隣国・トルケッタ公国公都リノーヴ・8
怪しい男性の正体に、ミッツェが切り込みます。
バテスまでの道のりは、どれくらいなのか。取り敢えず日暮れになっても辿り着かなかった事は確かで。お兄ちゃんがテキパキと野営の準備に入った。
「お兄さん、野営の見張りくらいやれる?」
私が問えば、男は頷いた。名前は互いに名乗ってない。男が名乗ろうとしたから「お互い気紛れ旅だし、まぁ良いじゃん。次に会ったら名乗る方が面白そうじゃないか」と私が遮った。
次も会えると良いね、という前向き発言にも聞こえれば、今回だけでもう二度と会わない相手だから名乗る必要も無い、とも聞こえる。男がどう捉えようと、私は構わない。
ラティとお兄ちゃんと3人で自由に生きたい。ただそれだけ。
男はそれを聞いて名乗る事をやめた。聡い人だ。だからお兄ちゃんとラティにも名乗らせなかった。名前を呼ばずに会話をするだけ。
「見張りくらいなら大丈夫」
「じゃあさ。私とお兄ちゃんとお兄さんで交代で良いかな。お兄ちゃんはご飯を作るから朝食作りも兼ねて最後の見張り。僕が最初でお兄さんが次で良い?」
怪我をしている男に、1番大変な時間帯を敢えて割り振る。さて、男はなんて言うだろうか。
「分かった」
一切何も言わずに了承、ねぇ。
怪我人だから最初にしてくれ、とか。
せめて見張りを私と2人でやりたい、とか。
1番大変な時間帯、とか。
世話になっているし、これくらいで悪いけど、とか。
そう言った気持ちが分かるような言葉一つ言わないで、了承……。
私が男の表情を窺っていれば、男は私の視線に気付いたように笑った。……成る程。これは私が考える以上に厄介な相手、らしい。面倒くさいなぁ。でもまぁ相手の意図に乗ってやるか。
なぁんにも無いような素振りで夕飯を終え、ラティとお兄ちゃんが眠った気配を感じた頃の事。
「そこに居ないで、こっち来ればいいよ」
「さすがですね」
「何が?」
「気付いていた事、ですよ」
そう言いながら男は焚き火の前に座る私が見えるように、向こう側に座る。……やっぱり足の傷、大した事ないじゃん。
「気付いていた……というより、僕に気づかせたかった。違う?」
「そこまで気付きましたか」
「そりゃね。最初に違和感を覚えたのは、傷だ。擦り傷って言うのに、どう見ても切り傷だった。更に僕が塗り薬を与えた時に、戸惑っていた事。それを慌てて消し去って神妙な顔して受け取った事」
「あからさまでしたか」
「そりゃね。あれはまるで、僕が警戒もせずに薬を与えた事に驚いていたフリをしていた。僕が警戒しなかった事に驚いていたフリ。随分と回りくどい表情だ。逆に言えば、僕を知っている、と言っているようなもの」
そこで私は男を真っ直ぐに見据えた。だが、男は口元で笑っているだけ。……まだ話す気が起きないか。
「更に立てない、と言った癖に、腕を持ち上げたら足の痛みなど無いように、スッと立ち上がった。大した事ないんだろう? そして歩いている時も傷の痛みが無さそうに、わりとスタスタ歩いていた。野営の見張りだって、1番大変な時間帯を押し付けたのに、文句も言わない、不安も言わない、怪我すら持ち出さない。そして今。僕が気付いた事を褒めた。……わざとらしく。お前は誰だ?」
私が最後に目を眇めたが、男は口元に淡く笑みを浮かべたまま。……ここまで言っても喋らないか。
「気付いている事があるのでしょう?」
おまけに揶揄ってきたし。
「はぁ……。見当を付けたのは、先ず王家の影。……所謂表に出て来ない諜報員兼暗殺者兼護衛。でも、これは違う、と直ぐに分かった。ラティに付けていた王家の影は、国王陛下が外したはずだ。バカが婚約破棄をしたからな。国王陛下は認めたくなかったが、騒動を収めるために、婚約破棄を公表したはずだ。その時点でラティに付けていた王家の影は下がらせた」
「そうですね」
おや、正解だと認めてくれるのか。
「次に公爵家の影。これも有り得ない。何故ならラティの影は、ラティを主人と認めたからだ。だから雇い主が公爵であっても、主人であるラティがついて来ないで欲しい、と言えば従う」
「それも正解です。他には?」
「伯爵家……つまり兄上の影。これもラティの影と同様の理由で有り得ない。……だからもう一度聞こう。お前は誰だ」
私の声音が少し低くなった。男は何故か嬉しそうに笑った。……なんだ?
「そこまで考えていて、何故、その先を考えないのでしょう?」
「その先?」
「やれやれ。まぁ元々はあなたを殺す側でしたからね」
その言葉を聞いた時、私は傍らに有った剣を鞘から抜いた。男はただ面白そうに笑っているだけ。……解っている。強いのだ。だけどここで私は死ぬわけにいかない。
「成る程? 暗殺者か」
「ふふ。その目。どれだけの暗殺者が送り込まれても、絶対に生きようとする意思を宿したその目ーー。その目を見た時から、私はあなたに仕える事にしました。だから“お嬢様”の側に居させて下さい」
私はいつになく、表情を揺らしているだろう自分に気付いていた。




