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【連載版】伯爵夫人は笑わない【第二部完結】  作者: 文月黒
第二部

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36.変わるもの、変わらないもの

 あの庭でのピクニックから数日後。


「奥様。お手紙が届いております」


 侍女が銀の盆に何通かの手紙を載せてウルスラに声を掛けた。

 季節柄、夜会の招待は減るが、訪問代わりとなる様子伺いの手紙は増える。

 ウルスラはそれらの手紙を捌き、返信の為にペンを走らせながら侍女にテーブルに置くよう指示をした。


「こちらは……王都のお義母様からね」


 届いた封筒の差出人のサインを確認し手紙の内容を確認するウルスラを見て、侍女はふと違和感に気が付いた。

 それは決して胸がざわつくような悪いものではないのだが、なかなかその違和感の正体を突き止める事が出来ずに侍女はもどかしい気持ちでお茶の準備を始める。

 主人であるウルスラは、いつも通りの何を考えているのかもわからない無表情のまま黙々と仕事をしており、執務室の中にも特に変化はない。いつもと違う髪型をしているだとか、新しい髪飾りを付けているだとか、そういう事もない。


(何か、何かいつもと違うような気がするのだけど、一体何が違うのかしら)


 考え事をしていてもレインバード伯爵夫人の侍女として選ばれた優秀な侍女の手は、完璧な手順でカップやソーサーを並べ、茶葉を蒸らし、芳しい紅茶を淹れた。

 それを執務机の決められた場所に置いたその時、ウルスラがほうと息を吐き、小さな声で良かったと呟くのが聞こえて侍女はふと動きを止める。


「奥様、何か良い報せですか?」

「えぇ。お義母様にマリアンヌの王都での家庭教師について仲介をお願いをしていたのだけど、どうやら上手くいったみたいで……。本当に良かったわ」


 マリアンヌ・アルヴィエにはウルスラ付きであるこの侍女も度々手を焼かされていた。

 ウルスラは全てを侍女に説明する事はなかったが、彼女は概要を聞かされただけでマリアンヌの態度には理由があり、それが少々厄介な事情を孕んでいただろう事を察していた。

 現にその問題が解決の兆しを見せた頃からは、マリアンヌの態度は驚く程軟化している。

 少女が両親と共に王都へ旅立ってからもこうして気に掛けている辺り、主人はあの少女を特別可愛く思っているのだろう。

 こんなに嬉しそうな主人の姿を見られるのなら、侍女としても喜ばしい事だ。

 そして侍女はパチリと目を瞬かせた。


(あら、私、どうして今奥様が嬉しそうだと思ったの?)


 表情は全く変わらない。

 口許が笑んでいるだとか、目を細めているだとか、そういう事も無いというのに、どうして今自分ははっきりと主人が喜んでいると感じたのか。

 ジッとウルスラの顔を見詰めると、視線に気付いたウルスラが小さく首を傾げた。


「どうかしましたか」

「いえ。失礼致しました」

「何もないのなら良いのですが……」


 侍女の言葉にウルスラはまた手紙の確認作業へと戻ったが、手紙の束の中に実家からのものを見付けると、執務机から離れて部屋の中に設置された長椅子へと移動した。

 侍女もそちらにティーカップを移動させ、主人の邪魔にならないようにドア前に立つ。

 ウルスラは生家であるアッシュフィールド家と頻繁に手紙で遣り取りしている。


「あら、可愛らしい事」


 手紙を見ながらウルスラが漏らした言葉に、ついと侍女の視線がウルスラの手の中の手紙に移る。

 ウルスラは侍女の方へ顔を向けると、これを見てと手紙を侍女へ見せた。


「まぁ」


 そこには小さな手形が捺されている。


「前回の手紙になかなか会う事も出来ずに寂しいと書いたから、手形を送ってくれたようです」


 その手形を指先でなぞりながら、ウルスラは吐息混じりに何て小さいのと呟いた。

 手形の主はウルスラの妹が産んだ子供のものだろう。

 侍女からしてみればその辺りの事情もかなり複雑に思えるのだが、本人は気にした様子もなく手紙を矯めつ眇めつして眺めている。

 そしてその様子を見て侍女は確信した。


(今、奥様はとても高揚してらっしゃる。子供の手形が嬉しいのだわ。どうしてだか急に奥様の気持ちがわかるようになったみたい)


 透き通った硝子玉のようなヘイゼルの瞳と、にこりとも笑わない無表情の貴婦人ウルスラ・レインバード。

 彼女は傍目から見れば上等なビスクドールのようである。

 だが、ウルスラは感情まで人形のように動かない訳では無い。


『確かに彼女は表情を動かす事が得手ではないが、感情は実に豊かだよ』


 侍女はウルスラの夫であるベルナール・レインバードが以前に言っていた言葉を思い出して、なるほどと頷いた。

 聞いた当初はそんな事信じられないと思っていたが、こういう事だったのかと納得したのだ。

 この変化のきっかけがウルスラ自身にあるのか、侍女の経験の賜物であったのかはわからない。


 だが、笑わない伯爵夫人に仕える自分の変化を、侍女は心から誇らしく思うのだった。

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