27.帰路にて
帰りの馬車の中は、妙な静けさに満ちていた。
当初の目的通りマリアンヌに対する体罰があった事実を突き止め、それについての事実確認を済ませて対象となる家庭教師達にはそれなりの処分を下した。
事実を知って、予想通り憔悴した様子のアルヴィエ伯爵夫妻ともマリアンヌの今後について話し合い、そして今に至る。
アルヴィエ伯爵邸でやるべき事は全てやったのだから、それなりの達成感があるかと思いきや、今回の件はウルスラにもデルフィーヌにも大きな課題を残していた。
「……教育とは、難しいものよね」
馬車に揺られ、日除けのカーテンの隙間から外の景色を眺めながらぽつりとデルフィーヌが呟く。
ウルスラはその呟きにゆるりと視線を上げ、しばしの沈黙の後、深く頷いた。
「えぇ。体罰はいけませんが、痛みによって学ぶ事があるというのも、また事実です。それにシュタイン先生があれほど従順で貞淑な淑女たれと教育してきた理由も、それなりに理解は出来ます」
「……そうね。私達のいる場所は……社交界ではそういった作法こそが身を守る鎧だもの」
厳しくあり過ぎたギルベルタ・シュタインの教育。
しかしそれは彼女自身がこれまで社交界を生き抜いていく上で、実際に体験した事への対処法だったのではないか。
ウルスラの義母であるアンジェレッタは実に活動的で、社交界を引っ張っていく熱量のある貴婦人であるが、実際のところ社交界においてそのような女性はごく僅かである。
ウルスラの生家であるアッシュフィールド家のように王家から特別な許可を得ていない限り、女性は家督を継ぐ事は出来ず、財産を受け継ぐにしても全体の何割か、路頭に迷わない程度の分与がされるのみ。
貴族社会とは華やかに見えて実際かなり厳しい世界である。
貴族女性は、家の為、そして自らが生きていく為に結婚という選択を迫られる。そこに自由など無い。
その中でいかに自分に価値を付け、生きやすくするか。
それはいかにして社交界の中で居場所を確立するかに繋がる。
そうなると結局ものを言うのは社交界を生き抜けるだけの教養、マナーだ。
教本のお手本のような令嬢であれば最低限の居場所は作れる。
今でこそ、自分の意見をはっきりと口にするアンジェレッタのような貴婦人もいるが、ギルベルタが令嬢として社交界に出ていた頃はどうだったろうか。
きっと貴族令嬢というのは今よりももっと立場が弱く、立ち回りも厳しいものであったのでは無いだろうか。
(……時間を掛けて地位を確立していく内に、何かが歪んでしまったのね)
少女達に身を守る為の術を教えるはずの教育は、いつしかギルベルタ自身の教育者としての地位を上げ、賞賛を集める為のものになってしまった。
もしも彼女が当初の信念を持ち続けていたら、今頃ウルスラは彼女を手本にしていたのかもしれない。
そこまで考えてウルスラは緩く頭を振った。
全て想像の話だ。
今、必要なのはこれからの自分がどう行動していくかという『現実』である。
「──私に子供が出来たら、その子供は何人もの家庭教師を抱える事になるでしょう」
デルフィーヌの唐突な言葉にウルスラはさようでございますねと頷いた。
公爵家の子供となれば、幼少期から様々な事を学ぶはずだ。
それぞれ専門の家庭教師がついて、国内トップクラスの教育を受ける事は確定している。
だが、デルフィーヌはどこか翳りのある表情で続けた。
「私が受けて来たものよりも、ずっと厳しい教育を受ける事になるわ。勿論教師による体罰など許さないけれど、でも、子供のうちからそのような環境にいては、きっと窮屈な思いをさせてしまうでしょうね」
公爵家の子供だから当然の教育であっても、子供からしたら押し付けられるだけの教育になりはしないか。それをデルフィーヌは懸念しているようだった。
「公爵様はどうだったのでしょう?」
「え?」
「公爵様でしたら、公爵家に生まれた子供の気持ちをよくおわかりなのでは?」
ウルスラのその言葉にデルフィーヌは一瞬目を丸くして、次いでそうねと微笑む。
「その点もジュリアン様ともよく話し合わなければね。それに、子供が生まれて教育を受ける年齢になったら子供ともよく話をする事にするわ」
「私も、ベルナール様と話をしてみようと思います」
「でもまずはマリアンヌでしょう」
「えぇ、落ち着いた頃を見計らい、彼女のこれまでの行いについてもきちんと指導する所存です。特に、蛙を屋内に持ち込む事については厳しく言わなければなりません」
その言葉にデルフィーヌはギョッとした。
「お待ちなさい。……蛙ですって?」
「さようでございます。以前にソファのクッションの下に蛙を仕込まれました」
正直に答えると想像したらしいデルフィーヌの喉からヒッと悲鳴が上がった。
けれどウルスラはその悲鳴を気にもせず、ジッと考え込むように目を伏せて淡々と続けた。
「生き物を玩具にするのはいけません。あんな水気の無い場所に連れて来られて蛙も可哀想に」
「……もしかして貴女、蛙が平気なの?」
「はい。実家の近くには水場もありましたので、妹とよく蛙を観察したり、どちらがより大きな蛙を見つけるか競ったものです」
「どんな場所なのよ、アッシュフィールド家は!」
「デルフィーヌ様も以前にご覧になられてますでしょう……?」
「そういう意味ではなくてよ!」
そうして二人が次第にいつもの調子を取り戻し始めた頃、特に指示した訳でもないのに不意に馬車の速度が落ちた。
窓に掛けたカーテンの隙間からさっと外の様子を確認するが、天候が崩れたようでもないし、まだレインバード領に入ったばかりで屋敷までは距離がある。
どうしたのかとウルスラが御者に尋ねる前に、馬車の外から馬の蹄の音と共に聞き慣れた声がした。
その声に、ウルスラは反射的にカーテンを跳ね上げて窓の外を見る。
「やぁ、ウルスラ」
「旦那様……?」
そこにいたのは、きっちりと乗馬服を身に付け、馬上から帽子に手を掛けて馬車内の二人に挨拶をするベルナールであった。
彼は馬車に並走(と言ってもかなりスピードは落としていたが)しながら、天気の話でもするような気安さで言った。
「家令達の勧めで遠駆けに出たのだが、ちょうど帰りの時間と合ったようだ」
その言葉の白々しさに馬車の中でデルフィーヌがふんと鼻で笑う。
一方ウルスラは突然の夫の登場にひどく驚いて、いつもの聡明さを何処かに置いてきてしまったようだった。
デルフィーヌとベルナールとを何度も見て、そしてデルフィーヌに向かって深く頭を下げたのだ。
「申し訳ありません」
何の謝罪だとデルフィーヌが問う前に、ウルスラは小窓を開けてベルナールにそちらに移っても良いかと尋ねていた。
ベルナールはぱちりと目を瞬かせたが、すぐに破顔して首肯を返す。
「公爵夫人。今晩は当家にご滞在頂けますでしょうか。私は先に屋敷に戻り、支度を調えてお待ちしております」
「えぇ、えぇ、そうして頂戴」
馬車から馬上に移り、慣れた様子でベルナールの前に横乗りになったウルスラは、至極真面目にそう尋ね、そしてデルフィーヌにさっさと行けと扇子で示されてしまった。
それを合図にベルナールが手綱を捌いて妻の代わりに言った。
「ではティトルーズ公爵夫人、後程屋敷にて改めてお出迎えさせて頂きます」
「まぁ。レインバード伯爵直々に出迎えて頂けるなんて恐縮ですわ」
「こちらこそ、公爵夫人をお迎え出来るとは身に余る光栄です。どうぞゆるりとおいで下さい」
「そうさせて頂きますわ。お待たせしてしまったら御免なさいね」
二人のそんなやりとりは何となく端々に小さな棘を感じるものであったが、ウルスラはいまだに少し混乱したままだったので、帰りの馬車では邪魔になるだけだからとバッスルを仕込んだドレスでなかった事に心から感謝し、馬を出す際、失礼にならないようにデルフィーヌに向かって軽く頭を下げる事くらいしか出来なかったのだった。




