乗馬服と帽子だけでは足りないくらいだ。他にも何か……」

「いえ! いえ、今回はもう結構です」


 ベルナールの言葉を遮ってウルスラは小さく首を振った。


「一度にたくさん頂いてしまっては、来年の楽しみが減ってしまいますもの」

「そうかい?」


 ベルナールは母の誕生祝いの日など山のようにプレゼントを贈られていたのを覚えていたので、妻の言葉は随分と謙虚に聞こえた。

 だが、同時にウルスラらしい言葉だとも思った。

 母には母の、ウルスラにはウルスラの好む祝いの仕方があるのだろう。

 胸の内で一応の納得をしてベルナールは君がそう言うのならと頷く。

 理解を得られて安心したのか、ウルスラは先ほどより穏やかな口調で言った。


「えぇ。その代わり、ベルナール様も布地選びに付き合って下さいましね。その、二人で、納得のいくものを仕立てたく思いますので……」

「布だろうが釦だろうが、何時間だって付き合うさ」

「有難う存じます。ベルナール様が私へのプレゼントをそこまで真剣に考えて下さった事、本当に嬉しゅうございます」


 何を贈ればウルスラが喜ぶのか。

 それを真剣に考え、あれでもないこれでもないと悩みさえしてくれた。

 そのベルナールの気持ちが何より嬉しかったのだと、ウルスラはベルナールが膝に置いていた手を握って続けた。


「ベルナール様が与えて下さる愛情こそ、何よりの贈り物ですわ」

「それは誕生日だけでなく毎日伝えているつもりだが……」

「はい。ですからお祝いの品は多くなくて良いのです。いつもたくさん頂いておりますもの」

「そういうものか」

「えぇ、そういうものでございます」


 愛情は贈り物としてカウントするべきか否か。

 結局この夜その答えは出なかったが、翌日のベルナールは悩みが晴れてここ数日の様子が嘘のように明るく朗らかであった。

 それを見て屋敷の使用人達は一様にホッと胸を撫で下ろしたのだった。



 そして半年後。二人は無事迎えたウルスラの誕生祝いの前日に、二人きりで遠駆けに出ていた。

 勿論纏うのは揃いの乗馬服である。

 色合いもデザインも二人で考えて仕立てたその乗馬服を纏ったウルスラが、馬上で美しく背筋を伸ばして並走するベルナールへと視線を向ける。

 視線に気付いたベルナールがどうしたのかと声を掛ければ、ウルスラは言葉少なに答えた。


「嬉しくて、つい」


 動かない表情と相まって硝子玉のように見えるヘイゼルの瞳。

 その瞳は今、明らかな歓喜と興奮に輝いている。

 他人にはわかりにくいかもしれないが非常に上機嫌で馬を走らせるウルスラに、ベルナールもまた笑みを浮かべ手綱を握り直す。


「そうか。君が嬉しいのなら私も嬉しい」


 来年も、その先もずっと、このような幸せが続けば良いとベルナールは妻の横顔を見ながら思うのだった。

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