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宝物になる日  作者: momo
小話
96/96

カフェのマスターは見た!


 美しいエルフの青年が初めてやって来た日。カフェのマスターはその日を鮮明に覚えている。


 彼が店を開いてふた月。夢と希望を胸に開いた店は閑古鳥が鳴いていた。

 若くして茶師の資格を取り、選りすぐりの茶葉を選別してとにかく素材にこだわった。この味を庶民にも知ってもらいたいと開店したカフェは、様々なハーブを使った焼き菓子も自慢だ。

 こだわりにこだわった甲斐あって、妥協することなく満足できるお茶を提供できるようになった。価格も生活できるぎりぎりの設定にして、皆に愛されるカフェを目指したのだが……それでも庶民が手を出すには価格設定が高いのが災いしてしまったようだ。

 開店当時は客足もあって自慢のお茶も好評だったものの、リピートする客はごくわずか。やはり素材や味よりも価格なのだと実感していたそんなある日。そのエルフはやって来た。


「あれ、お客さんが誰もいないね。精霊が溢れるくらいに喜んでいるのに不思議だね」


 伴った女性にそんなことを言いながら、キラキラと眩い光を発する青年が彼に視線を向ける。銀色の長く豊かな髪が揺れると竪琴が奏でられ、瑠璃色の瞳に射抜かれた途端、ズキュンと効果音がなった気がした。


「ご主人、ここはカフェで間違いない? お邪魔してもいいのかな?」


 美しすぎるエルフの青年に声をかけられて、声を失ったマスターは目と鼻と口を開いたままこくこくと何度も頷く。

 この日のマスターは自分が何をしたのか覚えていないが、彼が去ったあとの茶器やカップや皿を見て、なんとかプロとしての仕事だけは全うできたのだと知ることができた。


 エルフという存在がいることは知られているが、実際に目にした人間はほとんどいない。マスターも出会えるなんて想像すらしていなかった。

 あまりの神々しさにあれは夢なのだと思うことにした翌日から、「ここにエルフの男性が来たって聞いて」と客が押し寄せるようになった。開店以降閑古鳥が鳴いたカフェには若い女性が押し掛けて、やがてお茶や出される焼き菓子が評判となり、カフェは老若男女問わずの人気店になる。

 

 それから一年後。開店と同時に再びあのエルフがカフェを訪れた。


「あれ、今日は満席か。キアラ、どうしようか?」


 客席からは悲鳴が上がり、失神する若い女性も出る始末。そんな中、マスターはエルフの青年に駆け寄って「お席を用意しますので少しだけお待ちください!」と告げると、テラス席に予備のテーブルと椅子をセッティングした。

 あの日、初めて来てくれた日。エルフが「精霊が喜んでいる」と言った言葉をマスターは覚えていた。店が大盛況して夢が叶うきっかけをくれたのはエルフだ。マスターはエルフについて学んだ。

 エルフは人と時の流れが異なる。マスターは自分が生きているうちに再び来店してくれる可能性が低いことを知りながらも、その日が来た時のために特注のテーブルと椅子を準備して待っていた。


「ありがとうご主人。妻がここのお茶とクッキーをとても気に入っていてね。えっと、前にいただいたのは確か……なんだっけ?」


 妻と呼ぶ女性の腰に長い手を絡みつけているエルフの青年は、それはそれは幸せそうに慈しみ深い瑠璃色の瞳で妻を見下ろした。彼女が「なんだったかな。メニューの上の方にあったようなきがするんだけど……」と呟く。


「もちろん覚えております。前回おいでいただいた時と同じものをお出しいたします!」

「うん、頼むよ」


 笑顔を向けられたマスターは殺されかけたが、経を唱えてなんとか生き延びる。

 その間にエルフは対面に置かれた椅子を移動させ、二つの椅子をくっつけて着席すると、「よかったねー」と言いながら頬杖をついて妻の顔を覗き込んでいた。いや、見つめていた。

 マスターがお茶とクッキーの準備をしている間に若い女性が二人に……いや、エルフの青年に声をかけていたが、「ごめんねー。僕、妻以外に興味ないから。妻との時間を邪魔しないで。話しかけないでくれる?」と笑顔で攻撃しているのが垣間見れた。

 後にそのお茶とクッキーは客たちの間でエルフセットと呼ばれ、カップルが注文する定番となる。


 それから毎年、エルフの青年は妻を伴いやって来るようになった。

 マスターも年を重ねるにつれて彼の美貌に慣れる……死にそうになることはなくなった。そして店が繁盛するきっかけとなり、恩人ともいえる彼のことを考えるようになった。


 彼はエルフ。その美貌はすさまじく凶器にもなり得るものだった。対して彼が伴う妻は人間。マスターと同じように年を重ねていく。

 それでもエルフの青年が妻を見る瞳に変わりはない。彼は妻をとても愛しているようだった。いや、年々その愛が増して溢れているのを感じる。


 そんな彼と妻の生きる時を思うとマスターは胸が痛んだ。

 どんなに頑張ってもエルフと人の時の流れは変わらない。千年以上生きるエルフとせいぜい百年の人間。彼にとって妻と過ごせる時間はとても短く、だからこそ大切なものなのだろう。


 自分だったらと考えると涙があふれる。なのにあのエルフの青年から憂いは全く感じられない。

 心から妻を愛して、妻だけを見ている。ほんの少しも離れたがらず、人目をはばからず膝に抱えようとして叱られても嬉しそうににこにこしているのだ。


 誰の目から見ても彼が妻を愛しているのは理解できた。けれどそんなある日、一人の若い女性が二人の前に立ちはだかる。

 それは二人がカフェを訪れるようになって十五年目の出来事だった。


「好きです。五年前にあなたを見かけてからずっと好きでした。わたしと付き合ってください!」


 二十歳そこそこの可愛らしい女の子。彼女が告白して交際を申し込んだが、エルフの青年はいつものように「ごめんね。僕は妻以外に興味がないんだ」と、年齢を重ねた妻の目尻に唇を押し当てた。


 ここまではよくあることだった。

 二人は一年に一度だけ来店するが、ほぼ毎年繰り返される光景でもある。


 しかしこの女の子は他の娘とは少し違った。

 彼女は町の有力者の娘で、見た目も愛らしく自信に溢れていた。五年前からカフェを訪れるようになり、エルフの青年についての情報収集に余念がない。

 そう、彼女はエルフの青年に妻がいることを知っている。彼が妻をどれほど愛おしく想っているのかを知っているはずである。なのにまったく理解していなかったようで、「妻って、本気で言ってるの?」と、彼がべったりとひっついている女性をきつく睨みつけたのである。


「どうしてそんなおばさんのご機嫌とってるの? わたしのほうが若くて綺麗だわ。何か理由があって囲われているのならわたしがなんとかするわ。ねぇおばさん、いい年して若い男を侍らせて恥ずかしくないの、彼を開放して!」


 途端、辺り一帯が凍り付いた。比喩ではなく物理的に。

 春のうららかな昼下がり。見渡す限りの建物が霜でも被ったかに凍って一気に寒さが押し寄せる。彼が魔法を放ったのか、反射的にそうなったのか。救いなのは人だけは凍らなかったことだろう。


「は? なに言ってるの?」


 エルフの青年は妻の両耳を塞いで、鋭く冷たい、まさに凍てつく視線を女の子に向けていた。


「僕がどんな思いで妻を手に入れたかなんて知りもしないくせしてさ。え? なに? 若くて綺麗だって? どこが? 僕は僕以外で妻よりも美しい人に出会ったことがないよ。そしてこれほど醜い女性に出会ったのは君で二人目だ。なんて醜悪なんだろうね。臭いよ、君からは悪臭がする。どっか行って。はやく消えて」


 普段は陽気に笑っているエルフの青年。その青年から発せられた地を這うような冷たい、そして心から女の子を軽蔑する声。美しすぎるエルフの怒りは周囲の人々さえ震え上がらせた。


 醜悪だと言われた女の子はショックで動けないようで、近くにいた友人が引っ張ってどこかに連れて行かれる。

 その姿が見えなくなるとエルフの青年は深く息を吐き出してから、塞いでいた妻の耳から手を離し、しゅんとして「嫌な気持ちにさせてごめんね」と謝罪していた。


「セオドリクさんが悪いんじゃないわ。それにおばさんは本当のことだし気にしてない。この年になって若作りしてもね」

「僕にとっては誰よりも美しい愛する人なんだよ?」

「わたしもよ。あなただけが大好きで愛しているわ」

「キアラ!」


 感激したエルフの青年が笑った途端、凍っていた世界に花が咲き乱れ、鳥がさえずり、二重の虹が青い空にかかった。


 マスターはそんな二人のもとへ向かい、「お騒がせしたお詫びです」と、新作の紅茶ケーキを置く。

 話しかける時は彼女にではなく夫であるエルフに。そうしないと機嫌が悪くなる時があるとマスターは知っていた。


「奥様好みの甘さ控えめでございます」

「うわぁ、ありがとう。見てキアラ、とっても可愛いね!」


 どうか二人の時が一日でも長く続きますように。そう願わずにはいられない。

 マスターはこの先も二人を迎える日を待ちわびて一年を過ごし続ける。歳を重ねて体の動きが悪くなり、子供に店を譲った後も、その一年が近づくと店に出て彼らの訪れを待った。

 

 そうして何十年も過ごした後、きっと今年が最後だろうとマスターが店の傍らで日向ぼっこをしていると、待ちわびたエルフと人間の夫婦が姿を現す。

 マスターもだが、美しいエルフが腰を抱く傍らの妻も、マスターと同じく歳を重ねていた。


「いらっしゃいませ。今日のお二人もお似合いでございますね」


 座ったまま挨拶をしたマスターに「ありがとう。あなたに会えて嬉しいよ」と、エルフの青年が優しい笑顔を向けてくれる。彼の艷やかで瑞々しい手が、マスターの染みと皺だらけになった手を包んで。


「僕はあなたの入れてくれるお茶と、作ってくれたお菓子に嫉妬していたけど。妻があなたのカフェが大好きだと言うから、嫉妬してはいたけれど、とても感謝しているよ」


 エルフの青年が笑うと、マスターの周囲にふわっと柔らかな風がおきて、重かった体が途端に軽くなった。


「では、いつものお茶とお菓子をお持ちいたします」


 立ち上がったマスターの腰はすっかり曲がっていたけれど、いつもはきしんで動きの悪い膝からなぜか痛みがなくなって楽に動かせた。

 年に一度の大切なお客様を今年も迎えることができた幸福が嬉しくて。杖も忘れて二人を席へと案内する。


 そんな幸せな午後を過ごしたカフェのマスターは、エルフの夫妻がこれからも幸せでありますようにと願う。そしてその数日後、生を終えて安らかに虹の橋を渡る日を迎えた。




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