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宝物になる日  作者: momo
本編
85/96

望まない結末は認めない


 

 今日のキアラも幸せそうに笑っていた。

 愛する男の傍らで、本当に幸せそうだった。


 全てを盗み見ていたセオドリクは安堵し胸を撫で下ろす。

 笑顔で歩み寄って来たキアラに今日も幸せなのかと問えば、望み通りの答えがかえってきたのだが、不意にキアラの口から意味の分からない言葉が漏れた。


「竈の火が落ちてしまったんですけどなかなか点かなくて。セオドリクさんがやってくれませんか?」


 脈絡のない問いかけにセオドリクは首を傾げる。

 今の声は間違いなくキアラで、そのキアラはカイザーがどれほど自分を愛しんでくれているかをセオドリクに聞かせてくれていたのだ。

 なのに突然、耳元に生々しい声が届き、吐息すら感じて戸惑った。


「竈の火は……王城なら料理人がなんとかするんじゃないかな?」


 夢の世界で朽ちるのを待つだけのセオドリクでは、キアラの頼みを聞き遂げてやることができない。なのに「お願い、セオドリクさん」と必死な声に引き込まれそうになり、頭がもやもやとして妙な感じになってしまう。


「ねぇキアラ、今日も幸せだよね?」


 不安にかられて恐る恐る問えば、「幸せです」と満面の笑みで答えてくれたものの、まるでキアラではなく別の人のような感覚を覚えた。そしてその後すぐ耳元に別の声が届く。

 その声は間違いなくキアラの声なのに、幸せそうに輝いている目の前のキアラが発している声ではない。

 違和感を覚えながらも、幸せなら問題ないとセオドリクは満足して頷いた。


「セオドリクさん、見てください。とても綺麗でしょう?」

「何が綺麗なの?」

「これ、セオドリクさんのために摘んできたんです」

「花、かな? うん、とても綺麗な花だね」

 

 キアラの手にいっぱいの薔薇の花。きっとカイザーがプレゼントしたのだろう。


「よかったねキアラ、今日も王太子に愛されているよ」

「そう……ですね。これ、何か分かります?」

「花の他にも贈り物が? すごいね、何かな?」


 声に陰りを感じるのは何故だろう。

 セオドリクが望む夢に突然入って来る違和感。

 予定にない言葉が唐突にやってくるので疑問に思うが、セオドリクの視界に入って来たのは穏やかに微笑むキアラの姿だ。何も問題はないが、どことなく感じる違和感は消えない。

 疑問に感じながらも何がと問えば「分からないの?」と、むくれたように頬を膨らませる愛らしさに気持ちが和む。

 しかし目にしたキアラの姿にセオドリクは更なる違和感を覚えた。

 

 キアラはむくれる時に頬を膨らませて可愛さを前面に押しだすような、あざとさを滲ませる態度や表情を浮かべる女性ではない。

 こうあればと想像することはあるものの、思慮深く大人なキアラはけしてこのような仕草をしないのだ。

 どちらかといえば男に媚を売る類の娘ではなく、周囲の顔色を窺い、目立たぬよう影に隠れようとする。過去も相まって愁いを感じさせる女性なのだ。


 セオドリクは目の前のキアラに違和感を覚えたが、これこそが自分の望むキアラの姿だと納得することにした。

 しかしながら、こんなのはキアラではないとすぐさま否定し、それも違うと再びを幾度も繰り返して、セオドリクの思考はだんだんと混乱していく。

 

 エルフが真実の相手を失った後は朽ちて自然に返る。受け入れる大地は朽ちる存在を見守ってくれるはずなのに、騒がしく暴れてセオドリクの頬をなで髪を梳く。


 黙って望むままの夢を見ていたいのにどうしたことか。

 ほんの少し前までは順調に望むままの夢を見ていたのに、何かがセオドリクの邪魔をする。

 キアラの幸せを願いながら、穏やかに死を迎える筈だったのに、何かに横やりを入れられているような気がするのは、心乱される瞬間が日々増えていくせいだ。


「セオドリクさん、一緒にピクニックにいきましょう」

「嬉しいけど、僕じゃなくて王太子を誘いなよ」


 人は相手の心を疑うのが得意だ。キアラが男と二人で出かけたなんて知られたら、あの男は嫉妬に狂ってキアラとの関係を悪化させてしまうかもしれない。そんなことになったらキアラの幸せな未来に暗雲が立ち込めてしまう。


「セオドリクさんと一緒が良いんです」

「どうして王太子を誘わないの? 王太子が相手をしてくれない?」

「セオドリクさんと行きたいからです」

「駄目だよキアラ、人間の男は嫉妬深いんだ!」


 自分の見たいものを見ている筈なのに、誘惑に負けてしまいそうになる。セオドリクには手に入れることができない嫉妬心から、幸せな二人を引き離す夢が描き出されようとしているのか。

 キアラの幸せだけを願っているのに、醜い感情で彼女の幸せを打ち壊すことをしたくないと、セオドリクは頭を振って「違う違う」と声を荒らげる。

 すると妙なやりとりは終わったが、キアラが自分を望んでくれた事実が嬉しくて体が震えた。

 心の奥から表に出してはいけない感情が溢れ出しそうになって必死に抑え込んだ。

 

 それからまた暫く穏やかな日が続いたが、ふと気づけばキアラが自らの手でセオドリクの頬を包み込んでいる場面に出くわしてしまう。

 唐突に、キアラの少しかさついた、けれどとても温かい手が硬い己の頬を包み込んでいる。

 驚き過ぎて声を失っていると、キアラの顔がゆっくりと近付いて、鼻と鼻が触れる寸前まで寄って来たので思わず息を止めた。


「お願い、息をして――」


 キアラの吐息が唇に触れる。


「息をして、セオドリクさん」


 包み込む風がセオドリクを引っ張り上げようとする感覚が全身を包み込む。


「お願い、息をして。逝かないで――」


 目の前で声を詰まらせたキアラが、紫色の瞳から大粒の涙を零した。

 

 どうして泣いているのだろう。

 笑っていられるように努力したのに。

 あんなに努力したのに。

 キアラが幸せでいられるよう、己の心を押さえ込んで、キアラが王太子の側で愁いなく生きていけるように画策したのに、いったい何が悲しくて涙を流しているのか。

 セオドリクは自らの腕に囲うことを諦めた。

 それは全てキアラのため。

 愛しい人が幸せな未来を手に入れるためだった。

 だからこそキアラは愛しい男の傍らで微笑んでいなくてはいけないのに――


「こんなの僕は望んでない!!」


 こんな未来、絶対に認めないと声を上げ、同時に目を見開いた瞬間、白く濁ったセオドリクの瞳に涙の雫が落下した。






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