第二部エピローグ
ウルスラ・レインバードは、屋敷の庭を一人で歩いていた。
レースの日傘を差しながら歩く昼日中の庭は、日差しを受けてキラキラと緑を輝かせている。
もう少し涼しくなれば秋薔薇の季節になる。庭師達が丹精込めて世話をしている薔薇はきっと美しく咲き誇る事だろう。
次こそ一緒に薔薇を見られるかしらと考えながら、ウルスラは庭の中ほどで立ち止まり、いつもと変わらぬ無表情で屋敷を見上げた。
いつの間にかすっかり場所を覚えてしまって、端から窓の数を数えずとも自然に見つけられる夫の執務室の窓。
換気の為だろうか。その窓に白いレースカーテンが揺れるのが見えた。
「ウルスラ!」
名を呼ばれて振り返れば、夫であるベルナールが駆けて来るところだった。
そんなに慌てずとも良いのにと思ってウルスラはベルナールに向かって数歩進む。
「そのように慌ててどうなさったのですか」
ジッと無表情に顔を上げてウルスラが尋ねれば、ベルナールはパチリと目を瞬かせ、君の姿が見えたからつい、と目を伏せた。
しかしすぐに何かを思い出したようにパッと視線を上げ、手に持っていたものをウルスラに差し出して言った。
「これを君に」
「まぁ。ラベンダーですか。まだ咲いていたのですね」
「庭師が今季はこれが最後だろうと言っていたよ。刈り取り前に一輪頂いてきた」
「さようで」
言いながらベルナールは自然な動作でラベンダーをウルスラの髪に挿す。
どうやら最近のベルナールはウルスラの髪に贈った花を挿すのが気に入りのようで、度々庭師から花を貰って来てはウルスラの髪にそっと挿しては満足そうに笑うのだ。
自分の為に花を選んでくれる事とベルナールのその笑顔が嬉しくて、ウルスラは貰った花を押し花にしたりドライフラワーにしたりして出来るだけ全て保存出来るようにしている。
少し歩こうとベルナールの差し出した腕に自らの手を添えて、二人はゆっくりと庭を歩き始めた。
もう少しすれば王都に戻る前に各領地で行われる催し物に呼ばれる事が多くなるので、二人でゆっくり過ごせるのは実質これが最後だろう。
並んでゆっくりと歩く内にこの夏の日々を思い出し、しみじみとウルスラが呟く。
「今年の夏は大変賑やかでしたね」
「レインバード領での初めての夏だというのに、まるで落ち着く暇が無くて君には申し訳ない事をした」
「いえ、むしろ良かったかもしれません」
「何故だい?」
キョトンと首を傾げるベルナールに、ウルスラは淡々と答えた。
「私はずっと家族と一緒でしたから、王都の屋敷でも二人きりで過ごすのは少し寂しく感じておりました。領地の屋敷は王都のものより広いですが、マリアンヌ達が来てくれたお陰で寂しさを感じる事もありませんでした」
「……それは、その、私が仕事の没頭してたのも君の寂しさの一因だろうか」
最後の夫の問いにウルスラは答えなかった。それが一番の答えだった。
察したベルナールの歩みが僅かに遅くなり、非常に申し訳なさそうな顔をして言う。
「もしも私が同じ事を繰り返したら、その時は……」
ベルナールの言葉を引き継いで、ウルスラが全て承知しているとばかりにこっくりと頷いた。
「えぇ、今度こそお義母様の教えに従い、頬を張ってでも休んで頂きます」
「そうしてくれ」
「……もう少し練習が必要かもしれません」
じっと己の掌を見るウルスラにベルナールは苦笑して、妻の掌を捕まえるとその甲に恭しく口付けを落とした。
「しかし、君の手をそのような事に使う事がないように気を付けると約束するよ」
ちゅ、と音を立てて手に口付けられ、ウルスラがぴしりと固まる。
そして彼女は心を落ち着かせているのか、何度か大きく深呼吸をした。その耳がじわじわと赤く染まっている。
無表情ながら物言いたげなヘイゼルの瞳が真っ直ぐに向けられ、ベルナールは思わず両手を上げてすまないと一歩下がった。
「あ、あぁ、突然だったな。すまな……」
「手にしかして下さらないのですか」
「えっ」
昼日中の、それも庭の真ん中である。
ベルナールは何かの冗談かと思ったが、ウルスラがそのような冗談を言うはずもない。
「……申し訳ありません。はしたない事を申しました」
「待ってくれ! その、良いのか」
確かめるように問えば、耳を真っ赤にしたウルスラは答えの代わりにそっと目を閉じて少し上を向いた。
そうなればベルナールに否やなどある訳もなく、妻の細い身体を抱き寄せてゆっくりと唇を重ねる。
驚いたのは、それを目にする事になった使用人達であった。
客人のいない昼の屋敷というのは掃除や部屋の手入れ、洗濯まで雑務を主にこなすことになる。
それだけに屋敷の色んなところに使用人がいるのだが、夫妻がいたのは中庭で、中庭というのは屋敷の色んな場所から見える場所である。
無表情でいつだって淡々とやるべき事をこなすだけの奥様は、政略結婚で嫁いで来ただけなのだと未だに思っていた一部の使用人がその場面を目にしてどれ程驚いた事か。
二人の様子は仲睦まじい以外の何者でもなく、しかも二人の口付けは一度では終わらないようだった。
その場を目にした者達がその場にいなかった他の使用人達を慌てて呼び寄せ、彼らが次々と窓から夫妻の様子を見ては興奮気味に他の者に告げに行くので屋敷の中は俄かに騒がしくなったが、外にいた二人はそのような事には一切気が付かない。
それはある意味、二人にとっては幸いなのかもしれなかった。
相手への愛しさを唇に乗せた今の二人が感じていたのは互いの体温と呼吸だけだ。
一片の翳りもない明るい中庭を、ほんの少し秋の気配が混じる風が吹き抜ける。
それはまるで社交期が近付いている事を二人に告げているようだった。
これにて第二部完結となります。
第二部も何とか完結まで漕ぎ着ける事が出来ました。
これもここまで読んで下さった皆様、応援して下さった皆様のお陰です。心より感謝申し上げます。
楽しんで頂けましたら幸いです。




