エルフの誠意
侍従からの知らせに、カイザーは一度立ち上がったものの静かに腰をおろす。すると黙って見守っていたアデリナが口を開いた。
「遠慮なさらずお行きになればよろしいのに。わたくしは構いませんわよ?」
嫌味のない言葉であることは声色で理解できる。しかしカイザーは妻の気遣いにゆるく首を振った。
「エルフと現れたならそういうことだ。彼女が幸せであるならそれでいい」
「人はいつ最後になるかも知れませんのに?」
永遠の別れは心構えもなく突然やって来るのだ。経験者として進言されたが、カイザーはアデリナの心遣いに感謝しながらも、己が誰であるのかを理由に決着をつける。
「必要なら顔を合わせることになるだろう」
「わたくしが逆の立場なら遠慮なく行かせていただきますのに。難儀な方ね」
アデリナとの間には国を揺るがしかねない大きな問題があったが、幸運にも夫婦関係は上手く行っている。互いに想う相手がいて結ばれなかったことも影響しているのだろう。そしてまた、想う相手を遠慮なく心に住まわすことが許されることも。
アデリナとカイザー、互いに秘めた想いと利害の一致は、愛という不確かなものではなく、確実な絆で結ばれつつあった。
そこに絡むのはセオドリクと、カイザーが心から愛した……今も心に住まい続けるキアラの二人だ。
アデリナの想う男は愛の代償に命を落としたが、キアラは幸せを掴んで生きていく。己の慈しむ人は生きているのだ。
カイザーがアデリナに対して申し訳なさを感じつつ席を離れると、窓辺に立ち、かの人がいるであろう方へと視線を向けた。
会うのは良くないし、会う理由もない。カイザーはヴァルヴェギアの王子として生まれた者としての役目を果たすことを選び、そしてまたキアラも納得して幸せになる道を選んでくれた。
このままが一番だと納得しているが、不意の知らせに心を揺らされる。
幸せになっている姿を垣間見たいと願うも、そこに生まれるかもしれない嫉妬に思い出を汚したくない気持ちもある。
小さな葛藤を胸に抱き先を見つめるカイザーの背後で空気が揺れ、アデリナが息を呑む音がした。
一つ息を吐いて振り返ると、予想通り美しいエルフが佇んでいる。
振り返り、無言で視線を合わせると、エルフは反転してアデリナに頭を下げた。
アデリナに大きな緊張が走る。なにしろアデリナはエルフが大切にする人を傷つけた張本人だ。同時にカイザーもそう。
人の領域を超えた力を持つエルフが頭を下げ、冷やりとした緊張が走ったと感じたが、それはカイザーとアデリナ、二人だけのことだったようだ。
頭を下げたエルフは口角を上げると、次はカイザーに向かって頭を下げた。
「僕は悪いことをしたけど、お互い様だと思ってる。だけどキアラが気にしていたので謝罪するよ。偽装とはいえ女性の尊厳を傷つけることをして悪かったね。王太子、僕はあなたの妻と不貞などしていないと種族にかけて誓うよ。お詫びに一度だけ、どうしても必要なことがあれば手伝うと約束する」
それだけだ。
一方的に言いたいことだけを言葉にしたエルフは、瞬く間に姿を消してキラキラとした輝きだけを空間に残した。やがてその煌めきも治まり二人して息を吐くと、座っていたアデリナが腰を上げてカイザーの横に立つ。
「エルフは偽りを述べないと聞きます。一度だけとはいえお手伝いいただけるなんて。魔力なしを失ったにしても、良き力を手に入れたと喜んでいいのではありませんか?」
「アデリナ、あなたという人は……」
「だってわたくしたちは王族ですもの。カイザー、あなたは国の利益のためにわたくしと未来を歩むことにした。ヴァルヴェギアのために、エルフの力は大変心強いことです」
「確かにあなたの言う通りだ。しかし彼の言葉は挑戦だと思うよ。彼女が生きた国を守れと言われたような気がした」
「女よりも男の方が夢見がちなのかしら」
口元に手を当て上品に笑ったアデリナは日常に戻れとばかりにもといた椅子に腰を下ろす。カイザーも後に続いたが、その前にもう一度だけ、彼女がいるであろう彼方に視線を向けた。




