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騎士団長の執務室は、部屋の主の性格をそのまま表しているかのようだった。
二つ並んだ書棚の中身はきれいに整理されていて、ラベルやタグの位置まで揃っている。向かいの壁には歴代の王の肖像画が飾られているが、それらすべてが見事なまでに等間隔で並んでいた。
重厚な執務机の上には、ペン立てとインクの瓶しか載っていない。書類はすべて引き出しにしまってあるのだろう。
足元のカーペットにはシミ一つないし、窓ガラスもピカピカだ。窓枠を指でなぞったとしても、埃一つ付かないのではないだろうか。
さりげなく、だがしっかり室内を観察していたセレスティーヌの前に、先ほどの若い騎士がたどたどしい手付きでカップを置く。
「自分はこれで失礼します」
名残惜しそうにセレスティーヌを見つめた後、敬礼をして騎士は部屋を出て行った。
扉が閉まるのを確認し、セレスティーヌがお茶を一口飲むのを待って、騎士団長が口を開く。
「それで、殿下。お話とは何でしょうか」
騎士団長が正面からセレスティーヌを見た。それをセレスティーヌが見つめ返す。
だが、セレスティーヌはその目を見続けることができなかった。
騎士団長は、微笑んでいた。
その微笑みは、セレスティーヌがあの言葉を掛けてからずっと変わらなかった。
騎士団長。あなた、トイレは大丈夫かしら?
それを聞いた時、騎士団長は目をまん丸くした後、ふいに相好を崩して言った。
「お心遣いありがとうございます。では、トイレと、着替えを済ませてからお話を伺わせていただきます」
その後、若い騎士に執務室へと案内され、少し遅れて騎士団長が入ってきて今に至っている。
落ち着いてゆっくり話がしたい。
それを伝えたかっただけなのに、あんな表現になってしまった。
覚えていなさい、アルフォンス!
逆恨みもいいところだが、アルフォンスのせいにすることで気持ちを落ち着かせたセレスティーヌは、持ち前の強気で騎士団長に視線を向ける。
「これからする話は、他言無用でお願いしたいのです」
そう切り出して、セレスティーヌは話し始めた。
お忍びの時に出会った男から、思いも寄らぬ話を聞いたこと。それが事実であるかを確かめるために、第三王子のモーリスに協力を求めたこと。御前会議で調査結果を伝えたが、対応が保留になってしまったこと。モーリスとセレスティーヌが遠征に行くことが決まったこと。それを男に相談した結果、騎士団長に協力を求めるべきだと言われたこと。
ここ数日悩んだものの、騎士団長を説得できる方法は分からなかった。だから、セレスティーヌはアンナの言葉に従った。
騎士団長は、とても真っ直ぐなお方です。セレスティーヌ様が真っ直ぐにお話をすれば、きっとうまくいきますよ
自分の恥をさらすことになってでも、包み隠さずすべてを話す。
そして、誠心誠意お願いをする。
セレスティーヌは、騎士団長を真っ直ぐに見て話し続けた。
話が進むにつれ、にこやかだった騎士団長の顔が次第に険しくなっていく。話が終わる頃には、眉間にしわを寄せて、睨むようにセレスティーヌを見ていた。
「わたくしの話に嘘偽りがないことは、我が名に懸けて誓います」
セレスティーヌが騎士団長を見つめる。
「騎士団長。どうか、わたくしに力を貸してはいただけないでしょうか」
セレスティーヌは、騎士団長に真正面からぶつかっていった。
騎士団長は、すぐに答えなかった。
姿勢を正し、視線を落として考え込む。
国防大臣が統括する国軍と違って、騎士団は国王の直轄部隊だ。その力は王と王族のために振るわれ、王族以外の命令に従うことはない。
よって、セレスティーヌからの依頼は命令と同義だ。普通なら迷う理由などなかった。
しかし、さすがに今回はそうはいかない。セレスティーヌが宿営地を離れるのを見逃すということは、騎士団としての責務を放棄することにもなりかねないからだ。もしセレスティーヌの身に何かあれば、騎士団長の首が飛ぶどころの話ではない。
かなり長い時間騎士団長は黙っていた。
その間、セレスティーヌも唇を結んで黙っていた。
本当は黙っていることが不安で仕方なかったのだが、アルフォンスから、トイレの話と合わせてもう一つ言われたことがあったのだ。
「騎士団長が考えている間は口を挟むな。それと、何か聞かれたら、くどくど話さず簡潔に答えること」
アルフォンスのアドバイスを胸の内で繰り返しながら、セレスティーヌは騎士団長が口を開くのをじっと待った。
やがて。
「殿下は、なぜそのアルフォンスという男を信用なさるのでしょうか」
騎士団長がようやく口を開いた。
「己の素性も語らず、殿下に敬意を示すこともない。そもそもこの国の民でもない。そんな男を信用する理由をお聞かせ願いたい」
騎士団長の顔は真剣だ。強い視線がセレスティーヌを見据えている。
それを真正面から受け止めて、セレスティーヌが答えた。
「確かにあの男の無礼は目に余るものがあります。何のために我が国に肩入れするのかも分かりませんし、普通なら相手にすらしないでしょう。ですが」
そう言うと、セレスティーヌが悔しそうに顔を歪めた。
「あの男の言うことが、いちいち腑に落ちてしまうのです」
騎士団長が目を見開く。
「何度考えても、何日考え続けても反論の余地がありませんでした。あの男の言葉に従うことがこの国を救うことになると、そう結論を出さざるを得なかったのです」
セレスティーヌが拳を握る。
「媚びず、恐れず、真っ直ぐに真実のみを述べている。わたくしはそう感じました。それが、あの男を信用する理由です」
予想外の答えを聞いて、騎士団長はまた黙った。
セレスティーヌも口を閉ざした。
重苦しい時間が流れていく。
セレスティーヌがそれに耐え続ける。
長い沈黙の後。
「失礼ながら申し上げます」
そう言うと、騎士団長が立ち上がった。
そのままセレスティーヌの真横にくると、静かに膝を折る。
「これまでの殿下は、敵を作るばかりで、味方が非常に少ないお方でした」
「なっ!」
今度はセレスティーヌが目を丸くした。
「ですが、今の殿下は違います」
騎士団長が微笑んだ。
「未熟な部下に気を遣って下さる。私のトイレの心配をして下さる」
「あれは、その」
セレスティーヌの頬が見事に染まった。
そんなセレスティーヌを、騎士団長が優しく見つめる。
「最近、王宮内で殿下のお名前を聞く機会が増えました」
「そ、そうなのですか?」
「はい。”殿下はお変わりになった”と、皆が申しております」
「それは、よい意味で、と捉えてよいのでしょうか」
「もちろんでございます」
騎士団長が大きく頷く。
「殿下に変化をもたらしたのは、間違いなく、そのアルフォンスという男なのでしょう。私は、その男に嫉妬を感じると同時に、己の未熟さを恥じ入っております」
「未熟を、恥じ入る?」
首を傾げてセレスティーヌが聞いた。
それに答えることなく、優しい瞳でセレスティーヌを見つめながら、騎士団長が言った。
「殿下のお話のすべてを納得いたしました。命を懸けて、殿下をお助けするとお誓い申し上げます」
騎士団長が深く頭を垂れた。
セレスティーヌが驚きながらそれを見つめた。
己を恥じているという意味はよく分からなかったが、どうやら騎士団長を仲間に引き入れることには成功したようだ。
「騎士団長、顔を上げて下さい」
第二王女の顔に戻ってセレスティーヌが言う。
「あなたが命を懸けるのは、わたくしのためではなく、この国のためであるべきです。どうかそれを忘れないで下さい」
顔を上げた騎士団長が、嬉しそうに言った。
「かしこまりました。この国のために、我が命を捧げましょう」
世間知らずの我が儘姫に、また一人仲間が加わった。
これ以降、セレスティーヌはやたらと相手のトイレを気にするようになったのだが、それが後の歴史で語られることはなかった。
第二章 了




