vs悪どい金貸し・5
エンゾを無視する少年のような少女のような人物を信じて良いのか分からないけれど、逃げるように言ったのにエンゾをキッと睨むマリと眠そうな目を擦りながらも擦り傷一つも無く母である自分に会えた喜びを浮かべる愛しい娘が信頼の目でその人物を見ているから、信じようと少女の母は決めた。
エンゾのことなどまるで初めから存在していないかのように無視をしているその人物に強く頷く。
瞬間、自分の喉元に突き付けられたナイフの刃で皮膚が切れたのか小さな鋭い痛みが首元に走って顔を歪めてしまった。
その、痛みを堪えた直後に自分の真横にいたはずのエンゾの気配が消える。
えっ……と思う間もなく全身を拘束していたエンゾの身体から逃れ、かと思えば手首を引っ張られて身体を引き寄せられた後には背中からトン、と押されて気づいたら娘とマリの前に立っていた。
「えっ」
状況が読めなくて慌てて周囲を見回し、後ろを振り向く。信じようと思った少女……先程身体を引き寄せられてその柔らかな身体つきに少女だと分かった……その少女の背中が視界に入り、その向こうにはこの部屋に備え付けられているアンティークの本棚に背中から倒れ込むエンゾが見えた。
そういえば、何が何だか分からない間に大きな物音も聞こえたような気がしたけれど、大きな物音など、この屋敷内にいると日常のことだから気に止めていなかったが。もしやエンゾが倒れ込んだ音だったのだろうか。
そしてエンゾという男の妻に無理やりさせられてから初めて、エンゾが倒れ込む姿を見た、と人質に取られていた二番目の妻は思った。その衝撃的な場面を見て変に冷静さを取り戻した彼女は、娘とマリの無事を確認してからとても綺麗な顔立ちをした美少女に促されて状況を見守ることにした。
そこでエンゾがやっと立ち上がった。
「貴様っ、この私を倒すとはっ。この私を誰だと」
エンゾが威張りきってそのようなことを言っている間にも少女は軽く手を上げ……そのまま剣の切先をエンゾに突き付けた。二番目の妻である女は望んでも無かったが、エンゾのような男の妻になってしまったことで知らなくていいことも知ることになっていた。
その中で、武器を持つ人間が自分の身体の一部のように武器を操るのは、それだけその武器が身体に馴染んでいなくては出来ない動作だということも知った。
武器を扱い慣れていない者は取り出すのも一苦労だし、上手く取り出せても手にする動作に余計な力が入ったり余計な動作を行ったり、ということをやらかす。自分の手や足を動かす延長のように武器を扱うのは、それだけその武器を使用していないと難しい、と知りたくもないのに知っていた。
ーーちょうど目の前に居る少女のように。
少女の動きは完全に剣を自分の手を動かすように何の無駄もない動きで。ちょっとエンゾと一緒に暮らしていた二番目の妻でさえ気づいたのだから、エンゾに分からないはずがない。
「……おまえ、何者だ」
先程までの威張り切った態度も居丈高な振る舞いも他者を怯えさせる怒鳴り声も全てが鳴りを潜めていた。エンゾという男は後ろ暗いことも沢山やって来たし、暴言と暴力で他者を屈服させ、自らも生死の境を潜って来たからこそ、少女の剣を扱う無駄のない動作に、只者じゃないことに気づき、そして、あまりにも長い間経験していなかったから忘れていた恐怖を思い出していた。
それが声にも表情にも態度にも、現れている。
少女は飄々とした声で応えた。
「ただの駆け出しの冒険者さ」
ーー無理やりエンゾの妻にされてからずっと、二番目の妻とエンゾの気持ちも心も重なったことなど無かったが、奇しくも、もう別れる瀬戸際である今になって、気持ちが重なった。
……駆け出しの冒険者、なんて嘘だろう、と。
続く気持ちはまた別ではあるが。
二番目の妻の方は、駆け出しなんかじゃなくて有名な冒険者だけど隠しているのね、というもので。
エンゾの方は、この殺気で駆け出しなんてあるわけがない。名の知れた殺し屋だろう、というもの。
どちらの気持ちも、駆け出しではない、と思っているが、ミッツェルカもラティーナも二人の心が読めていたなら口を揃えて言っただろう。
「「駆け出しの冒険者ということに嘘偽りなんてない、真実だ」」と。
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