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宝物になる日  作者: momo
本編
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ピクニック



 熱が下がってから体力が戻るまでに十日ほどかかったが、キアラがすっかり元気になると、セオドリクと一緒にお弁当を作ってピクニックにでかけた。


 エルフの世界は魔力に頼らない生活で、魔力なしのキアラには想像以上に過ごしやすい場所だった。

 触れる場所に気を使う必要がないのはとても楽だし、魔法がなくても普通に生活ができるように工夫が施されていて、それが特別ではなく当たり前であることが、物心ついたときから気ばかり遣ってきたキアラにとってどれほど楽であるか。


「エルフの世界は本当に生活がしやすいですね」

「ね、言った通りだったでしょ。キアラはエルフである僕と結ばれるために生まれてきたんだよ」


 にこにこ笑うセオドリクが洗うのは、裏の畑で取れた新鮮なレタスだ。大して世話をしていなくても立派に育つ野菜たちは、自然の恩恵を受けているお陰らしい。

 二人で作ったお弁当やワインを籠に入れて外に出る。

 セオドリクの案内で半時ほど歩いて辿り着いたのは透明度の高い湖の畔だ。セオドリクが自ら作成したという桟橋を渡り湖面を覗き込むと、銀色に光る魚の群れが泳いでいる。


「釣をしたりするんですか?」

「やるよ。ここの魚はとても美味しいから、今度来るときは釣りの準備をしてからこよう」

「わたし釣ってしたことありません」

「僕が教えてあげる。でもあまり上手じゃないんだ。いつまでたっても釣れないと思っていたら、餌をつけ忘れているなんてこともあるから」

「釣に来たのに餌をつけ忘れる……」


 そんなことがあるのだろうかと首を傾げると、照れくさそうに笑ったセオドリクが桟橋の縁にしゃがむキアラを背後から抱き締めた。


「釣るのが目的じゃなくて、時間つぶしが目的だったから。前に話したよね。ふられて悲嘆に暮れていた時、僕はいつ破滅して朽ち果てるんだろうって思いながら釣り糸を垂らしてた」

「フェルラさん?」

「そう。ごめんね、真実の相手を間違えて」


 後頭部にすりすりと、謝罪するように額を擦りつけられる。

 過去に好きな人がいたのはキアラも同じだし、そうでなかったとしても過去は過去。今とは異なるものだから、過去に嫉妬しても仕方がないことくらいは分かっている。


「言いたくなければ言わなくていいんですよ?」


 キアラだってカイザーをどんな風に愛していたのか、どのような心の動きをしたのかなんて、結婚の約束をしているセオドリクに自分から進んで聞かせたいとは思わない。それにセオドリクが過去にどのような恋をしてきたのかは、聞いてもいないのに全てセオドリクから聞かされているのだ。苦しい心を抱えて、綺麗な湖面をただ見つめていたくなることだってあるだろう。特に人とは異なる長い時間が約束されたエルフなら尚更だ。


「だって僕、嘘つけないし――」


 不貞腐れたような声が聞こえて思わず笑ってしまった。


「嘘がつけないのも知っていますが、あえて話さずにいられるのも知っていますよ?」


 それなのに馬鹿正直に何でも話してしまうのは、誠実でいようとしてくれるからだろう。

 思いが通じ合ってから今回のように抱き締められたり、唇以外の場所にキスされることもしばしば。スキンシップが過剰に思えるが、失えば肉体が朽ちるほどの強い愛情を持ってくれるのだから、エルフにとってはこれが当たり前なのだと納得して、恥ずかしがらずに受け入れることにしている。


「ねぇセオドリクさん」


 背後からキアラを抱きしめたまま、肩口に顔を埋めて黙ってしまったセオドリクに呼びかけると、「うん?」と返事だけが耳に届いた。


「キス、しませんか?」


 ひゅっと息を呑んだのが分かったが、いつまでたってもそれだけだった。

 セオドリクはキアラを抱きしめたまま固まっている。勇気を出して言葉にしたキアラだったが、セオドリクの態度を受けて、はしたないことを言ってしまったと後悔し始めた。


 思いが通じ合ってから過剰なスキンシップが日常になっているのに、セオドリクは最後の一歩を踏み込んでくれない。セオドリクの気持ちに疑いの余地はないが、過去に恋人からキスの一つもしてもらえていなかったキアラとしては、拒まれたことが心の傷になっているのは確かだ。

 どうしてなのかと疑問に感じて、美しい湖を前につい言葉にしてしまったが、この辺りもエルフと人との考え方の違いだろうか。

 しかしながら地下牢での別れのとき、セオドリクにはキアラの唇を奪った実績がある。


 思いが通じ合って以降、一度も唇に触れようとしない。

 なのにそれ以外の場所には遠慮がなく、特に額から頭部にかけては一日に数え切れないリップ音を響かせ、初めは恥ずかしがっていたキアラもわずかな期間で慣れてしまわされる始末だ。

 過剰ともいえるスキンシップながら、触れる場所は踏み込みすぎることがないせいで慣れたというのもある。それにエルフの世界はとてつもなく広いらしく、必要以上の干渉を嫌う性質もあり、近くで生活しているエルフがおらず人目もないのだ。

 永遠に会えないのかもしれないと落ち込み、目の前で朽ち逝く様を見せつけられ、ようやく今を得た。人とエルフの寿命の違いもある。様々なことが心に渦巻いて、勇気を出して一言を告げたのに、セオドリクは背後からキアラを抱きしめたまま固まってしまって微動だにしない。


 キアラがゆっくりと背後を振り返ると、顔を上げたセオドリクは真っ赤になって瞳を潤ませていた。


 過去にキスしてきたのはセオドリクだ。間違いなくセオドリク。なのにどうしてここまで真っ赤になっているのか。言葉にした自分がとてつもなく恥ずかしいことを言ってしまった気持ちになって、キアラの顔も赤く染まる。


「ごめんなさいっ」

「危ないっ!」


 思わずセオドリクから逃れ駆けだしたキアラの前に地面はなかった。

 セオドリクが慌てて手を伸ばしたが空を切り、キアラは透き通った水面に吸い込まれる。

 ばしゃんと水しぶきが上がった。






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