兄と妹
ラシードとロルフが視線を背ける一方で、キアラの隣では美貌のエルフが輝く笑顔を湛えて、どことなく満足そうな表情だ。それならもういいだろうと思ったキアラは佇まいを直し、「ラシード様、ロルフ様」と正面で固まっている二人に声をかけて立ち上がり頭を下げた。
「わたしの我儘でお二人だけでなく、多くの方々に多大なご迷惑をおかけいたしました。心よりお詫び申し上げます」
セオドリクが嫌ならここには戻って来なかったが、こうして顔を合わせたからには身勝手な行動を詫びる必要がある。キアラが知らない所で多くの問題が起きただろう。幼い頃から国の所有物として生きていた習性といえばそれまでだが、悪いのは魔力なしの自分だと本能的な部分で思うことがある。
「あの日、わたしが何もかも放り出してキナーシュさん……セオドリクさんのお父様に付いて行った日、あの場にはカラガンダからの客人がいたのではありませんか?」
キアラの問いかけで現実に戻ったラシードが「ああ、あの日か」と呟いて面白そうに口角を上げた。
「黙れと来たな。煩い、黙れと。なかなかの暴言だった」
「ご無礼を致しました」
慌てて深く腰を曲げたキアラに「頭を下げるな、謝罪は必要ない」とラシードが機嫌よく制止をかける。
「責めているのではなく、面白かったと言いたいのだ。お陰でご使者にはカラガンダに帰ってもらう理由を見せつけることができた。まぁ確かに驚きはしたが、女性からの罵声など初めてで新鮮だった。何度も言ったと思うが、戦場で命を預けた相手から過剰な礼を取られるのは好きではないから頭を上げろ」
「ですがここは正式な場です」
「違うぞ。個人的な報告をしに戻って来たのだろう。私はお前を預かる責任者ではあるが、個人的なことにおいては別だ。ロルフが喜ぶような報告があって来たのだろう。私は単なる見届け人だ。そういう訳だからロルフ、お前も遠慮はいらないぞ」
「ありがとうございます」
礼儀はいらないと促されたロルフは、ラシードの後ろからキアラのすぐ前に移動するとしゃがんで片膝をつき、懐かしむように顔を覗き込んできた。
「別れた日が嘘のように晴れ晴れとしている。君を幸せにできるのは私たちではなかったのは悔しいが、とても嬉しいことだよ」
灰色の目が優しく細められ、慈しむように大きな手で頭を撫でられると、キアラは目頭が熱くなるのを感じた。
「いいえ。今があるのはロルフ様の……父や母、お兄さんたちのお陰です。わたし、守られてばかりで――」
名前も知らなかった最初の護衛騎士、クラウスの姿を思い描く。
厳しくて恐ろしい人だったが、全てはキアラのためにしてくれたことだ。叶わないことだが、あなたが守ってくれた妹は生き延びて幸せを掴んだことを知って欲しくてならない。
「父もクラウスもキアラの幸せを願っていた。知られてはいけないし、口にしてはいけないことだったが、ラシード様もお許し下さっている。全てを公表できなくても、妹が幸せでいるなら、その場所がどこであろうと私たちも幸せだ」
優しい兄の声にキアラの涙腺は緩んで涙が零れたが、零れた涙を硬い指が拭って抱き寄せてくれる。ふと心配になって隣を窺うと、セオドリクは美しく微笑んで二人を見守ってくれていた。
「セオドリク、キアラを頼むよ」
「幸せにしかしないから安心して。僕とキアラは結婚する。ハウンゼル殿には認めてもらえたってことでいいよね?」
問われたロルフがキアラに視線を向けたので肯定の意味を込めて頷いた。するとロルフは立ち上がりってセオドリクに向かって無言で頭を下げる。受けたセオドリクも同様に立ち上がって「お任せください」と胸を張って答えた。
「うわぁ、何だろう。ハウンゼル殿に認めてもらえたら急に余裕が出て来ちゃったよ。どこから来るのかなこの安心感。ハウンゼル殿がキアラを抱きしめても全然嫉妬心が湧かないし、それどころか大切にされているなぁって安心感があるんだよね。兄だって知らなかった時は超絶ムカついたのにさ。僕には兄弟がいないから分からなかったけど、兄って親みたいなものなのかな?」
不思議だと浮かれるセオドリクに「当然だろう」とラシードが答える。
「時に独占欲で閉じ込めてしまいたくなるかもしれないが、万一を考えると大切な者を守る存在は多い方がいい。ロルフの情が何なのかセオドリクにもようやく理解できたということだ」
「僕よりずっと年下の騎士団長に諭されるのは複雑だけどまぁいいや。キアラに関することなら何だって受け入れる懐の深さが僕にはあるしね」
「そういう物言いは牽制だな。心に余裕がない証拠だぞ」
揶揄うように笑ったラシードに、セオドリクは不貞腐れたように口をとがらせる。泣いていたキアラは面白くて思わず吹き出してしまった。




